読書感想文#2 ストレイ・シープ達の足跡/夏目漱石『三四郎』

『三四郎』について

「文豪」

統計的に言って、文豪という単語と最も強い結びつきを持つ作家は夏目漱石であろう。
文豪という響きに対して苦手意識を持っていたかつての私は、漱石のような高尚な作家の作品が自分に合うことはないだろうと意図的に避けていたように思う。
初めて『三四郎』を読んだとき、それは大いなる誤解であったと感じざるを得なかった。

『三四郎』の読みやすさ

カテゴリとして、『三四郎』が大衆小説に含まれるか否かという論題には賛否あるだろうが、純文学といって想起される諸作品と比べ、読みやすい小説であることに異論はないだろう。また、漱石の作品の中でもストーリー性に富んだ作品であり、娯楽としての意識を感じられる。要所要所で見られる、どこか皮肉っぽいペダンティックな諧謔も妙を得ており、難しいことを考えずに読んでも楽しめる作品だと思う。

『三四郎』のテーマ

勿論、『三四郎』は単に面白みを追求しただけでなく、時代に即したテーマ性を備えている。

『三四郎』は、九州の片田舎から大学進学を機に上京する主人公、小川三四郎が列車で東京へ向かうシーンから始まる。『三四郎』の物語の主軸はこの田舎の青年が、急速な近代化を推し進める明治末期の東京での様々な出会いと交流である。

三四郎はこの時期の日本の置かれた状況を仮託された存在であるように思う。それは作中では「三つの世界」という言葉で表されている。

第一の世界は伝統的な日本の世界であり、三四郎の実家に表象される。三四郎はしばしば母からの手紙を受け取っており、身内での出来事や見合い話が度々話題に上がる。
第二の世界は学問や言論の界隈であり、浮世離れした趣のある世界である。
第三の世界は、絢爛豪華な都会的世界であり、自由恋愛が称揚されている。

三四郎はちょうど、この3つの世界が交わる位置に立っており、恐らくそれは漱石が近代化を進める日本の混乱したと言っても過言ではない状況を三四郎を使うことで描き出したのではないかと思う。

『三四郎』の好きなところ

『三四郎』についてネットで調べると、だいたい社会への批判の意図が込められている、というような書かれ方をしている。それを見ると如何にも説教臭くて食指が動かなくなるが、上述の通り、三四郎に仮託して描くという手法を用いることで、単なる批判というだけでなく、娯楽性を同居させることに成功している。

私の『三四郎』の好きな点はまさにここにあり、大衆小説の体裁を保ちながら問題提起や批判を同時に行う卓抜した巧みさが読んでいていて非常に面白い。現代においてはスペキュレイティブ・フィクションと呼ばれる作品群もあるように、フィクションによる現実への問いかけという営為は、もちろん従前よりフィクションの役割の1つではあるが、この『三四郎』が優れている点は、ただ単に批判を行うための世界を作るのではなく、飽くまでも大衆的な物語の展開に並行して批判が加えられるところにある。何かに仮託して自らの主張を行うとき、仮託されたものにはどこかザラつきがあるものだが、『三四郎』の仕上がりの滑らかさは突出した出来栄えであるように思う。

正直なところ、明治時代の人間が当時の日本社会に対して何を感じていたかなどはあまり興味のない私にとっては、単にユーモアを摂取するためだけに読んでも面白いというのは大変ありがたいことである。

『三四郎』の謎とその解釈

さて、この『三四郎』には、どこか謎めいた、それでいて重要な意味が込められたシーンやセリフが登場する。本稿ではそのいくつかを取り上げて解釈を加えてみたい。

ヘリオトロープについて

そのうちの1つのシーンとして、ヘリオトロープの香水のくだりがある。

三四郎はシャツを買いに来た唐物屋で、香水を選ぶヒロイン里見美禰子に出会う。そこで三四郎が香水の相談を受け、いい加減に選び推薦したのがヘリオトロープの香水であった。

物語終盤、三四郎は美禰子に借りていた金を返す。この金はもとは三四郎の責任によって借りたものではなかったが、結果として、懸想するにも関わらずおよそ気の利かない三四郎と、いたく曖昧な態度の美禰子との関係を繋ぐものとなっていた。

 女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。
「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎。四丁目の夕暮。迷羊ストレイ・シープ迷羊ストレイ・シープ。空には高い日が明らかにかかる

夏目 漱石. 三四郎 (p.279). 青空文庫. Kindle 版.

ヘリオトロープはギリシャ語の太陽(helios)と~へ向く(trope)という語の組み合わせなのだそうだ。作中では他にもギリシャ語への言及や、ギリシャの演劇について語るくだりがあるなど、恐らく漱石もこの語源への認識はあったのではないかと思う。もちろん、当時最先端であった西洋風の香水、つまりはモダニズムを象徴する小道具という意味合いもあるだろう。ちなみに、この香水については適当に検索したところでは、20世紀初頭ごろ輸入販売されたRoger&Galletの「Heliotrope Blanc」であるという説が実しやかに囁かれている。

ギリシャ神話にはヘリオトロープを巡るエピソードがある。それは太陽神ヘリオスと水の精霊クリュティエを巡る悲恋の物語であり、話の筋書きには様々な説があるようだが、共通しているのはクリュティエからヘリオスへの実らない慕情と、結果としてクリュティエが一輪の花になってしまうということのようだ。この花というのもまた何なのか説が分かれるのだが、その一節としてヘリオトロープがあるそうだ。もっとも、ヘリオトロープという名前は収まりが良いので、個人的にはヘリオトロープ説を推したいところである。

それでは仮にこのヘリオトロープにその神話の象徴としての役割があったとして、花になるというのはどういうことだろうか。『三四郎』が近代日本の置かれた状況を描いている、ということを踏まえるならば同時期の女性解放運動を挙げてフェミニズム的な観点から論じることもできるだろう。というよりむしろそれが素直な解釈だろうが、私が書くにはちょっと荷が重いので書かない。こんなインターネット場末の文をまともに読んでるやついないと思うが読んでたら誰か書いてくれ。

ただ、どのような解釈をするにせよ、美禰子が三四郎に気があったということは間違いないものとして扱ってよいだろう。三四郎をヘリオスに重ねるのはあまりに分不相応な気もするが、美禰子としてもある種の失恋であったと表現しても良い気がする。それはストレイ・シープという表現もそうだし、「我はわが愆を知る」というあまりにもミステリアスな呟きについての解釈としても適当だと思う。

「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」

「結婚なさるそうですね」
 美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。
 女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。
「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」

夏目 漱石. 三四郎 (p.279). 青空文庫. Kindle 版.

「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」は(キリスト教的には)旧約聖書の詩篇51の一節である。ウィキペディア曰く、「ダヴィド(ダビデ)が、ウリヤの妻であったヴィルサヴィヤ(バテシバ)と姦通したのち、夫ウリヤを死なせる事で奪って妻としたことを、預言者ナファン(ナタン)に叱責された際に詠った痛悔の聖詠(詩篇)と伝えられるもの」だそうだ。ここにも三四郎を選ばず別の男を選んだことへの悔恨が読み取れる。

ストレイ・シープ

このような言い回しからも分かる通り(そして作中でも明確に言及されるが)、美禰子はキリスト教徒である。その上で、『三四郎』の代名詞である「ストレイ・シープ」の解釈についても考えておきたい。

「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。
「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」
「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。
すると美禰子は、なお冷やかな調子で、
「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」
「だれが? 広田先生がですか」
 美禰子は答えなかった。
「野々宮さんがですか」
 美禰子はやっぱり答えなかった。
「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」
 美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。
その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。「迷子」
 女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。「迷子の英訳を知っていらしって」
 三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。
「教えてあげましょうか」
「ええ」
「迷える子――わかって?」

夏目漱石.三四郎(pp.121-122).青空文庫.Kindle版.

このストレイ・シープという語は『マタイによる福音書』第18章からの引用である。

あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。

門外漢である私が他人の宗教についてとやかく語るのは気がひけるのだが、恐らく、キリスト教徒にとってキリスト教は迷いがちな人間の、正しい道へと至るための導きなのだろう。

「わが前」を知ること

また、キリスト教の重要な考え方の1つに原罪というものがある。その概念のエッセンスを取り出すとしたら罪への自覚とそれに対する贖罪であろう。
これを踏まえて「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」という言葉を合わせて考えてみたい。

「わが愆を知る」というのは、罪の自覚に相当する言葉のように見える。つまりはキリスト教的には正しい道の上に乗ったということではないだろうか。ストレイ・シープであるということは、いわば前後不覚の状態と言えるだろう。つまり、どちらに進むべきか、どこに歩みを進めれば前進するのかがわからない状態であるということだ。その意味で、「わが罪は常にわが前にあり」という言葉は、罪を自覚し、ある正規の道へ乗ったからこそ、それが前であることがわかるのではないだろうか。
そのため、恐らく美禰子が「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」と言ったとき、それが罪深き選択であったとしても、進むべき道を選択した彼女はもはやストレイ・シープではないということを示しているのだと私は思う。

美禰子は三四郎の何に惹かれたのか?

しかしながら、ここでもまだ疑問が残る。それは、なぜ美禰子が三四郎を選ばなかったことが罪であるのか、という点である。より根本的にはそもそもなぜ美禰子は三四郎に惹かれたのかという点について考えてみれば甚だ疑問である。
作中ではあまり魅力的なところなどない素朴な青年として描かれた三四郎のどこに惹かれる要素があったのだろうか?
正直なところ、私はこの問いへの答えを物語の中から読み取ることはできなかった。このあたりは是非誰かに解説してほしいところである。
そういう物語だから、と言ってしまっても良さそうではあるし、美禰子は誰でも良かったのだ、と考えるのも一興であるように思える。あるいはもしかすると"pity's akin to love"ということなのかもしれない。それは随分傲慢な感情だが。

ただ、この問いを謎のまま放置するのも興醒めという感があるので、やや反則気味ではあるがメタな視点からの解釈を加えてみたい。
三四郎が置かれた3つの世界という状況が、当時の日本の情勢に重ねられているという指摘はすでに述べた。つまり、近代化が進み変わっていく日本が、田舎から上京する三四郎に象徴されているということだ。
そう考えると、第3の世界に属する美禰子にとって三四郎とは第1の世界、旧来的な日本の象徴的な人物であると言えるだろう。どの道へと進むか迷うストレイ・シープである三四郎に対し、第三の世界から惹きつけておきながら、最終的には見限るという行為、結局は三四郎の行く末に誰も責任を取らないということ、それを漱石は当時の日本の置かれた状況を念頭に置きながら、美禰子に罪だと言わせたのではないだろうか。

三四郎とイカロスの寓話

また、これは個人的にという枕詞が必要かもしれないが、ヘリオトロープのくだりから連想したギリシャ神話がもう一つある。それはイカロスである。
イカロスの話をわざわざ解説する必要もない気がするが、イカロスは蝋で作った翼をつけた人間であり、飛ぶことに夢中になるあまり太陽に近づきすぎ、蝋が溶けて墜落するという寓意を多分に含んだはなしである。
この物語は一般に二通りの解釈がある。一方が人間がテクノロジーによって太陽(つまりは太陽神ヘリオス)に近づくことができるという、傲慢さへの戒めであり、もう一方は、人の知恵と勇気への賛美である。
太陽へ向かうというギリシャ語から、イカロスを真っ先に思い浮かべたのは、物語の知名度から考えてそれほど突飛な連想ではないように思う。「元始、女性は太陽であった」とは『三四郎』刊行数年後の平塚らいてうの言葉であるが、三四郎にとって、第三の世界に住み、近代的で教養のある美禰子を太陽として表現することには違和感がない。
その意味で「思わず顔をあとへ引」くという構図は、三四郎が第三の世界への憧憬を抱きながらも、その方向へ邁進することができなかったことを象徴しているように感じる。急激に変化する環境に浮かれたまま、決断を避け、曖昧に時流に任せて流されていった結果墜落する、という寓意は漱石の当時の社会への警鐘だったのではないだろうか。

結語 ストレイ・シープ達の足跡

さて、『三四郎』次のような結末で終わる。

美禰子をモデルとして描かれた絵が展覧会に飾られる。タイトルは『森の女』。その絵は初めて三四郎と美禰子が出会った(というよりもすれ違った)池のほとりでの美禰子の姿を描いたものであった。『森の女』は出色の出来とも言うべきもので、人々が称賛する。
絵を観に来た三四郎一行だったが、三四郎は人だかりのできる『森の女』を遠巻きから眺めただけで退いた。

与次郎だけが三四郎のそばへ来た。
「どうだ森の女は」
「森の女という題が悪い」
「じゃ、なんとすればよいんだ」
 三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊ストレイ・シープ迷羊ストレイ・シープと繰り返した。

夏目漱石.三四郎(p.282).青空文庫.Kindle版.

思えば、三四郎にとって美禰子の魅力は、ただ美しいということだけでなく、モダンでミステリアスな捉えらえどころのなさだったのではないかと思う。その捉えらえどころのなさというのは、いわば彼女のストレイ・シープ性とも言うべきものが出どころであったわけだが、絵画として画面に鮮やかに描かれ固着したイメージとは正反対の生きたものであったことだろう。
美禰子は何らかの形で結論を出した。進むべき道を定めた。一方三四郎はここに来て初めて、自らがストレイ・シープであるという自覚を得た。

これは個人的な、というよりも『三四郎』から百年以上を経たある一個人の意見だが、結局のところ我々がストレイ・シープでなかったためしなどなかった。安定だと思われた道が単なる神話でしかなかった例など挙げればいくらでもある。
我々にできることはいつでも何らかの恣意的な決断でしかない。ただ、そうして行きつ戻りつし曲がりくねった足跡にこそ、人が人である所以が刻まれるている。我々が何世代も前の人間を描いた『三四郎』を厚みのあるビビッドな物語として読むことができるのは、このためなのだろう。

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