見出し画像

大牟田未来共創センター:「匂い」を呼びさます地域経営 〈後編〉

本記事では、前編に続き大牟田未来共創センター(愛称:ポニポニ)の原口 悠氏、木村 篤信氏をゲストに迎え、新しい地域経営のあり方についてお話を伺う。前編では、ポニポニの現在の活動やそこに至る背景についてお伺いし、「助ける/助けられる」という形で役割を固定化すること自体に対するそもそもの違和感や問題意識を提起した(前編の記事はこちらから)。
後編では、ポニポニの理念の中核を担う「パーソンセンタード」という概念を軸に、その人間観や、地域に対する外部人材の関わり方について探っていく。

原口 悠氏
一般社団法人 大牟田未来共創センター 理事。東京からひと月の半分大牟田市に通い、事業の方針策定についての検討と実行を担っている。30歳ごろビジネスと社会活動を統合するためNPO法人「ドットファイブトーキョー」を立ち上げ、ビジネスパーソンを高齢者施設や障害者施設にアテンドするなどの活動を行ってきた。その後、さまざまな研究事業や大学との連携プロジェクトを実施しながら大牟田市との関わりを深め、現在に至る。

はめているグローブをいったん外す

小山田:ではここから「パーソンセンタード(※4)」と地域経営モデルの横展開という話題に踏み込んでいきたいと思います。以前、別の記事でもまちづくりの新しい「OS」として「パーソンセンタード」という考え方を位置づけていらっしゃったと思うんですが、改めて、どういう概念なのかご紹介いただけますか?

※4:大牟田市が認知症ケアなどに注力する際に重視している認知症ケアの1つの考え方である「パーソンセンタード・ケア」の、関わる人一人ひとりを個人として尊重しながら寄り添うというコンセプトをまちづくりなどに敷衍した用語。

原口:ちなみに、最近「パーソンセンタード」って言葉じゃないんじゃないかって思ったり、外部の研究者の人からも言われたりしてるので、その言葉自体はちょっと乗り越えなきゃいけないなと思ってるんです。基本的にはすべての人には潜在能力がある、という考え方です。
ただ、潜在能力が発露するのは基本的には1人ぼっちの時ではなく、何かと出会ったり何かを知ったりというつながりによって促されるんですよね。しかもその裏側にライフコースがあって、人生のナラティブが積み重なった非常に主観的な世界で構成されています。なので、たとえば高齢者の場合だと、「目の前に居る人がどうやったら幸せになるかを考えて介護してください」って言ったときに、その人がどんな人かわからなかったら、もちろん出来ないですよね。「パーソンセンタード」は別に高齢者に限らず、ライフコースの視点を持って、その人の積み重ねとか、その人が将来的にどうなるか、ということを考えよう、という考え方です。

小山田:「パーソン」というと「個人中心」みたいなミスリードがあるけど、人とのつながりによって能力が発動される、という側面もちゃんと表現しないといけないということですかね。

原口:そうそう、言葉としては提示しなきゃいけないと思う。もともと構想を整理していた図(下記参照)にも、潜在能力という言葉は入れてたんですが、その後、國分 功一郎さんとうちのメンバーが議論したなかで出てきたのは、実は潜在能力の議論って、「自由」の議論だという話になって。意思決定においてその人の決断が尊重されるという自由感もあれば、確かスピノザの話だったと思うんですけど、その人が持っている力が活かされているか、発揮されているかということによって自由を考えるみたいな話があって、後者の話に近いかなという感じがしてますね。「能力」って言っちゃうと、ちょっとニュアンスが変わるじゃないですか。

ポニポニの活動構想に関する資料。
パーソンセンタードの中心概念として人の潜在能力を置いていた

小山田:そうですね。「能力」と言うと世のなかに求められているスキルと結び付けて理解される感じがありますよね。

原口:持ってるものが発露するみたいな。小山田さんが言ったとおり、その人の存在自体が、その人にとっても周りにとっても価値あることもいっぱいあるので。

小橋:お話を聞いて色々つなげながら考えてたんですけど、いまCode for Japanとのアライアンスで取り組んでいる「Make our City」というプロジェクトでは、もともと「市民主体のまちづくり」みたいなことをミッションにしてたんですね。でも最近「市民主体」ではなく「わたし主体」ではないのかみたいな議論をしていて、この「わたし」という見方がパーソンセンタードとすごい近いなと思いました。「市民」とか「行政」みたいな役割モデルとしてのペルソナを剥がしたところに「わたし」がいて、「わたし」を起点にまちを考えようよ、みたいなことがMake our Cityの「our」の部分になります。
で、なんで今こういう考え方が必要なんだろうということを改めて考えてたんですけど、役割モデルっていうのは、ある意味スケールはしやすいし、再生産もしやすいんですよね。都市を一律的な制度で再生産して行くには、すごく優れたモデルだったんだけど、今そうはいかなくなっている。一方で、すごく狭い村社会では、ある意味みんなパーソンセンタードで属人的にお互いをケアしてたところもあると思うんですけど、その考え方を現代の都市スケールでいかにコネクトするかみたいなところに、まちづくりの新しいOSみたいな概念があるのかな、という気がしています。
Make our Cityでは、「わたし」視点のパーソンセンタードの観点と、それがどんどんスケールしていくためのコネクティビティを、テクノロジーの力で両立させようとしているのだということを改めて考えてました。

原口:おっしゃるとおりだと思いますね。基本的に近代化における役割分業や専門職化で、それぞれが背番号を背負っていくギブアンドテイクの関係ができたんですけど、ギブアンドテイクの限界は、やっぱりシステム的エラーみたいなことが起きた時に対応不能になるというのが、僕の中心的な考え方なんですよね。想定しなかったカテゴリーとか想定しなかったスコープみたいなものからピュッと飛び出してくるので取れないわけですよ。取ってみても、自分のやれる形で対応しようとするとやっぱりまだはみ出ているので、結局上手く対応できないってことの繰り返しになっちゃう。
なので、まさにさっき言ってくださったように、それぞれがはめてるグローブを一旦外さないといけない。「狭間の問題」と言っているところにボールがぶち当たった時に、狭間の問題専門みたいな形を作るのではなくて、みんなが1歩踏み出して行ったら、我々の配置が変わって、関わり方みたいなことを見い出せたりするわけですよ。でも、それを生み出すためにどうするかっていった時に、ポニポニないしは僕が、その場で火中の栗を拾いに行くわけですよね。拾いに行くと「この人、拾った!」みたいなことでワッてなるわけですよ。「拾っとるぞ!」みたいな。しかも血を流してやったり、お金もバンッと入れるんです。たとえば、去年は市営住宅の活動に1円もならないのに何百万も突っ込んでるんです。でも1年間ぐらいやり続けると、やっぱりみんなの見方も変わる。自分が先陣切らなくてもいい、というのはめっちゃ気が楽なので、ちょっと関わりはじめる人が出てきたりします。それも別に「あなたやってください」って言うわけではないんですけど、だいたい誰かが手を挙げてくれるんですよね。
その中で、僕は住宅政策の振り返りにけっこう時間を使ったんですけど、それは現在起きている市営住宅の問題の多くが社会システムのエラーであるということを明らかにしたいということがあって。それは担当者がサボってるわけではなくて、構造的な問題なんですよね。概念的に整理されている状況とは異なる実相がシステムエラーによって起きちゃってる。住宅セーフティネットと言われているところで暮らしに困っているわけなので、めちゃくちゃエラーなんですけど、そういうことを、ある意味、一義的に免罪するっていうことに時間をだいぶ使いました。そのまま伝わったか分からないけど、「これはシステムをアップデートするような形で取り組まなきゃいけないんだ」みたいな意識にはなったと思います。こうした「置かれている状況自体をどう理解し、みんなで共有するか」ということにも現れているのが「あたためる(※5)」(実践者版)です。

※5:ポニポニのリビングラボ運営のキーワード。役割を定義せずじっくりとコミュニケーションしていくことで、“場があたたまる”。それによって、関係者が自ら行動をし始める。

「あたためる」のもうひとつは「わくわく人生サロン(※6)」みたいなやつですよね。これは、ただ話を聞くということではあるんですけど、家族ではない第三者の誰かに話すという行為を通して、人が持っている「自分が何者であるかということを確認したい」っていう想いを確認することなんですよね。最近話したNTTの研究者の人が「匂いがしてくる」と言ってたんですが、自分でこんな人間だったよって、嗅ぎ直さないと忘れちゃうんですよね。しかも、いつもしゃべってない人と話さないと匂いがしてこない。「自分はあそこに行ったことがある」とか「どこそこ出身なんだ」と第三者に言うとすごくフレッシュな形で喜んでくれる。「こんなに喜んでくれるの?」と。その時に自分に匂いがしてきて豊かな気持ちになって元気になると言うことがあると思います。逆に、通常状態だと自分が認識できなくなっている。

※6:ポニポニが運営する参加者がお互いに話をする地域サロン兼企業の新規事業開発のリビングラボ。

わくわく人生サロンの様子。
他者と話すことで少しずつ「あたたま」り、自分の「匂いがしてくる」

小橋:先ほど能力とかスキルではないよねっていうところが、まさに「匂い」で。役割モデルのなかでは、まさに、その匂いみたいなものがかき消されてしまうんでしょうね。

原口:そうですね。役割モデルだと上から役割をはめられて、それに自分が近づけるかみたいな形になっちゃうけど、でも自分にはもちろん匂いがあって、そのまわりに主観的なエピソードがいっぱいあって、それが共鳴するような形で発露してくる。ただ、それは、ワークショップみたいな形式でやれるのかというと多分そうじゃなくて。もちろん、機会というかチャンスという意味での議論と場、みたいな議論があって。ここは我々も考えていかなきゃいけないところで、今もずっと話してるんですけど、また別。
つまり、まちづくりをしましょうみたいなのは非常に目的的なので、あんまり自由じゃないんですよ。いきなり不自由になっちゃうので。もっと暮らしのなかに「どうやってその匂いの感じられる場を作れるのか」、しかもそれがよく知った人たちだけが集まるような村的なものじゃないから匂う、匂いが出やすいというか。それって、偶発性の議論でもあって、ただ関心で集めすぎるとそれもまた出てこなかったりするわけですよ。これってけっこう地域づくりとか社会づくりの基盤的なテーマなんだろうなと思いますね。

小橋:最近、街をみんなでオープンソース的に作る「オープンソース・アーバニズム」という概念に関する記事を読んだんですけど、その記事の中では、市民の意識を変えるんじゃなくて、「コンピテンシー」という言い方をしてました。コンピテンシーとは、今の「匂い」みたいな事を言おうとしている気がしていて。単純なスキルセットではなく、普段の行動における振舞い方とか、行動特性みたいなものだと思うんですけど、日常的なタッチポイントの中でそのコンピテンシーをどう上げるかというところが結構大事になってくるのかなと感じました。

原口:そうですね。あとは社会的であることが、客体的に与えられるのか、自ら発露して気づくのか、でも多分違う。僕は基本的に後者を採用したい方なので。自分のなかに社会的な部分ってあるじゃないですか。たとえば、誰かと一緒にこの場所をどうにか良くしたい、とか、やっぱり自分は子供が好きなんだとか、おじいちゃん、おばあちゃんが好きなんだ、とかっていう、非常に主観的でプライベートなものがぐっと社会とつながるじゃないですか。そういうものってみんなにはらまれていて、ソーシャルブレインとか、むしろ社会的であることの側に、人間の特性があって。生き延びていく、生存するためにもソーシャルな部分というのも内在させているという話、けっこう多いじゃないですか。だからその辺りの発露の仕方みたいなのもテーマだなと思います。「この問題はどうしますか?」みたいなことやっちゃうと、もう当てこまれているので、そうじゃないものにしないと、客体化が安易に起きるよなっていう感じですね。

小山田:すごく悩ましいですね。客体化や自分の匂いに気づくとか、役割分担から1回外れるってことを通して、免罪みたいなことも含めて再定義するというか。ゼロベースでもう1回考えるみたいなことを通して、自由を再獲得するみたいな。それだ!って感じがすごく強いんですけど、限られた時間とコストのなかで、どうやるのかっていうと「できなさそう」とも思っちゃいます。

原口:そこが多分、僕らがポニポニをやっているところで、行政側と関係を作って、政策的なリーチもしてるし、地べたにくっついているような地域包括支援センターとかもやってて。福祉では「社会資源」と言うんですけど、「居場所」とか「つながり」って出てくるんですよ。だけど今みたいな議論としては上手く使われてない。なので、僕らみたいな団体がある方がいいんじゃないか、と思ってます。 

ファシリテーターか当事者か

原口:話は変わりますが、公概念の展開みたいなことに関わってると自分では思ってて。ポニポニの内部でもずっと話してるんですけど、「公=官」みたいな考え方ををまず転換しなきゃいけないでしょうと。私は大牟田に対して、いわゆる外部者だけれど、街をこうした方がいいとか、こうしたいみたいな事はめっちゃあるわけですよ。一方で、僕らは自分たちの団体を何年間か大牟田市に構えてて、理事には大牟田で医療法人経営しているメンバーもいるし、うちの法人で具体的に地域包括支援センターも運営している。もう、むしろここで根を張って動かしてるわけじゃないですか。なので、「自分たちがこの地域をこうしたいんだ」と言って「集まれ!」ってやるというのは、僕はどこに行っても、外部者であっても成立すると思ってるんです。
何が言いたいかというと「地域と自分」みたいな関係じゃなくて、地域のなかに自分もいて、もはや首長ぐらいな気持ちで、首長よりも広い視点でこの町をこうしたい、みたいなことを勝手に思うことができる。それはさっきの話のなかでも大事だなと思ってて。つまり、地域のビジョンは誰が描くのか、ということについて、外部者って躊躇するじゃないですか。ヒアリングをしてワークショップをして、「どんな街にしたいですか?」「どうしたいですか?」って聞くじゃないですか。聞くのもいいんだけど、「自分はどう思ってるの?」という話で。あり得ないかもしれないけれど、市長が倒れたからなんとかしてくださいってなった時に、「よっしゃやるか」みたいに思えるぐらいに我々は考えていなければいけないと思うんですよね。つまり、全体性のあることを自分たちの主語で語れるようにならなきゃいけない。ここはね、謎なんですよ。シンクタンクはレポーティングして終わるし、コンサルティングは相手があっての自分という立ち位置になってるし、みたいなね。公を構想する(官とは)ちがう主体があった方がよっぽどいいんじゃないかなと思ってます。

小山田:すごく面白いですね。サービスデザインの考え方ってけっこう解釈の幅があるんですけど、ファシリテーターとして振る舞うことを徹底している会社もあるので「やっぱり決めるのは当事者」ということを重要視する人たちもいるのが面白いなと。

原口:そうですね、まさにそう。ファシリテイティブな形で自分がやったっていいわけで。地域でケツを持つ人がいない問題の方が重要だから。むしろ、どれだけ協働的にできるかっていうことにフォーカスするためにも、関わる人はケツを持った方がいいような気がします。ステークホルダー、行政も協働の相手だから。行政は政策的な領域で触れられるところまで触れる。行政が直接やってたものを協働するなかで人づくりや場づくりに変えるっていう予算の転換だってできるでしょうし。

小山田:ケツを持つというのは、ファシリテーター的にやるとしても「やってください!」という状態になった時に「ラッキー!」みたいな感じでやっちゃう、というところもスタンスとして持ってていいんじゃないかということですかね。

原口:むしろ自分がやるっていうつもりですね。たとえば、今市営住宅のこととかも、うちの団体引き受けまくろうとしてるわけで。引き受けてから協働を考えて、99%協働で解いたっていいわけじゃないですか。

小山田:引き受け切れない、という話があってもいいじゃないか、ということですか?

原口:”引き受けきれない”っていうか、”引き受けきらない”ってことですね。つまり、自分たちが何%提供して関わるかじゃなくて、まず引き受けちゃえばいいんじゃないかと。仲間づくりというのはやればやるだけできる可能性があるので、分担はきめ細かく志向すれば出来るはず。そのあたりが建て付け上のポイントなのでは、といつも思っています。「ずっといられるのか?」という問題も謎で。いや、ずっといたいと思うけど、いられないってこともあるし。

小橋:確かに。そこがやっぱり僕もバイアスがかかってたな、と思いました。外部から関わると、「ずっとやってくれるんですか?」みたいな話とか「それ結局持続可能なんですか?」みたいな事を言われたりして。場合によっては、やりたい放題やって去っていく焼畑農業みたいなことも言われるわけじゃないですか。そうなると、逆にこっちも手を引っ込めちゃうところもあるんですけど、原口さんの話は、手を引っ込めるより、手を突っ込んでいる(笑)。

原口:ですよね。いや、今度の計画推進の取り組みも1円ももらわないんですよ。でも、協定で持ち寄り内容を見て、結構面白いって言われた。役所との普通の協定は「何かを得る」みたいなことがあります。たとえば、研究機関と役所の協定だったら、データをもらってこういう研究成果を出したいんです、役所は住民課題や地域課題を解決したいんです、と。こういうマッチングしている協定ってあるじゃないですか。
僕らは、計画の推進で協定を結びたいって言うと、彼らは「いいです」と、もうすごい前向きなんですよ。では「共創センターさんのメリットは何ですか」って聞かれると、もうそれは住民の人が幸せになることですよと言う。それを真面目に言うと、みんな「あれ?」ってなるんですよ。なんでかというと、(共創センターの目標が)役所の目標と一緒だから。(役所と)一緒の目標を民間が持っている、という謎の構造があって。我々は基本的に外部から資金を調達して、彼らは税金で調達してきて、統合的に何かやる、っていう絵になる。1円もいらないって言っても、やるべきだからやるみたいことってあり得るじゃないですか。ここからの資金調達が腕の見せ所だと思ってます。前に役所の人に言われたのは、押しかけ女房っぽいんですよね。しかもそこに家建てるみたいな感じ。事務所も借りて、場所もあって、人も雇って。全部そこにどんどん根を生やそうと。

小橋:だいぶ持ち込みの多い女房ですね(笑)。

原口:そうなんです。でも、そっちの方が面白いのになぁと思います。市営住宅の取り組みで関わってきた人も、最初の数ヶ月は、どうせいなくなるでしょ?、怪しい人でしょ?、みたいに思ってたと思うんですけど、今はそんなこと言わないですもんね。

小山田:お話を伺っていると、地域に根ざすという形でいきなり飛び込み、根を張り、火中の栗をただでもいいから拾い、お金は別から持ってくる、というモデルという理解なんですけど、なかなか実現難易度が高そうな気もします。どうやったら他の地域に展開できるのか、が気になります。

原口:根を張るのは法人の建て付けでできるような気がするんですよね。資金を取ってくるところは難しいかもしれないですけど。ただ、行政は、仕様書を書かなきゃいけないんだけど、仕様書が書けない、つまりその(解決の)方法論が見つからないから困っているわけなのに、行政の方法論に従ってたら、課題は構造的にずっと解決できない。これはまさに構造的な問題なので、残念ながらそのモデルにハマったら終わりなんですよね。

小山田:でも本当に痛いところを突かれているというか、サービスデザインをやって行く時には、市民を理解してどう課題を定義するのか、というのがすごく大事なんですけど、構造上、やりにくいっていうのがすごくあって。それを乗り越えるための1つのアプローチとして、我々の場合だと、やり方をレクチャーして具体的なタスクを一緒にやる、みたいな形で負荷軽減をするという形で乗り越えようとしているところでもあるんですけど、あまり本質的ではないんですよね。その1つの解決策として、「押しかけ女房モデル」というのがあるんだなぁと(笑)。すごく面白かったです。ありがとうございます。

取材後記

今回原口さんのお話を伺って、地域経営の「OS」に対する自分の認識の浅はかさを痛感した。人口減少と超高齢化によって社会課題がますます複雑化する中で、公共政策や公共サービスはもはや「官」だけが担うものではなく、市民や民間企業との共創によって、コレクティブ・インパクトを最大化していくことが必要である。…という、いわば教科書的なイシューが抱える変化の本質を、ぼくたちは一体どこまで理解できているだろうか?
今回キーワードとして出てきた、「社会システムのエラー」、「ひっくり返っている」状況、「役割モデル」、これらはすべてぼくたちの無意識下に潜んでいるからこそ「OS」なのであり、この無意識下のOSをアップデートすることでしか、この状況は変えられない。ただ、対談の中でも触れたが、その新しい「OS」は、別にまったく未知のものが空から降ってくるわけではなく、よくよく考えてみると昔からあるいわゆる「村社会」の中にも潜んでいたはずだ。土壇場の状況で自分のグローブ(役割)を外してボールを取りに行くこと、他者との関わりを通して自分の「匂い」に気づくこと、そうしたナラティブを積み重ねて人の「社会性」が自然と発露すること。こうした行動変容は、表層的に「共創」を掲げただけのお題目的なワークショップの場では決して生まれてこない。だからこそ原口さんは地域の日常に根を張り、融通無碍に動くことで、ともするとコントロールできないその偶発性を半ば楽しんでいるようにも感じられた。
高度に分業化、合理化が進んでしまった現代において、こうした自分たちの足元に潜む「人間くさい」部分をすくいあげ、もう一度OSの軸に据えることが、「あたらしい公共」の第一歩なのだ。と言っても、単に戻すだけだと「デグレード」になってしまうのが難しいところで、足元にあるものを忘れることなく、でも決して懐古主義に陥ることもなく、いわばブリコラージュ的に目の前のものをうまく使い回しながら、泥臭く活路を探っていくしかないのだろう。スマホのOSみたいに、充電して寝てる間に勝手にアップデートされると、こんなに楽なことはないんだけど。(小橋)

PUBLIC DESIGN LAB.の活動を2015年に開始した際、当初は市民を中心としたボトムアップの活動をさらに下支えするような「ボトム・ボトムアップ」活動をしていくべきではないか、と考えていた。しかし、活動を続けていくうちに、ボトムアップの活動だけではなく、制度や仕組みを変えていくというトップダウンでのアプローチも重要だということに気づき、PUBLIC DESIGN LAB.の活動の方向性を「公共ネットワークの在るべき姿を探究」する方向性へとシフトさせた。この過程では、とくに地域との関わりというものについての自問自答があった。すなわち、ファシリテーターか当事者か。サービスデザイナーとして価値を生み出す活動に実際にコミットしたいと考えながら、仕組みをつくるために一歩引いた視点でさまざまな地域と関わってきた。近年は、横断的な仕組みづくりとローカルの具体的な活動を往還することが最もよいプラクティスなのではないかと考え、PUBLIC DESIGN LAB.としての活動と合わせて、いち個人として自分の住む場所で「シビックサービスデザイン」の実践にも取り組み始めた。
このインタビューでは、原口氏の活動から地域とデザイナーの距離感ややるべきことについての多くのヒントをいただけた。お忙しいところ、時間を割いて快くインタビューに応じてくださった原口氏に心からの感謝を申し上げたい。また、本インタビューを実施するにあたって、ポニポニの活動にパートナーとして関わっている地域創生Coデザイン研究所の木村 篤信氏にも多大なご協力をいただいた。ここに感謝申し上げたい。なお木村氏はNTT研究所在籍時より地域経営や社会システム転換といった観点からデザインの活用を研究している。ポニポニの活動の今後や地域経営とデザインの活用についてもまたお話を伺えることを楽しみにしている。(小山田)

PUBLIC DESIGN LAB. :https://pub-lab.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?