はら、はらりの感想レポ

ようやく感想書けるということだけども、書く前にアーカイブで復習を…

カメラの露出が高めなのか、演者の顔が白飛びで表情が見にくかったのが残念無念。

ともあれ感想を。

撫子、牡丹双方を通して感じた、作品の根底にあるものは『生き方の選択』かと。劇中の一蓮の台詞にもあったけれども、どう生きるのかではなく、どうやって生きていくのか。

同じように聞こえるけど全く意味の違う言葉。──流されて生きていくのか、生き方を自分で決めるのか。ぼんやり生きてきた自分には痛い言葉…ぐさりと刺さりました(笑)

ユウとミイがいたしてるときにミイの口に繋がった一蓮との赤い糸。最初は魂の繋がりで縁をイメージしているのかと思ったのだけれども、あれはミイに宿った生命と一蓮が繋がったことをイメージしていたのだろうか?

吉原編の最初のシーン…吉原が焼け落ちてることから明暦の大火かな?清花が一蓮を突き放した理由が最初は理解できなかったが、何度か見ているうちに、豊島屋での地位を一つでも上げたかったからなのではないかと気付く。

姉花魁たる高雄に従事していたせいか?人を貶してでも一番手に上がろうとする執念は恐ろしくもあり、悲しくもあった。

一蓮を貶めるために黄蝶や花香に刺さる言葉をささやいたり、一蓮を絶望させるために嘘をついたり…そのために縁が切れて、糸が自分に絡まって…この『地獄』に産み落とした母親を呪った言葉がとても悲しげだった…

高雄は牡丹と撫子でこうも違うのか!と驚かされるくらいに演じ分けがなされていた。台詞は同じなのに演技一つでここまで違うイメージになるのは驚嘆の他ない。

牡丹高雄は言葉の一つ一つに圧力があり、観ている者をガンガン殴りつけてくる(失敬)演技であり、撫子高雄は研ぎ澄まされた日本刀で斬りつけてくる(失敬)演技であった。これは心地よい戸惑いだった!新鮮だわ…

高尾程ではないが吉乃の違いも顕著だった。撫子吉乃は兄様アイシテマス感を惜しげもなく振りまき、独占欲の高さが目立っていた。かたや牡丹吉乃は武家の娘としての立場を弁え、表向きには凛とした態度をとっていた…が兄を独占したいという我の強さは負けじ劣らずというところか。

逢瀬の巻を見ていたときに、目は自分で潰した…?と思っていたが正解だったようで、そこを兄様に告白するシーンは「妹」を脱ぎ捨てた「女」が突然現れたようでぞくりとしてしまった…

八兵衛と佳の江の心中は衝撃的だった…

黄蝶の密告によって降って湧いた30両もの借金。現在の価値に合わせると1千万くらいか?年季明け間近でのこの足枷は絶望するのは十分だったのか。足抜けを選ぶ道もあっただろうが、彼らが選んだのは未来で結ばれるという哀しい選択。ここは何度見ても泣いてしまった…

ユウとミイの違いも大きかった。撫子ミイはユウに依存しているように感じ、牡丹ミイはユウに立ち直ってほしいと甲斐甲斐しく世話をしているように感じた。どっちにも共通しているのはユウが駄目男というところですが(またまた失敬)

ミイと高雄の立ち位置が入れ替わるシーン、ミイと清花の立ち位置が入れ替わるシーン。生き方の選択一つで同じ道を辿ってしまう哀しさ。女性優遇だと騒ぐ輩もいるけども現実は全然そんなことはなく、男だろうと女だろうと力無きものたちは生き方を選べない。

生き方を選べないならばそのまま流されて生きていくのか?それともいつかきっと開ける未来を見据えて生きていくのか?清花は前者、ミイは後者だと考えてます。行き方を決めたユウとミイを祝福するように周りで踊るオンナたちが春の訪れを表しているようでとても美しく救われたシーンだった。

最後に。

この物語に欠かせなかった赤い縁の糸とオンナ。過去と現代を繋いで紡いだ、どちらが一つでも欠けていたら話が成り立たなくなってしまうくらいの表現力を持った演技でした。赤い布一つでここまで表現できるのか…と妄想大好き人間には堪らない表現方法でした

長々と感想を書きつらってしまった…ここまで読んでいただいた方、つたない文章でしたがありがとうございます。

一人でも多くの人にこの物語の素晴らしさが届けられればいいなと思っております。 (大豆)



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