殴り書き ー 姿無きセルフ飯テロ
ふと思い立って、パソコンを立ち上げた。
起き抜けや移動中……ありとあらゆる隙間時間に気がつけばポチポチといじっているスマホ。機械化して便利になったバイト先のレジの液晶。テレビにゲーム機に、果ては調べ物をしに何となく画面を眺めるパソコン。
一日中酷使された目が限界に達したので、もう寝るつもりでそのパソコンを閉じたはずだったのに、だ。
専門学生時代から使っているHDDを差し、学校で使った小説のデータが入っているファイルを開いた。
卒業以来開いていなかったそれは、思ったより中身が少なかった。
もっと書いていた気がしたんだけどな、と笑いながら、カーソルが一番近かったテキストファイルを開く。
日付と氏名だけのデータ名では分らなかったが、学生時代、自分の中で1、2を争うほど好きだった作品が映し出された。
ゆっくりと目で文字を追い、カリカリ、とマウスのホイールを転がす。
3000文字の制限の中、まだ巧い表現など識らなかった初心者同然の僕が、愚直な表現で、拙いながらも完成させた作品。
これを書き上げた、そのすぐ後。元来あった諦め癖が悪化してしまって、つまらなかったり、指摘されたり。書いていて楽しくなくなったら、仕上がる前にやめてしまう事が増えた。
そんな僕の、伝えたい事が何一つ分らないながらも、完成まで辿り着いた数少ない作品。
でも、パソコンを開いた理由はこれじゃない。
読みたかったのは、これじゃないんだ。
右上のバツ印をクリックし、懐かしの駄作とは別れを告げた。
カチカチ、カチ、と、クリック音だけが部屋を支配するが、それもすぐに無くなった。
そういえば、何が見たいんだっけ……。
時刻は午前3時半。普段の自分なら既に眠っている時間だが、今日は少々探し物に夢中になりすぎてしまった。
というか、元々寝るつもりでパソコンをシャットダウンしたのに、眠いとき特有の突拍子もない思考のせいで、こんな行動をしてしまった。
そんなまともとは言いがたい頭で、すべて過去の自分が書いたとはいえ計何万字も読んでいたら、目的の1つや2つなど軽く吹っ飛んでしまうだろう。
……少なくとも僕は。
はて、何だったかな。と首を傾げ、マウスから手を離し、ドロップスの缶に手を伸ばす。
キャラクターの絵が描かれた、所謂店舗限定の品ではあるが、中身はその辺で売っているものと同じだ。
缶を逆さにすると、心なしか市販のものより小さいピンク色の飴が、手に転がってきた。
その独特の形状をしげしげと観察して、口に放り込んだ。
ずっと閉じていた口に溜まっていた唾液と、溶けた飴の表面が手を取り合い、桃の香料であろう風味が口の中を満たす。
その甘味にうっとりするもつかの間、胃に溜まるものを寄こせと腹が文句を言い始めた。
……ああ、そうだ。そうだった。
缶をマウスに持ち替え、意思を持って軌道を書くかの如く、机に擦りつける。
今度のデータ名はわかりやすく書かれていたので、すぐに目的のものが見付かった。
学生の時、後輩の作品で、とても気に入ったものがあった。
授業で読み回しをするとき、ダウンロードしたものがそのままファイルに残っていたのだ。
この時のお題は、飯テロ。文字だけで、いかに美味そうに魅せるかという内容だった。
あの日僕の作品は、自分の人生の中で一番といって良いほど褒められた自負があった。
しかし、僕が一番心を動かされたのは、彼の文だった。
目を擦り、懐かしい文字列を視線で追う。
男がチェーン店の牛丼を食べるだけのシーンなのに、どうしてこんなに腹が減るのだろう。
胃袋が盛大に悲鳴を上げる。だが部屋に小腹を満たせるものはないので、仕方なくドロップスを噛み砕いた。
短い物語が幕を閉じたのを見届け、椅子の背もたれに身を預けた。
そういえば、これを初めて読んだ日も、牛丼を食べに行ったっけ。
……給料が出たら、また食べに行こうかな。
光が射し込むカーテンの向こう。夜明けを告げる小鳥の歌を彩るように、ドロップスの缶が開く音を鳴らした。
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