親友
親友ってなんだろう。
私は、今年40歳になる。
私の友達で今も友達として連絡を取り合っているのは、
小学生時代の友達数名(SNSで最近つながった)
高校時代の友達1人(SNSで最近つながった)
大学生時代の友達1人(卒業後何年も会っていなかったが、結婚式に呼んでくれて以降たまに連絡を取り合っている)
会社員時代の友達1人(転職後ほとんど会っていなかったが、お互いが結婚して子供をもったことで再びたまに連絡を取るようになった)
くらいだ。
どの友達も当時私が「親友」と呼んでいた友達たちではない。
小学校の友達は、たまたま同じクラスだった子たち。
高校の友達は、たまたま同じ係だった。
大学時代の友達は、たまたまおなじ寮の同じ階だった。
会社員時代の友達は、たまたま同じ海外営業部で隣の席だった。
私に親友が、いなかったわけではない。
むしろ私は、特別に親しく想う友人が、人生の節目節目に常に1人、2人は、存在した。
中学時代のMちゃん、高校時代のYちゃんとYちゃん、大学時代のKちゃんとMちゃん、社会人になってからのSちゃん。。。
しかし、心底から「親友」と呼んだ彼らとは、誰一人として繋がっていない。
きっと私が人との距離を上手にとるのが苦手だからなのだろう。
近づきすぎて嫌なところが見えてしまったのかもしれない。
友達に近づきすぎると「友達」というより「恋人」みたいな感覚になってしまうのだ。
肉体関係などはなくても、相手に何かを期待することが強くなると「恋人」みたいな感覚に簡単になると思う。
この気持ちをわかってほしいとか、話を聞いてほしいとか、私も頑張るからあなたも頑張ってとか、一緒に頑張ろう、寂しいから一緒にいてとか。
若い頃の私は、金にも困っていたし、家族とも縁が薄い寂しい人間だったので、よく友達に縋って過剰に期待してしまっていた。
同年代の女子からしたら正直言って重かったと思う。
そんな「恋人」のような近すぎる関係には失望がつきもので、いつかは別れがやってくる。
「親友だから」と思っていろいろ無理をしたり我慢したりしすぎると同じ分量失望もする。
自分の寂しさを相手への愛情や誠実さに変換してそそぎ込みすぎると、相手はそれにこたえるのに疲れていつの日か逃げていく。
結局、今も長く続いている友達は、「親友」と思ってこなかった子たちばかりだ。
彼らは、私にとってただ「同級生」であり、「当時の同僚」であり「同じ寮だった子」である。
私は、彼らのいうことややることに一喜一憂したりすることもない。(子供が生まれり、相手の家族に不幸があったりした時に「祝福」や「お悔やみ」の気持ちを抱くことはもちろんある。)
彼らも私に対して強い執着やこうして欲しいという希望もない。
たまに思い出して会ったり、SNSで彼らの近況を見ると「へ〜そうか」と思うだけ。
ひたすらに、どこまでいっても他人事な感じで流せる。
期せずして、うまく距離がとれたまま付き合いができているということなんだなと思う。
まさに奇跡。自然の与えし巧妙。
若い頃は、「親友」に憧れた。
「親友とは、お互いを理解しあって、お互いに高めあって、信頼しあって、お互いのために尽くす」というイメージだったと思う。
今思うと、まるでディズニー映画の恋人たちのようなイメージだ。
綺麗事過ぎて現実にやろうとするのは無理がある。
さらにそれを継続するのは、大変すぎる。
「おいおい恋人や結婚相手でもそんなに硬い絆で120%純粋に結ばれあってやしないぜ。そこまでの高みをクソ真面目に追求しなくてもいいんだよ そんなことしなくても誰もあなたを責めないよ」って今の私は昔の私に教えてあげたい。
40歳の今、「親友」についての私の見解はこうである。
「親友」とは、自分ではなく運命が決める。
たまたま同じクラスだった、たまたま同じ職場だった、たまたま同じ習い事をしていた。
そんな人と人が、なんとなく一緒にいて同じ時を過ごした。
そして時が経ち、離れる。
そして、まだお互いに別の場所で今も生きてる。
その縁は、途中で切れるかもしれなくて。
でもそれはそれでよくて。
とりあえず毎日それぞれ生きてる。
そういうのが続くと「親友」で。
それって、自分じゃなくて運命が決めてるんだと思う。
だから私はその人の良い友人であるために何かをしないといけないこともないし、その人は私の良い友人であるために何かをしないといけないこともない。
少なくとも私は、そう思っといた方がいいなと思う。