理解と不理解の溝は、言葉じゃあわからない。「私は君を理解しているよ」と言われても、口先だけ弄している、と疑念は晴れない。

また、態度で示されても、本当かどうかわからない。一時的な演技なら、その気になれば誰でも出来る。


それなら「理解しようと頑張ってくれている」状態が最上位なのではないか。現状では不理解であろうと、近づく可能性はあるし、可能無限的に理解に到ることも出来る。

その延長から、「あたなを理解する意思は欠片もない」という人間を自身から遠ざけるだけで、「私のことを誰も理解してくれない」と悩む必要はかなり薄まるのではないか、と考える。一歩も歩まない者は必ずどこにも到れないが、歩む者は必ず進んでいるからだ。

100%だけが理解じゃあない。30%の理解度でも、テストで点を取れるだろう?


人に言わない心の裏、久々に言葉になったよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?