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私はどこに向かっているのだろう

もう、こんな事を考え始めて何年立つのだろうか。
理学療法士として勤務し始めて、
いま現在はいわゆる”中堅”といったところだろう。

入職して数年は、自分なりにがむしゃらだった。
わからないこと、疑問を先輩に質問し、調べ、様々な勉強会に参加した。
コロナ禍ということもあり、
実技講習はほとんど中止になり、資格取得にも目を向けた。

”あなたは何者にもなっていない”
そう言われたのが懐かしい。

今は、”何者かになったのだろうか”
そして、あの人は”何者”なんだろうか。
最近、そう思う。

改めて考えてみた

私の目標とは。
したいことは何か。

家があり、車があり、すぐに数え切れるだけの友人がいて、
大きなトラブルに巻き込まれることなく生きているこの日々があることが
私にとって幸せなのだろうと感じたりもする。

五体満足で生まれてきて、
大きな病気にかかることなく現在も生きていることに幸せを感じる瞬間もある。

つまり、私にはたいそうな目標もないし、何かしたいこともない。
恐らく、今後も出てこない気がする。

今思うと

子供の頃からそうだった。

サッカーを小学生の時から始めたが、別に興味もなかった。
母親から勧められたのが始まりだった。

最初は、初心者でよくわからないのに
聞いたことのない専門用語で声を上げる大人達に腹が立ち、
すぐに辞めようと思った。

しかし、辞めさせてくれなかった。
今は、あの時無理やり続けさせてくれて本当に感謝している。

そして
6年生になるまでサッカーが楽しいと思ったことはなかった。
5年生になってから、新しい指導者に出会い、すごく上達したことを覚えている。

”君たちは下手くそだよ” ”上手くなりたかったら練習しろ”

その指導者が言った。
毎日練習した。その結果だろう。
6年生になってからサッカーが楽しくなったし、好きになった。

私のアイデンティティ

恐らく、私は何に対しても興味が薄い。
観たい映画もないし、行きたい場所もないし、大した目標もない。

それは、恐らく仕事でもそうなのであろう。

別に、”この疾患の人を診たい”、”教育現場に立ちたい”、”管理者になりたい”
などの目標やいわゆる”やる気”みたいなものはない。

ただ、”つまらない”。
この業界は、勉強しても勉強しても足りないくらい幅が広いし、更新されていく。
そして、”絶対に正しい”というものが恐らく存在しない。

恐らく、この感情のまま生きていく

私には”やる気”はない。
しかし、仕事にはある一定の譲れない部分を持ってやっているつもりだ。

大した目標はないが、
経験値は積んでいこうと考えているし、
恐らく私は勝手に積んでいく。

なぜなら”つまらない”から。

自分の能力に失望する瞬間、まだ足りていないと思う瞬間、
成長速度が遅くなっている環境に属していると感じる瞬間に
”つまらない”という感情が湧き出てくる。

だんだん何が言いたいのかわからなくなってきたのでここで終了する。