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ありのままの自分を出せますか?

人の目を気にせず、自分らしい行動を
いつでも選択できたら、どれだけ
ストレスが減るだろうか。

自分をさらけ出して、楽に生きたい。

そのように考えるも、さらけ出す事が
逆にストレスになる。
何故?
人の目が気になるから。

自分らしさをすべて出して
生きていくことって出来るの?


何故自分を出したいのか

そもそも何故ありのままの自分を
出したいのでしょうか?

「楽だから」
→楽?何が?
「気を使わなくて楽」
→誰に気を使う?
「相手に」
→なぜ?
「嫌われたくないから」
→嫌われる?
「自分も嫌いと思っている部分を
出したら、やばい奴と思われる」

→そうなると?
「避けられたり、周りに言いふらされ
たり、孤独になるかも、仕事ができ
なくなるかも」

自分を出さないのは、集団から
外されないように自分を守りたいから。

自分を出したいのは、嫌われないように
対応するストレスが大きく、
そんな自分は好きじゃないから。

なぜ自分を出したいのか。
・自分の苦悩を少なくするため。
・自分を好きになるため。
・嫌われないための行動はベストでは
 ないと分かっているため。

人の目が気になる事の核心

なぜ、人の目を気にしているのか。
なぜ人から嫌われない事が必要なのか。

人の評価で自分の価値を見出している。
なぜ自分の価値を人の評価に委ねるのか
それは、
自分を無価値な人間だという思考がある

そのために、人から評価され、
自分は価値ある人間だと証明したい。
そのために完璧に物事をこなさなくては。
そんな思考があるかと思う。

②人は攻撃してくる危険なものと思っている
嫌われたくない
その真相には、
「嫌われると人から攻撃を受ける、
攻撃されると命の危機になるかも。
何とか避けなければ」

このように考えると、他人の事を
不信、疑念、危険、敵、非情
などの言葉が根底に根付く。

そのような思考がある人は、
他者に対して自分がそのように
考えている傾向はないでしょうか?
だから、他者もそのように考える
のではないか。と思う過程があると
思います。

③集団から外されると不安
人は集団の中で暮らしてきており、
一人よりも集団の中にいる方が安全
という本能的な概念があるのかも
しれません。

役に立っていない、変な人と思われる
そう思われると集団から外される。
外れれば安全が失われる。

これらのような考え方が無意識に
判断材料となり、反応に至って
いませんか?

人は協力者・味方・共同体

人を攻撃的で危険なものという
考え方ではなく、
味方であり、協力してくれる人で、
助けてくれると捉えると、
見る世界がどのように変わりそう
ですか?

少しずつでも「人が危険」だから
人に好かれるため自分を隠すという
行動から脱却して欲しいと思います。

もちろん攻撃的で傷つける人も
いますよね。
でも大多数は協力や味方でいたい
と思っているのではないでしょうか?

人を疎外したり、傷つけることは
したくないと思うのであれば、
きっと周囲の人もそう思っています。

自分らしさを出す

自分の思考と行動を振り返ると、
人を助けることは、
喜んでもらえる=安全性が向上

助けてもらうことは
無能と思われる=危険性が向上

助けることは積極的だが、
助けてもらうことは極力しない。
そんな行動パターンだった。

そして、その根底にあるのは、
自分を守るための行動
であると気づきました。

つまり自分を出さないのは
自分を守るため。
自分を出したいと思うのも
自分を守るため。

自分を出したいと思う動機に
「他者のために」
という理由もあると良い。

自分のすべてを出せればよい
という訳ではないと思う。
保身のための行動は変える。
他者貢献している自己の理想に
近づくための行動を抑制しない。

まずは出来る事を少し
チャレンジしてみては如何でしょうか。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

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