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ありのままの自分を出せますか?
人の目を気にせず、自分らしい行動を
いつでも選択できたら、どれだけ
ストレスが減るだろうか。
自分をさらけ出して、楽に生きたい。
そのように考えるも、さらけ出す事が
逆にストレスになる。
何故?
人の目が気になるから。
自分らしさをすべて出して
生きていくことって出来るの?
何故自分を出したいのか
そもそも何故ありのままの自分を
出したいのでしょうか?
「楽だから」
→楽?何が?
「気を使わなくて楽」
→誰に気を使う?
「相手に」
→なぜ?
「嫌われたくないから」
→嫌われる?
「自分も嫌いと思っている部分を
出したら、やばい奴と思われる」
→そうなると?
「避けられたり、周りに言いふらされ
たり、孤独になるかも、仕事ができ
なくなるかも」
自分を出さないのは、集団から
外されないように自分を守りたいから。
自分を出したいのは、嫌われないように
対応するストレスが大きく、
そんな自分は好きじゃないから。
なぜ自分を出したいのか。
・自分の苦悩を少なくするため。
・自分を好きになるため。
・嫌われないための行動はベストでは
ないと分かっているため。
![](https://assets.st-note.com/img/1717767803333-WtlNF12Ajt.png?width=1200)
人の目が気になる事の核心
なぜ、人の目を気にしているのか。
なぜ人から嫌われない事が必要なのか。
①人の評価で自分の価値を見出している。
なぜ自分の価値を人の評価に委ねるのか
それは、
自分を無価値な人間だという思考がある
そのために、人から評価され、
自分は価値ある人間だと証明したい。
そのために完璧に物事をこなさなくては。
そんな思考があるかと思う。
②人は攻撃してくる危険なものと思っている
嫌われたくない
その真相には、
「嫌われると人から攻撃を受ける、
攻撃されると命の危機になるかも。
何とか避けなければ」
![](https://assets.st-note.com/img/1717767927870-4j0NPlXCpO.jpg?width=1200)
このように考えると、他人の事を
不信、疑念、危険、敵、非情
などの言葉が根底に根付く。
そのような思考がある人は、
他者に対して自分がそのように
考えている傾向はないでしょうか?
だから、他者もそのように考える
のではないか。と思う過程があると
思います。
③集団から外されると不安
人は集団の中で暮らしてきており、
一人よりも集団の中にいる方が安全
という本能的な概念があるのかも
しれません。
役に立っていない、変な人と思われる
そう思われると集団から外される。
外れれば安全が失われる。
これらのような考え方が無意識に
判断材料となり、反応に至って
いませんか?
人は協力者・味方・共同体
人を攻撃的で危険なものという
考え方ではなく、
味方であり、協力してくれる人で、
助けてくれると捉えると、
見る世界がどのように変わりそう
ですか?
少しずつでも「人が危険」だから
人に好かれるため自分を隠すという
行動から脱却して欲しいと思います。
もちろん攻撃的で傷つける人も
いますよね。
でも大多数は協力や味方でいたい
と思っているのではないでしょうか?
人を疎外したり、傷つけることは
したくないと思うのであれば、
きっと周囲の人もそう思っています。
![](https://assets.st-note.com/img/1717768111725-gd3hKQsi8N.png?width=1200)
自分らしさを出す
自分の思考と行動を振り返ると、
人を助けることは、
喜んでもらえる=安全性が向上
助けてもらうことは
無能と思われる=危険性が向上
助けることは積極的だが、
助けてもらうことは極力しない。
そんな行動パターンだった。
そして、その根底にあるのは、
自分を守るための行動
であると気づきました。
つまり自分を出さないのは
自分を守るため。
自分を出したいと思うのも
自分を守るため。
自分を出したいと思う動機に
「他者のために」
という理由もあると良い。
自分のすべてを出せればよい
という訳ではないと思う。
保身のための行動は変える。
他者貢献している自己の理想に
近づくための行動を抑制しない。
まずは出来る事を少し
チャレンジしてみては如何でしょうか。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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