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ずっとかぶき続けなければいけない理由

自分の作品は全てフィクションだ、と言い張ることにしている。

もちろん人間の作ることだから「これは実際に何かしらの経験をした者しか書けない」というような箇所は、これまで書いてきた作品中、そこかしこにあるだろうとは思う(どれがそうなのかもはや自分では全く分からないが)。ただ少なくとも、「身の回りに起きたことをそのまま書いた」作品、あるいはそう判断されることを望んだ作品はこれまで一切ない、という自負がある。全て筆者である俺による、無意識・意識的問わず何かしらの強烈なフィルターを配して、采目つるぎあるいはそれ以外のPNで銘打って世に出してきたつもり。

故に、今ここに突如書き始めた駄文は、その数少ない否下手すると唯一の例外となるかもしれない。……まぁ過去にセルフライナーノーツとか出したことあるけど、あれはフィクションであるところの「詩作品」に紐付くものだし、あくまで独立した書き物としては例外ってことで。

何故フィクションだと主張するか。答えはおそらく単純で、書き手本人が「そういう人物だ」と思われたく“ない”からだ。……書いていてとても誤解を生みそうな表現だと自覚しているが、今後読み進めるにあたって、これがいわゆる差別意識、もう少し詳しく言えば「そういう人物でないという自覚から起こる優越感」的なモノではないことは、何卒ご承知いただきたい。

むしろ、逆だ。当の作者本人が、作中主体が持つような特性や関係性(俺の作品は作中主体が二人以上であることがとても多い)を有していないことに起因する諸々のコンプレックスを、代わりに有してしまった無数のフィルターに次々ぶつけ、結果生成してしまった代物を「出来てしまったからには」などと言っていそいそとパッケージングを続けている……という方が感覚的には近いだろうか。

で、そうまで自らの作品の性質に対してある種偏執的に潔白を守ってきた(?)自分が、ここに至って何故急に、ほぼフィルターなしで脳味噌の中身をそのまま書いて作品とみなすとかいう、こんな真逆のことを始めたのか。これも答えはおそらく単純で、一言で言えば「そろそろ“解毒”しないとヤバい」と思い始めたことによる。

もちろんTwitterとかではとても気を抜いて意の赴くままに言葉を発しているつもりではあるが、如何せん1回140字では本当に喋りたいことがあっても、そこに到達するまでの区切りが多すぎて訳のわからないことになってしまう。フィルターを何重にもかけて作品を生成しているが故に、「そこに使われなかった何かしら」が澱のように自分の中にどんどんどんどん積もってゆき、折しも昨年以来のコロナ禍で多少なりともそのストレスを発散させていた手段がことごとく制限されてしまい、結果、社会生活に悪影響を及ぼし始めているのを疑うレベルにまでなってきている。
端的に言えば、ここ最近全くと言っていいほど仕事に集中できないのだ。

うん。不健康だ。いや安易にてめえの社会的能力のなさを見て見ぬふりで責任転嫁すんじゃねぇと叱咤する向きもあろうが、一応「これまで難なくできていたことが次々としんどくなっている」というところまで自覚し、その原因を長い期間あれこれ思慮した上でのこの結論だということはご理解願いたい。

コロナ禍については、もう毎日毎日関連のニュースやコラムが溢れ返るほど様々な情報や視点があって、それを閲覧するだけですでに自分の脳味噌はかなり圧迫されている。あまり今の時点で、何が悪いとか誰が悪いとかも極力言いたくない。引き返せなくなるし、そんなくだらない事でエネルギーを浪費したくないからだ。とにかく自分にとっての最善の道を探しながら生きていくしかないが、ただでさえ行き場のないマイナスのエネルギーをこれ以上継ぎ足されながら、なお今手に持っている武器や装備だけで無理やり生きようとするのは、遠くない将来自分にとっても、また自分にほど近い人間たちにとっても、この上なく不幸な結果しか招かない気がする。

年齢がどうとかあまり口にしたくはないが、もう俺は三十路も超えてそこそこ経った。あえてこの言葉を使うなら「青春」は過ぎて、「朱夏」の中にいる。生き上手であること、老獪を目指すこと、もうそこに恥ずべき要素は何もないんじゃないか。かぶき続けて生きていくのなら、やはり同じだけ、かぶかない瞬間も必要なんである。

(よしタイトル回収はOK。……あれ「唯一の例外」とか言っといて今後もまだ駄文書くつもりなんかーいってオチにしようとしたのに、なんかよくわからん感じになってしまった。えーととりあえず今後ともよろしく……?)

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