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付箋は短冊のように

先日、とは言ってももう先月の話だが、あるワークショップに参加した。

声をかけてもらって恐る恐る参加したのだけれど、それなりに思いが残るものになった。今やりたいことよりも、かつて「そうなりたいって思ってたよなぁ」の自分と向き合う時間になったからだ。

■犬と暮らしたい:これは今も思ってること。
■写真を撮る人になりたい:そう思ってカメラを買ったのだ、昔。
■昔の友人に会いに行きたい:転校が多かったし、日本中に(もっと言えば世界中に)散らばってる友達に会いに行くっていいよな。
■新しい友人に出会いたい:まだまだこれからも気を許せる人が出来たらいいなって思ってる
■寄席に入浸りたい:これはずーっと思ってる。やる、必ず。
■自分の為の「住まい」を整えたい:今は母と暮らしてるから結局母仕様なんだよね、家。だから、ちょっとだけ先の話。
■島に暮らしたい:一時期暮らした町の瀬戸内海がすき過ぎて、そう思っていた頃があった。犬と島で暮らしたい。

などなど、一つ思いつくと出てくるものだ。昔の私がどんどん発言してくる。この、叶えていない私に。
本当にできるかは置いておいて、列挙して書き上げていくことが重要だ。言語化の力だ。短冊に願いを書くような気持ちが、一行一行をいとおしくさせる。私も何かを願ったことがあったじゃないか、と。

これからもどんどん書き続けるといい、と言われた。教えてくれた彼女は小さな付箋に書き残してノートにびっしり貼っていた。優先順位が変わったり、あっちとこっちが繋がったり、もう叶えたりしたら移動させて、事あるごとにそれを眺めて、自分を整えているようだった。面白いなと思ったのは、叶ってもそれを捨てないこと。叶えた付箋ゾーンが別にあってそこに自分の為に叶えたことが羅列されていくのだ。それを眺めるのもまた素敵だよな。極端な話、死ぬ間際に眺めていたいページじゃないか。

私は日々、思いついたことがあっという間に消えていく暮らし方をしてる。ノートに並べないまでも、私も付箋を使ってできるだけ残そうと思うようになった。バッグには小さめの付箋がいつも入ってる。最近は本を読んだ時にそのページで引っかかった言葉を書き写してそのページに貼り残してる。線を引く人もいるんだろうけど、いつも同じ言葉が響くわけじゃないから付箋はちょうどいい。

目標や目的を忘れて今の自分を甘やかすことがあるけれど、いつか過去の自分に叱られるのは現在の自分しかいない。やりたいと思ったことを書き残しておくことは、過去の自分との小さな約束になる。叶えてなくても、今もっと大事なことがあるなら納得できる。重要なのは知っておくこと。私が何をしたい人なのか、何をしたかった人なのか。

書き上げてしまったら、出来ていない自分を責めてしまいそうだけど大丈夫。思い出してあげようよ、昔の自分のこともたまに。今できなくてもいつかできるかもしれないし、導いてくれる人に出会えるかもしれない。
老いていく体は止められないけど、あの頃抱いた夢なら取り戻せる可能性はあるんだ。


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