内緒話も響く場所で

かつて「おばあちゃんち」と呼んでいた家は借家で、風呂場と洗濯場をあとから増築した家だった。私は当時母と二人でお風呂のないある工場の上のアパートに暮らしていて、年中銭湯に通っていた。そもそもその生活レベルの私には、コンクリートに浴槽を置いただけのような場所でも、家につながっているお風呂場での入浴は贅沢なものだった。

今思えば本当に小さな、物置みたいなところだったと思う。見上げると多分私が使ったであろう赤ん坊の湯船が括り付けてあって不思議な気持ちがしたものだ。湯船を見ながら湯船に入るのだ、逆を言えば湯船に見られて湯船に入っていたことになる。

とは言え一人で入るのがどうしても怖くて、いつもおばあちゃんと入っていた。一つにまとめた長くて白い髪をほどく姿は、子供ながらに特別な時間に思えた。日課として彼女はいつも湯船に入りながら歯を磨いていた。そこで磨く方がいいくらい、日々忙しかったのだろう。

時が経ち、社会人になって10年以上過ぎた頃に出会った、ある立ち飲み屋の私よりいくつか若いマスターが、そこらの女子もうらやむほどのもち肌の持ち主だった。そこらの女子の一人の私はいつもそのことを褒め、彼は一つも嫌がることなく、むしろ惜しげもなく賛辞を受け止めていた。

ある日、彼が言った。「ぼくは肌のために何をしてるわけでもないですけど、一つ思い当たることがあるんです」と。聞くと「湯船につかりながら、歯を磨いている」のだと言う。歯医者に聞いたら、それは若返りになるんだそうです、とエビデンスまで話してくれた。

なんだ、あれじゃないか。うちのおばあちゃんじゃないか。妙に納得をしたものだった。勿論おばあちゃんはそんなこと知らなかったとは思うけれど。

また時が経ち、私は寝る間が欲しくて歯ブラシを浴室に持ち込んだ。最初にゆっくりつかる時何もしないのがもったいなかったからだ。お陰様で洗面所での歯磨き時間の分だけ、夜時間に余裕が生まれたので継続している。

ようやくまた思い出した。おばあちゃんと同じことしてる、いやしかも若返りにつながるって言っていたっけ。知らぬ間に体にいいことを始めていて、おばあちゃんとあのマスターを思い出していた。歯磨きがただの歯磨きの時間ではなくなったのだ。

大人になった今、あの小さな小さなお風呂場が自分が入れる世界で唯一のお風呂だった頃を思い出している。たまに洗い場で見かける虫の黒い影におののきながら、逃げるように湯船に飛び込んだあの時を。いとおしくてたまらないのは、既にその家がこの世界のどこにも存在しないからだ。かつての唯一のお風呂は今や私や母や叔父の頭の中にしか存在しない。

マッチ売りの少女がマッチを灯すあの時間みたいだ。私は歯を磨きながら二度と入れないあの湯舟を、あの時見上げた小さな湯船のように思い出している。若返りより、あの時あの場所に戻ってみたいと思いながら。




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