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縁あってここで会う

元気な人に会うと「元気をもらった」という感覚を持つ。前向きな人に会うと「なるほどそっちの方角ね」と見えてくるものがある。逆に人の言葉の裏ばかり読む人と会うと「もしかしたらこう思っているのかも」と考えたこともないような疑い深さを宿してしまう。

影響されすぎ、と思うけども、自分と言う入れ物はそうして別の視点を得ていると思う。だからこそわざわざ会いに行くのなら、いい影響を受けたいものだ。それは連鎖すると思うからだ。

今日会った女性は、根っから元気で前向きな人だ。私は彼女に会いたくて会い、やはり元気と良い視点をもらった。彼女の多くは知らないが、いつも受け取るものだけで信用している。

そう、多くを知らなくていい。私と彼女が出会って、影響し合って何かを生み出せたらそれ以上何を望むというんだろう。そこから新しい何かにまた出会い次も生み出せたら尚のこと。一人じゃないってそういうことだ。

*  *  *  *  *

朝のゴミ捨て場。すぐ脇のお宅の屋根にカラスが一羽、何かを探したいようにこちらを見ている。今日はプラスチックごみの日。君が欲しいものはないはずだよ。そう言ってみたところで通じないし、飛び去ろうとしない。

最近のカラスは鳴かないな、とふと思う。ゴミのスケジュールも感じながら人々の生活の端端にひっそりと暮らしている。昔と今ではゴミ事情も違うだろう。静かに近づいて、ごみをつつく隙を見ているのかな、そんなこと。神話では白かった姿を黒くされ美しい声も奪われたと聞くけど、その声さえ奪われてしまったの、また何かしちゃったの?とも。

お互いそばで暮らしていると、影響し合ってよくも悪くも変わっていく。ゴミを荒らそうとしてることは褒められないけど、艶のある漆黒の羽根を見るとほれぼれするから、ゴミ捨て場でカラスに会うと少しうれしい朝になる。

おはよう。あなたの羽根、きれいなものだね。でもだめだよここは。

飛び立つ姿をみて「伝わったのかな」と気持ちが少し上を向いた。









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