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集まってわいわいするのが楽しいしストレスケアになるのよね

 昨年度の学会発表を機に,SNS上でしかつながりがなかった方々とリアル(オンライン含む)でお会いする機会が増えた。元来人見知りの私,その昔出会い系サイト(昔はアプリではなくウェブサイトじゃったんじゃ…ヨボヨボ)はいくつか利用したことはあったけど,実際にお会いしたのは2人ぐらいだけ,しかも1回こっきり会っただけで終わっている。…っていう突然の自己開示なんでしたんだろーな…,多分疲れているから。
 私の恋愛遍歴(って言えるのか?)はどうでもいいとして,とにかく人と会うのはとてもハードルが高い方である。未だに店員さんに上手く話しかけられないし,スタバではいつも緊張して変な苦笑いしかできない。ウィットに富んだスマートの会話というものをしてみたいのだけど,長い沈黙の後に突然の自己開示か,己の持ち合わせている最大限の情報出力しかできないので,会話のペースを人に合わすことがほとんどできない。端的に言って変なBBAなのである,自覚はある。それがどうしたものか,最近は可能な限り人と会ってみよう,会ってみてもいいかもな…と思えるようになった。なぜだろう?コロナ禍のひきこもり生活の反動?真相はよく分からないけど,臨床をやってて「もっとちゃんと人と会って関係しないとダメだな」と思うことが増えたように思う。

 最近特に思うのは,人はひとりでも生きていけるけど,やっぱり誰かや何かとのつながりがないと死んでしまうかもしれない,ということ。ストレスが高ければ高いほど,誰かに愚痴ったり不満を吐き出したりしたくなる欲求は誰にでもある。それがリアルな対人場面かSNSなどのオンラインかは,個人の嗜好によると思う(この辺,もっと学術的な記述ができると思うし,それこそ論文一本分の話題でもあるけど,私にはそんな知力はないのでさらっと通り過ぎる)。
 私が20代の頃,もう25年前(!)の話になるのだけど,当時はインターネットの使用やパソコン所有が割と一般的になり始めた時期で,個人のホームページを作ったりするのがちょっと流行っていた。そうこうしているうちに,今はいにしえのツールになりつつあるブログや初期のSNSが普及し出し,ネットでの交流が徐々に活性化していった時期だった。新しもの好きな反面めんどくさがり,変に怖がりなところもあり,個人ブログを始めるかホームページに手を出すか迷っていたのをSEの友達に話すと,「ブログが簡単だから,まずはそっちをやってみれば。それで行けそうだったらホームページ作ればいいんじゃない」と言われて,ブログに手を出した。
 初めて見るとこれがなかなか面白くて,文才がない私が書いた文章やどーでもいい画像(その頃はまだデジカメから画像を取り込んでいたと思う)をアップすると,会ったこともないどこの誰かまったく分からない人からコメントがついて,何だか何も取り柄がない自分が認めてもらえたような気がして,わくわくしていたのを思い出す。自分の記録にもなったし,友達や身内への安否確認の役目も果していた。
 2011年の東日本大震災あたりからSNSが本格的に普及し,ブログを定期的に更新する余裕もなくなっていったので,だんだんツイッターたインスタに以降していった。その頃はまだ,知らない誰かと知り合いたいという欲求も強く,行動力もそこそこあったから,例えば山仲間で登山に行くとか,スキー好きと雪山に行く,同じ居住地の知らない人と飲みに行く,なんてことを結構やっていたと思う。…今思うと,よくそんな体力と金があったなぁ…,遊ぶために稼いでいたところもあったと思う。
 心理職になって経済力が以前より低下し,体力も加齢に伴って低下し,病気をしたりコロナ禍があったりで,だんだん活動範囲が狭まり,趣味の活動も沈静化してきた。それは別に,そういうもんかなぁと思うのだけど,やっぱりどこかで人とのつながりを求めているような気がする。特に,しんどいとき,つらいときは顕著で,そういうときこそツイッター(エックスが言いにくいから永遠に言ってそう…)をやたらと眺めてしまう。どのSNSでもそうだけど,リアルで会うのと比べたらかなり情報は制限されるから,不必要な情報が入ってこなくていいということもあるし,言い足りなくてモヤモヤすることもあるし,メリット・デメリットどちらでもある。私の場合は,勢いで言ってしまったことを後々まで引きずるタイプで,だからこそ自分のペースで考えてことばを推敲し発言するツールが合っているような気がする。それでオンラインの方が気軽と言えば気軽に感じているかもしれない。

 しかし…,である。やっぱり気の置けない人とオンライン会議などで顔出し・リアルタイムでやり取りできる方が,「会った感じ」「話した感じ」は強くする。それに,リアルだったら距離的に会いにくい人たちともやりとりできるのがいい。コロナ禍以前はビデオ会議なる者は使ったことがほぼなかったけど,必要に迫られて使ってみて,今はもうごく普通のものになってしまった。オンラインでのリアルタイムでのやりとりを,「集まってわいわいする」に入るかどうかは議論が必要そうだけど,それで得られる恩恵はそれなりにある。先に述べたオンラインでの打ち合わせは,まさにそれだ。
 リアルの代替になるかどうかは,使う人次第なのかもしれない。よく,子どもがゲームをやりすぎてしまう親御さんとのやり取りの中で話題にするのだけど,ゲームもネットもツール・道具である。何をどう使うか,何のために利用するのかはその人次第。オンライン会議であっても有意義なやりとりをするためには,お互いに配慮するのは当然だし,ルールを守って楽しくやりましょうというのは,リアルの会議と何ら変わりはない。逆に,有意義でないリアルな会議は何が問題なのか考える必要があるのかも…。『モモウメ』のネタでもあるけど,「会議を短くするための会議(3時間)」とか,本当に要るんかね?っていうところから考えないといけないかもねぇ…。

 話がずれまくって,どこにも着地点が見つけられないのだけれど,とにかくオンラインでもリアルでも,同じ志の同志とのやりとりには,本当に救われる。これからもそうした楽しい場を,リアルでもオンラインでもできるだけ多く持ちたいものである。

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