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こういうときこそメンタライゼーションなのかも

 年始に立て続けに惨事が発生して,なかなか心が落ち着かない状況が続いている。被災された方,事故に遭遇した方に思いを馳せ,亡くなられた方を忍び,残された人々に日常が戻ってくることを願ってやまない。インターネットが普及し,情報にいつでもどこでもすぐにアクセスできることは便利ではあるが,人のこころを蝕む装置が揃っている状況ともいえる。当事者たちやそのそばにいる人たちには難しいけれど,自分のメンタルヘルスを維持することも社会貢献につながると思い,不必要に情報に暴露させず,日常を維持することが大事でもあると,遠くにいる人たちには思っていてもらいたい。

 自然災害が多い日本各地では,台風や地震被害などを中心に,太古の昔からその脅威にさらされてきた。だから,「いかに災害が起こらないようにするか」といった意識は,かなり昔からあったのだと思う。一時期,時代小説を好んで読んでいたが,よき統治者の描写のくだりで,治水に関する内容に触れられていた。その土地の平安を維持することは,統治者にとって重要な課題であるし,それは近年まで続いている。そして,過去からの経験によって,現在の日本の防災意識や災害支援の在り方は,かなり成熟されたものになっているのだろう。
 個人的には,大人になって経験した阪神淡路大震災(といっても被災地から離れた場所で看護学生をしていたくらい)をきっかけに,防災や災害支援はより意識するようになった。毎年全国各地で大なり小なり自然災害は発生している。親戚が宮崎に住んでいるのだけれど,多少の浸水は恒例行事と思ってしまうほど,毎年台風では何らかの被害が発生しているのに,はたから見るとケロっとしているように感じてしまう。人って強い生きものだなぁ,と思ったりする。
 私の両親は水難の相があるようで,大きな水害を経験している。一度は私が母のお腹にいるころ,もう一度はそれから30年ほど経った頃。どちらもそれなりに浸水被害にあったが,過ぎてしまえば武勇伝となり,「自衛隊に救助されちゃったぁ」とかのたまう余裕があるくらい。命あっての物種である。そういえば,2回目の水害のときは老犬を介護中だったのだけど,わんこにとってもお空の上で自慢話になっているのだろうか…。

 今回の能登の震災は,そんなもんではないのは重々承知である。久しぶりに実家でのんびり過ごしていたところ,震度3とは言えそれなりに長めの揺れを体験し,心理的にも動揺した。その後もテレビから流れるニュースで津波からの非難を呼びかけるアナウンサーの絶叫が続き,長い時間緊張が続いた。その日の夜は,久しぶりに睡眠薬のお世話になって何とか寝て,わりとスッキリ起きれたのだけど,何となくだるさが残っていた。その翌日には羽田の事故…,運悪く轟々と炎が燃える間をほぼライブで目にしてしまい,「人が乗ってたの?え?脱出したの?死んじゃったの?」とハラハラしながら画像を眺めていた。「全員脱出」の報を耳にしたときには,親と一緒に「よかったねぇ」と脱力したのである。

 SNSを眺めていると,ここ最近はずいぶん棘のある発言が多い気がする。それは自分も含めて。みんな気がたっている。頭では仕方がないことだと分かっているけど,やはりそういうのを見ているのは辛い。被災地の大変さ,救助を求める声,それを支援する様子,非難する人,支持する人…,いろんな声が飛び交っている。以前,X(ツイッター)でもポロっと言ったけど,SNSは沈黙の時間がなく余白がないから苦しいのだと思う。ここ最近はそれが加速しているように感じる。自分のメンタルヘルスを維持するために,見過ぎないように注意はしているけれど,何らかの形で影響は受けている。それは仕方がないこと,日本全体が何らかの影響を受けている。

 話はまったく変わるのだけど,年始にメンタライゼーションの研修に参加した。ときどき「メンタライゼーションって何だっけ?」と思うことがあって,さらっと意味を調べたりしていたけど,何となく自分の中に残りにくく,どちらかというと苦手な部類になってしまった。これはまったくの私の偏見である。機会があったらそのうちに…と思っていたその機会が,今回の研究だった。とても興味深く,前から「普段自分がやっていることと変わりないじゃん」と思っていて,今回も同じように感じたけれど,もっと前向きな,自分のやっていることの裏付けをされたような体験だった。ワークショップもあって体験的な学びにもなり,「メンタライゼーションする」ことの難しさ,専門的に取り組むにはトレーニングが必要なんだと,当然のことだけれどそんなことも感じた。
 そんな体験の後,すでに私の日常になっているX(ツイッター)の世界に浸っていると,何となく「メンタライゼーションんできていない状態なのかなぁSNSの世界って…」と感じてしまった。今は,被災地支援をめぐって,専門家とそうでない人,理解がある人とない人など,両極に分かれてバチバチしているのが目に付く。災害後,特に気になっているのは,やたらと非難したり攻撃的になっている人たち。不安が高い状態を自分で治められないのだろうなぁ…と何となく思っていたけど,メンタライゼーションできない状態なのかも…とも思い始めた。不適切な支援を是とする人たちの中にも,もしかしたらそういう状態にある人がいるのかもしれない。インプレ稼ぎや票稼ぎなど,自分のことにしか目ぇ向いてないやろ!って人たちも,もしかしたらそういう状態なのかもなぁ…。直接当人に会っていないので何とも言えないところもあるけれど,こういう理解も必要なのかもしれない,とか思ったり…。

 心理職の大事な仕事のひとつに,場を見立てて事態を収束に向かわせるよう働きかけることがある。SNSでうろうろしている心理家のひとりとして,心に留めておきたいことである。火に油を注ぐ行為ではなく,みんなで何とか鎮火に向かうように知恵を出し合うことができる環境を整える,そんな発言ができるといいのだけどなぁ…。
 自分にできることには限りがある。自分の生活を維持して経済を回すこと,できる範囲で募金や献血に協力すること,医療負担を減らすために健康に留意すること,これらも立派な被災地支援である。できることをコツコツと,長い目で見て「あのときよりはよくなったね」と言えるように,関りとつづけていきたいもの。とりあえず,今年は金沢一週間行くから,待っててね。

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