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"笑いと涙の異色心理カウンセラー" はなぜ生まれたか?

生まれた瞬間に思考はできないが、
生まれた瞬間にこそ、最高の幸せがあったと今は考えれている。

どんな経験も生まれないと得られなかったから。



祖母と両親の同居家庭で1人っ子としてたくさんの愛を受けて育てられ、勉強や友達づくりにワクワクしながら小学校に入学する。

小学2年生になる直前、クラスでいじめられていた女の子をかばった結果、自分が7 VS 1でいじめられるようになる。
繰り返される悪口の応酬とボコボコに殴られ蹴られる毎日、7人側の言い分しか信じない担任の先生、小学校中で問題児として扱われる。

7歳にして自殺を本気で考え、縄跳びの縄を首に巻き付けたり、左手首をカッターで切ってみたりしていた。

死ななかったのは、
頭に浮かんでくる自分が死んだ後の母の泣き顔、どうにか力になろうとしてくれて「交換ノート」を提案してくれた父のこと。

父母のためにも絶対に死なないと決めて
毎日ストレスでお腹と頭が痛く、通学路がイヤで道に嘔吐しながらも毎日学校に通う。

小学5.6年生になり、自分のどんな発言やどんな行動がいじめっ子に不快感を与えているのかに気づき改善。

いじめがなくなり、友達と言える存在が初めてできる。

言葉や行動が原因となって起こる人の「心」の面白さに気づく。

将来は、小児科の医者になり自分みたいな子どもたちの力になりたいと勉強に邁進。

しかし、中学生になると父母の関係が悪化。
夜な夜なケンカが起こり、物が飛び交う。父はギャンブルや遊びにお金を使い果たし、家に寄り付かない。

ケンカに負けた母は、父母を亡くしており、吐け口は1人息子しかなかった。

散々に父の愚痴や悪口をきかせた後に、「あんたって本当にお父さんに似てるわ」とイヤそうに言ってくる。当時の自分は、「私の嫌いなお父さんと似ているあんたのことが嫌い」と言われているとしか受け取れなかった。

高3の大学受験勉強中には、
「お金がなくて自殺するからあんたは働きなさい。あとのことはもう知らないから。遺書を書いておいたからね。」と母に突然言われ、相談できる人が誰もいないため泣きながら担任に電話で相談。

自殺相談窓口の電話番号を並べたメモを母に渡す。それで思いとどまってくれたが、未だにあのときの絶望感は忘れられない。

自殺を思いとどまれたのは父母のおかげだったが、その父母によりもたらされる苦痛から気が狂いそうになりながら生活する。幸いに学校の環境がよく合い、家に帰らないために学校に残って勉強する。

高校の恩師たちのおかげで
ベネッセ・駿台全国模試
「国語-全国1位」偏差値84
「世界史」偏差値76 を記録

高校2年生の3月11日東日本大震災を起因とする津波で家族のいなくなってしまった子供たちの特集を見たことをきっかけに

「誰がこの子たちのケアをするのだろう?」
と心の支援がしたいと強く思い、

上智大学心理学科に入学。

念願叶い心理学を勉強するが、

・言語的な虐待環境に置かれていた人は、脳の感覚に関する領域に障害がでる
・周りに心から信頼できる人がいなかった子どもは、成人後も人に恋愛感情を持ちづらくなる
・人を信じすぎて詐欺などの犯罪被害にあう可能性が高まる

などの研究を知るにつれて、

自分がまさに生きづらさを感じている様々な事柄が自分の家庭環境・父母のせいであると感じ、憎しみに近い感情を持つようになってしまう。

周りの大学生たちが「家族旅行に行ってきた!」「お父さんに買ってもらった!」などと発言するたびに、考えていた。
家族の意味がわからない。自分にとって家族は、同じ家に居る他人でしかない。家は、寝るためだけに帰るところであって、旅行の話なんてするところではあり得ない。」
家族で遠出したことで唯一残っている記憶は、最後に父母が喧嘩して、父親がストーブを壊して出ていったことだった。

唯一の家族はつらい時にいつも泣きながら抱きしめていた飼い犬だけであり、親には尊敬の念も感謝の念も抱きようがなかった。

大学3年生にもうすぐなるという頃、
あるきっかけから出会った人に、

「君には本当の意味で、感謝できるとか信頼できる人はいるの?」

と言われたことがきっかけで人生が変わる。

当時のぼくには、親すらも「敵」だったのだから、そんな人は0人だった。
改めて自分の人生に絶望しながら、帰宅。
家のドアを開ける。

「ただいま」と言っても人間の声は返ってこないが、
いつもどんな時も笑顔で尻尾を振りながら走ってくる飼い犬が飛びついてきた時に、「たしかに人間には家族はいないかもしれないけど、さくら(犬の名前)だけは本当の意味でも家族だね。」と涙が止まらなくなってしまった。

泣きじゃくりながら、「ありがとう、ありがとう、ありがとう。」を言いながら撫で続けた。

すると、その日から急に、
犬が自分と一緒に同じ布団で寝てくれるようになった。

ありがとうという想いを込め、ありがとうと伝えながら撫でた日には、必ず一緒に寝てくれるようになった。

当時の単純だったぼくは、「感謝ってすげーーーーーーーーー!犬に伝わるなら、人間にやったらもっと効果があるんじゃなかろうか」と考える。

母に悪口を言われようと怒らず、「(毎日生きれるようになんだかんだ衣食住を提供してくれているんだから、)うん、ありがとう」と返すようにしたり、父母の誕生日には今までに買ったことすらなかった誕生日プレゼントを「感謝の形」として渡すようになる。
周りの距離を感じていた友達にも、明るく挨拶したり感謝を伝えるようになった。

1年もそうしているうちに、
まず自分の心が楽になった。
父母は敵ではなくなったから。

次に、母がネガティブなことを言わなくなってきた。なにを言っても、息子が動じず、ありがとうなどの言葉を返されるから。

最後には、「離婚する」と年に100回は言っていた母の言葉がになった。
父はギャンブルに行くことを辞め、日曜には家族の分のごはんをわざわざ買いに行ってくれるようになった。

1つの感謝がきっかけで、
昔に感じていたような「あったかい空間」を感じれるようになった。
家族の意味に悩むことがなくなった。
自分に確固たる自信が持てるようになった。

この体験で人間の幸福に大事なのは、たった1つの考え方の練習であったり、身近な他者との関係性にあると学んだことで、
「自分みたいな人を出さないため、
教科書の丸暗記ではなく、
自分の人生を豊かにする知識こそを知ってほしい。

知ってもらうことが自分の使命だ。

と大学で専攻していた「感謝」や
「脳のパフォーマンス」に関する心理学の研究に没頭。
さらには、養護施設でのボランティア活動・発達障害児の教育・親の家庭教師・キャリア支援・副業構築支援・カウンセリング活動に取り組む。最高年間200人以上。

手段として、高校時代の恩師からの助言もあり、Teach for Japan 9期生として少なくとも2年間教師になってきます。

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