無題

死にたいと思う。

きっと本当の本当に試練に満ちた人生を歩む人々はこの世にごまんといるし、私は恵まれているし、弱いのだと自覚もしている。これは自虐でも、過小評価でも、ましてや自己への卑下にも似たひねくれた気持ちなどでもない。ただ事実としてそうなのだと、私のこれは甘えであるのだと、理解している。

隣に眠る人の顔を見つめる。
この人は私が姿を消したら、泣くだろうか。

ひと月ほどではあるが、会っていない両親を思う。
馬鹿なことをと憤り、悲しむだろうか。

死ぬことは怖い。
自分という人間としての「容れ物」が壊れて、その意識が外世界へ拡散し、やがて無に等しく薄まることを想像するのはおそろしい。
けっきょく、この瞬間に至るまで踏み切れていないのだから、恐怖は正常に働いているのだろう。
だからといってこのまま、夜も眠れず、ただ私でない他の誰かなら有用に使えたはずの尊い貴い時間を無意味に___Twitterをスクロールしたり、とくに興味も無いゲームを開いたりして___食い潰すことに、耐えきらないのだ。罪悪感はおおきくなるばかり。息は苦しくなるばかり。動けない、もう手遅れなのだ、ぜんぶ。

いちばん大切な人との関係にも終わりが見えている。
友人や、わたしを知る人は、ほかに拠り所があるからだいじょうぶだ。
家族は、どうだろうか。理解してくれると思いたい。

あとは、世界にとけこんでしまう恐怖に対する折り合いをつける。「なるはや」で。

ここにこんなことを書き込んだのは、もはやこんなアカウントを知り合いの誰も見ていないだろうという怠惰な安心が八割。それでも誰かがもし、もしもこれを見ていたのだとして、こういう心情が、機微があったのだとただ知っておいて欲しかったからかもしれない。教会の懺悔室みたいなものだ。次の記事に移る頃には忘れてくれてかまわない。ただ、この一瞬だけどうかここに居てください。
とりとめのない文章を読んでくれてありがとう。貴方にいいことがありますように。


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