エリキウスの扶翼(6/22 21:00~)

はじめに

エリキウスの扶翼は約3年前に私が執筆したSFロボットドラマ台本の一部を抜粋し加筆修正したシナリオです。

元になった台本はフォーミュラ・アーラという名前で全16編のショートストーリーで構成されています。
私はこの台本で生命と精神性と価値観の関係性を拙いながら描いたつもりです。

元々ロボット物が好きで、メカメカした設定や描写は大好物なのですが
ただただ景気良くドンパチするよりも、終始苦虫を噛み潰したような味がする会話劇、それも現場・末端の人たちの閉塞感にフォーカスを当てたものにしたいと思っていました。

何より、サイエンス・フィクションという皮を被るとどれだけ直球で暑苦しい応酬があっても説教臭さが強くならないという強みを活かし、メッセージ性をガンガンに作中に盛りました。
そんな経緯があるため、非常に愛着のある作品です。

フォーミュラ・アーラの中で、イリーナ、ヤン、ダール兄弟のストーリーは信頼をテーマとして扱っています。

『一度芽生えてしまった堪え難い不信と絶望を振り払うことができるのか』

『怒りや嫌悪にすり替えてごまかしてきた後悔を受け入れることができるのか』

私とあなたは違う人である、ということを受け入れて誰かと共存していくことって難しいです。

私はあなたが大好きだから私の中にあなたがいればいいのに、という愛情の持ち方では私の中のあなたと、現実世界のあなたをどんどん乖離させてやがて相手を嫌いにしてしまうでしょう。

死んじゃったり、いなくなっちゃったりしても、いつまでも心の中にいます。みたいな価値観って美しいなとは思うけどあまり好きじゃないです。
どんどん美化されて最終的に違うものになってしまうから。

それならばどこかで、あるいは最後に
「いろいろごめんね、これで終わりだよ、さようなら」
としっかりピリオドを打った方がずっと好きなんです。

エリキウスの扶翼はそんなお話です。

イリーナに関して

イリーナは、ヤンとオーティスとの間で、大変忙しく感情のメーターを行き来させる、お話の基礎部分にあたるキャラクターとして設計しています。

そのため、あまり解釈や振る舞いに選択肢の幅がないキャラクターだと思っていました。
随分な言い方になりますが、誰が演ってもある一定のデザインになってしまうキャラクターだと思っていました。

ええ、思っていました。2022年6月22日までは。

机の上の地球儀さんはこのイリーナにとんでもない量の熱量とガソリンをぶっ込んできました。ものすごいトルクと爆発力なんですね。

おいおい、別日の深夜にやってた一回目の選択とはまるで違うじゃないか!と驚嘆しました。

そもそも、ヤンとオーティスがストーリーの推進力を司っているのでイリーナはどうしても受けの姿勢に回ることが多くなります。

ヤンに煽られ激昂し、オーティスに撫でられ落涙する。
こんな感じで振り回されまくる役だったんです。設計上は。

だからお話の役割上は、アクセルかブレーキで言ったらブレーキで作用する役だと思っていました。

なのに昨晩は、フル・ブレーキからのとんでもないドリフトをかましてくれました。

相手に何かされてピイピイ吠えたり泣いたりしてるんじゃなくてそのまま食らいつきにいく突撃銃のようなイリーナ。
爆発的な加速ができたからこそ許される圧の強いお芝居。

セリフや配役の利を全て使ってくるめちゃくちゃに強いヤンと舞台装置ごと全部ぶっ壊してもいいやと覚悟したオーティスに捨て身でカウンターを打ち込みにいく姿はもはやあしたのジョーのようでしたよ。

本編終盤でイリーナが後悔を受け入れ、オーティスに懺悔する場面があります。
通常運行ですと、この辺が一つの山場でなんとも言えない寂しさと後味の悪さ、物悲しさが漂って終幕に向かうんですが昨日の上演にはそれが全くなかった。

カタルシスとはこういうことかと思った。

ここまでの応酬で、ヤンとオーティスとの対峙の中で、そういう残滓みたいなものを全て出し切らせたんだと思います。
少年漫画のラストのような清々しさがあり、過去の同作品の中では感じたことのない澄んだ感動を覚えました。

「いろいろごめんね、これで終わりだよ、さようなら……」

「いろいろごめんね、これで終わりだよ、さようなら!」

この違いなんですよ。たったこれだけ。でもこれが死ぬほど難しい。

イリーナのわだかまりを全て吐き出させたから台本は一文字も変わっていないのに
(狭義の)バッド・エンドじゃなくなったんです。

この現象は実に面白かった。熱量には求心力があると思いました。

ヤンに関して

思いっきり演ってくれたな!と書くと雑すぎますかね。

後半以降、客の意識の焦点を狭めて頭にガツンと入ってくるようなお芝居のために
前半はとにかく大上段に構えて上下左右どこからでもモグラ叩きのモグラが飛び出てくるみたいでした。
その点、非常に戦略的に判断されたんだろうなと思います。

ごく短時間、限られた場面でならばこういった振る舞いも可能でしょう。
ただね、このシナリオはリズムよく行っても50分かかるんですよ。
ヤンは序盤から最終盤までず〜っと出ずっぱりでセリフの尺もめちゃくちゃ長いんですよ。
台詞回しそのものも舌を噛ませるようなものが多くて、最初から最後まで休みがない役なんです。

大上段に構えて上下左右どこからでもゲバゲバ出ていくで!ってスタイルはどこかで失速すると、急激に萎えてしまうリスクがあると感じます。
外連味が逆に作用して、圧力や緊張が少しでも抜けるとその毒々しさが及ばない部分の白々しさを強調してしまうと思うんですね。

アルコさんは50分間にわたる・プロフェッサー・シャトルランを完走されました。
最初から最後まで熱狂に冒された確信犯を演じ続けました。
エネルギー総量が半端じゃなかった。
話の途中から席についたとしても、あっという間に舞台の上に引き込まれる。

最初からウニ、最後までウニ、最初からトロ、最後までトロでした。
肉汁たっぷり胸焼け上等のメインディッシュ感がないとお話そのものに旨味とボリュームが出ません。

このエネルギー総量を50分間にわたって出力できる人って他にどれだけいるのかしら。
やってることがもうアスリートだよなと思いました。

アニエスに関して

アニエスは作中、中盤で一旦離脱して後半まで沈黙を守ります。
このキャラクターの厄介なところは、前半と後半で正体が違い一つの役を二つの存在が演じるという点にあると思います。
アニエスは前半は一個人としてのアニエス、後半はAIによって再現された人格のアニエスを演じます。

お話の中の制御装置としての役割が強い役です。
イリーナとヤン、ヤンとオーティス、オーティスとイリーナの応酬のバランスを
一旦リセットするための役割を持たせています。

そして、この役を担当される方の解釈でお話の仕上がりが大きく変わると思っています。

今回アニエスを演じられた油男さんはバランサーとして最高の判断をされたと思います。
シンプルで素直な表現で他の三名に引っ張られることなく進行されました。
勢いが凄くて圧が強い三人をうまく中心に戻されていたと思います。

エリキウスの別のアーカイブ聴き比べると、他三役のパワーバランスによって
アニエスの役割や振る舞いが随分変わるのが感じられて面白いです。

中心の芯をしっかり支えていてくれたおかげでイリーナとヤンはガッツリ殴り合えましたしオーティスはこの世の全てを滅ぼす勢いで感情を起爆させられてました。

「俺もあれくらいぶん回してえなぁ」と思われたか思われなかったかはわかりませんが舞台の中心軸として、正確で安定したお芝居をされた油男さんに拍手を送りたいです。

オーティスに関して

テクニック的な意味で最も難しい役だと思っています。
一人一役が一人二役に分裂し再統合するまでの流れを演じるにはどうしても集中力がいるし、事故を無意識に避けようとするのか多くの演者さんが全体的にこじんまりとしたお芝居をされてきていました。

一人二役の説得力ってどこから生まれるのかなと考えてみたんですが、どうも声色の使い分けではないようです。
表現のダイナミクスを細かく刻めると生まれてくるのかなと、私は思いました。

かなりハイテンポでお話が進む中で、リズムとスピード感を崩さずに一人で二役を表現しようとすると腹話術の親戚みたいなことになりかねないものですが、そこはさすが友達の少ない朗読の鬼。
無理に声色で切り替えようとせず感情表現のメモリを躁鬱のそれのように上げたり下げたりして見事に演じられてました。

そして、要所要所にある爆発点では圧倒的な火力を見せていました。

とにかく疲れるんですよこの役。
だから、どこかでドカーン!と表現を強く打たないところでもなんかこう、こじんまりしてしまう方がこれまで多かったです。

全編通して麻音さんは丁寧に演じながらも振り切るべきところは、音が割れようが潰れようが共演者の耳がおかしくなろうが一向に構わぬという覚悟の入りようで振り切っていました。

この点はもう殺気と呼んで差し障りない気迫でした。

オーティスはこのお芝居の花形だと思っています。
オーティス役がその上演のエモさを決定づけるのです。

今回の、アニエスを中心軸に据えた超高回転で回る三角錐のようなエリキウスの扶翼は、殺気のこもったオーティスの魂の咆哮をその切っ先に据え、最後まで突き抜けていきました。

いやあめっちゃ面白かった。五十分って一瞬なんだな。
以上マジ感想文です。サンキュー!


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