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「気のせい」をもっと大切に

いつだったかウェブ上で見た記事か何かで医療関係の方が人間の脳は簡単に騙されるというお話をしていました。検索すると脳については色んな記事が出てきますね。普段から人間は物事の事象を自分の見たいようにしか受け取っていないにもかかわらず、自分が認識したもの全ては真実だと思って生きています。だまし絵やプラセボなどは、思い込みやすい脳の働きを逆手にとったものですよね。真実が、自分の見たまま感じたままとは限らないということ。我々は自分たちが考えている以上にあやふやな世界の中を生きています。

こと夢のお話になると、それこそもっとあやふやで曖昧な、幻のようなポジションの出来事です。大部分の人は、現実ではないこの部分を切り捨てて生活しています。現実社会では科学的に証明されたことや、皆が同じように感じているものこそ「本当」で、それ以外は「気のせい」として処理されてしまいます。

夢探索やパスワークは、日常社会では取り合うことのない「気のせい」の部分を積極的に拾っていく作業です。

気のせいかもしれないし…

勝手な想像かも…

不慣れなうちは、自分が感じたこと、見たことをそのまま素直に受け取れないことが多いです。

どうして自分の感じたことをそのまま受け止められなくなってしまったのでしょうか。あやふやな現実ばかり本物だと思い込んだまま。

少しずつ自分の感じたことを信頼する訓練を積み重ねていくと、夢やガイドからのメッセージも受け取りやすくなっていきます。

先日、QHHTプラクティショナーのNaokoさん主催で、誘導瞑想による「金星探索会」に参加しました。これは参加者みんなで、誘導に従って金星へ旅するというものです。面白いのは、誘導によって感じている景色や雰囲気はそれぞれ違うのに、共通点が出てくるということです。今回の金星探索では、多くの方が金星でサバンナのような雰囲気や動物を感じ、またそこで好きな食べ物を見つけて食べてくださいと言われた時には、多くがりんごを見つけていました。ちなみに私はりんごを加工したスイーツが思い浮かびました。

ここで大切なことは、必ずしも皆と見ているものが一致しなければならない、ということではありません。自分だけ全く違うものを見ていてももちろん構わないし、皆と同じ景色を見ているから正解というわけでもありません。

共通したものを感じることで、「気のせい」と思っていたことが、単なる気のせいではないかもしれない、と自分自身の感覚を信頼できるようになることが大切なのです。

たった1人別のものを見ていたとしても、それが自分にとっての大切な真実であると信頼できるようになれば良いのです。

自分自身を疑っているうちは、やってきたメッセージも素直に受け取ることができません。「そんなはずないよね」という否定の気持ちが、壁を作り抵抗となり、歪めてしまうからです。

自分を信頼していく、自信を持つ訓練は、自身を過小評価しやすかったり、なかなか自信が持てないうちはとても大切なことです。

どうせみな気のせいなのです。

開き直って、自分にとって真実と思えることを大切に拾い上げて、育ててみましょう。それは自分の中の思いを形にしてみたり、夢の記録をつけながらメッセージを読み取ってみたり、パスワークをしたりすることも役に立ちます。自分の中から生まれたものを大切にしてみるのです。

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