スピリチュアル再入門 0章 出会い1

スピリチュアリズムに対する確信は、誠実な探求と冷静な理性的判断によってもたらされる。そして、スピリチュアリズムとの出会いには深い感動がある。



本章では、著名人3名のスピリチュアリズムとの出会いを紹介します。

まずは、A・R・ウォーレス(1823~1913)

(ダーウィンとともに進化論を唱えた。博物学者、生物学者、探検家、人類学者、地理学者、科学者であり、社会活動家でもあった)


以下の引用は、彼の著書『Miracles and modern spiritualism』の前書きからの抜粋。前書きの日付は1874年12月1日。
(日本語訳は『心霊と進化と』潮文社 近藤千雄訳1985年)



「・・・・・学界の知友が私の妄想だと決めつけるもの(スピリチュアリズム)についてみんながその理解に大いに戸惑っていること、そしてこのことが博物学思想の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分承知している。そのうちの一人アントン・ドーアン氏Anton Dohrnは、その点をはっきり表明している。聞くところによると、氏が1861年に発表したKritiker und Anti-Kritiker des Darwinisumusの中で、スピリチュアリズムと自然淘汰とは相容れないものであり、私がダーウィン氏と見解を異にする至った原因は、そのスピリチュアリズム研究にあると述べている。更に氏は、私がそのスピリチュアリズムの教義を受け入れたことの背景には幾分宗教的偏見があるとも考えているようである。他の学界の知友もたぶんドーアン氏と同じ考えであろうと思われるので、ここで個人的な釈明をさせていただこうと思う。


 私は14歳の時から進歩的思想をもつ実兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて科学に対する宗教的偏見や教派的ドグマに影響されないだけの確固とした物の考え方を身につけることになった。そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ボルテールF.VoltaireとかシュトラウスD.F.Strauss、あるいは今なお尊敬しているスペンサーH. Spencerといった思想家にすっかり傾倒していたのである。従って初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋め尽くされた私の思想構造の中には、霊とか神といった物質以外の存在を認める余地は、まるで無かったといってよい。


 が、事実というものは頑固である、どうしようもないものである。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって、生来の真理探究心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなくなった。そして研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その現象の種類も多岐にわたることもわかり、その示唆するところが近代科学の教えることや近代哲学が思索しているものから、ますます遠ざかっていくことを知ったのである。


 私は事実という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まず、そうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。前に述べたように、当時の私の思想構造の中には“そうしたものの存在を認める余地はまるでなかった”のであるが、次第にその“余地”ができてきた。それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実を一つ一つ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法が無かったのである」

『心霊と進化と』アルフレッド・R・ウォーレス著 近藤千雄訳(P3~5)



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