スピリチュアル再入門 0章 出会い2

次は、コナン・ドイル(1859~1930)


名探偵シャーロック・ホームズシリーズの作者は、熱心なスピリチュアリストでもあった。

著書『The New Revelation』(1918年)(日本語訳は、『コナン・ドイルの心霊学』近藤千雄訳 潮文社1992年)から引用。



心霊現象の実在を確信するまで

 私にとって、心霊現象の研究ほどあれこれと思索をめぐらし、そして、結論を出すのにこれほど時間の掛かったものは、ほかにない。


 誰の人生にも、あるときふと関わり合った事柄に心を奪われ、あっという間に青年期が過ぎ、そして中年期が足早に過ぎ去っていくという体験があるものだが、私にも、先日それを身に沁みて思い知らされることが起きた。


 心霊誌に「ライト」(注:1881年に創刊されたロンドン・スピリチュアリスト連盟の機関紙)というのがある。地味な月刊誌だが、内容がなかなかいい。ある日ふと目にとまった記事に、30年前の同じ日付の出来事が特集してあって、その中に、1887年のある交霊会における私の興味ぶかい体験を綴った手紙が掲載されていた。それを見て、われながらこの道への関心がずいぶん長期間にわたっていることを思い知った。と同時に、私が心霊現象の真実性を確信してそれを公表したのは、この1,2年のことであるから、私がその結論に到達するのが決して性急だったとは言えないことも明確となった。

 これまでに私が体験してきた経験と困難のいくつかを披露するのであるが、それを“自己中心的”と受け止めないでいただきたい。読んでいただけば、この道を探求なさる方の誰もが体験するであろうことを、点と線で図式的にスケッチしていることがお分かりいただけると思う。



眼科医として開業していたころ

 1882年に医学生としての課程を終えたころの私は、他の若い医者と同じく、物的身体に関しては、確信に満ちた唯物的概念を抱いていた。しかし一方、信仰的には神の存在を否定し切れずにいた。と言うのも、ナポレオンがエジプトへの航海中、ある星の降るような夜に、お供をしていた数名の無神論者の学者に向かってこう尋ねたという。

「しかし先生方、あの星は一体だれがこしらえたのかね?」

この問いに対する答えが、その時の私にも出せなかったのである。


 この宇宙は不変の法則によってこしらえられたのだという説では、それではその法則は誰がこしらえたのか、という疑問を生むだけである。と言って、もちろん私は人間的な容姿をしたGod(神様)の存在を信じていたわけではない。私の考えは、今も同じであるが、大自然の背後に知性をそなえたエネルギーが存在する。――それはあまりに複雑かつ巨大なもので、ただ存在するということ以上には、私の頭脳では説明しようのないもの――ということである。

 善と悪についても、たしかに重要な問題ではあるが、神の啓示を仰ぐほどのものではない、明々白々のことと見なしていた。ところが、われわれのこの小さな個性が死後にも存在するかどうかの問題になると、大自然のどこを見ても、それを否定するものしか見当たらないように思えた。

 ローソクは燃え尽きると消える。電池を破壊すると電流がストップする。物体を溶かすと、それで存在がおしまいとなる。だから、身分の高い低いにかかわらず、だらしない人生を送っている人間が、そのまま死後も生き続けるというのは納得できない。どう考えても、それは一種の妄想であるように思える。そこで、結論として私は、死はやはりすべての終焉であると信じた。ただ、その死の概念が、なぜこの短い地上生活における同胞への義務にまで影響をもったりするのかは、理解できなかった。

 
以上が、私が初めて心霊現象に興味をもつようになったころの心理状態だった。要するに“死”は地上における最もナンセンスな問題であると考えており、詐欺的行為を行った霊媒が摘発された時も、まともな人間が、なぜあんなものを信じるのだろうくらいに考えていた。

 
そんな折に、その“あんなもの”に興味をもっている(複数の)知人に出会った。そして誘われるままに交霊実験に参加した。テーブル通信が行われた。確かに、どうやら意味の通じるメッセージが綴られた。が、結果的には、私に猜疑心を抱かせることにしかならなかった。

 メッセージは時として長文のものが綴られることがあり、偶然に意味が通じるようになったということは、とても考えられなかった。となると、誰かがテーブルを操っていることになる。当然それは私以外の誰かだとにらんだ。この私ではないことは確かだ。そこから私はジレンマに陥った。その知人たちは、どう間違っても、そんなことで私を騙す人たちではない。かといって、あれだけのメッセージが意識的操作なしに綴られるわけもなかった。

 そのころ、たぶん1886年だったと記憶するが、『エドマンズ判事の回想録』というのを偶然手に入れた。エドマンズ氏はニューヨーク州最高裁の判事で、大変な人望を得ていた。その本の中に、亡くなった奥さんが交霊会に出てきてエドマンズ氏と語り合うということが長期間にわたって続いている話が出ていた。実に事細かに述べられていて、私は興味ぶかく読んだ。が、あくまでも懐疑的態度は崩さなかった。

 私は、これは、どんなに実務的な人間でも弱い面をもっている良い例であると考えた。つまりエドマンズ判事の場合、日ごろのドロドロとした人間関係を裁く仕事の反動として、そういう霊的なものへの関心を誘発されていたのだと考えたわけである。

 そもそもエドマンズ氏のいう“霊”とは人体のどこにあるのであろうか。交通事故で頭蓋骨を強打すると、性格が一変してしまうことがある。才気煥発だった人間が役立たずになったりする。アルコールや麻薬その他に中毒すると、精神が変わってしまう。やはりスピリットも物質から生まれているのだ……当時の私はそう理論づけていた。実際に変わるのはスピリットではなくて、そのスピリットが操っている肉体器官なのだということには、思いが至らなかった。たとえば、バイオリンの名器も、弦が切れてしまえば、いかなる名手も弾けなくなる。それをもって演奏家が死んでしまったことにはならないのと同じである。

 その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んでいった。そして驚いたのは、実に多くの学者、特に科学界の権威とされている人々が、スピリットは肉体とは別個の存在であり死後にも存続することを、完全に信じ切っていることだった。無教養の人間が遊び半分にいじくっているだけというのであれば歯牙にもかけないところであるが、英国第一級の物理学者・化学者であるウィリアム・クルックス、ダーウィンのライバルである博物学者のアルフレッド・ウォーレス、世界的な天文学者のカミーユ・フラマリオンといった、そうそうたる学者によって支持されているとなると、簡単に見過ごすわけにはいかなかった。

 もとより、いくら著名な学者による徹底した研究の末の結論であるとはいえ、“可哀そうに、この人たちも脳に弱いところがあるのだな”と思ってうっちゃってしまえば、それはそれで済むかも知れない。が、その“脳の弱さ”が本当は自分の方にあったということに気づかない人は、それこそ“おめでたい人”ということになりかねない。私もしばらくの間は、それを否定する学者たち、たとえばダーウィン、ハックスレー、チンダル、スペンサーなどの名前をいい口実にして、懐疑的態度を取り続けていた。

 ところが、実はそうした否定論者はただ嫌っているだけのことで、まるで調査・研究というものをしたことがないこと、スペンサーはそれまでの知識に照らして否定しているにすぎないこと、ハックスレーに至っては、興味がないからというにすぎないことを知るに至って、こんな態度こそまさに非科学的であり、独断的であり、一方、みずから調査に乗り出して、そうした現象の背後の法則を探り出そうとした人たちこそ、人類に恩恵をもたらしてきた正しい学者の態度である結論づけざるを得なかった。かくして私の懐疑的態度は以前ほど頑固なものでなくなっていった。

『コナン・ドイルの心霊学』コナン・ドイル著 近藤千雄訳(P33~37)



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