わたしたちは、どのような世界に住んでいるのか

私たちは、どのような世の中にいるのか?



今、私は日本に住み、日本で暮らしている。

父母の世代は暴政、戦争、敗戦そして占領を経験した。



改めて、どんな国に住んでいるのか?どんな世界にいるのかということを、いくつかの著作を通して概観してみることを試みる。



いわば、書物という小さな窓から覗いた、世の中のスケッチになる。

それは、あくまでも私個人の目に移る情景であり、客観的なものではない。

それでも、私が眺めた世の中を記しておきたいと思う。



ノーム・チョムスキーの「アメリカンドリームの終わり あるいは富と権力を集中させる10の原理」寺島隆吉・寺島美紀子訳(原著題名は[Requiem for the American Dream The 10principles of concentration of wealth &power ] Noam Chomsky)

をまず取り上げます。



この本では、富と権力を集中させる原理を10個に分けて解説をしている。

その原理1~10を列記すると、
1民主主義を減らす
2若者を教化・洗脳する
3経済の仕組みをつくりかえる、
4負担は民衆に負わせる
5連帯と団結への攻撃
6企業取締官を操る
7大統領選挙を操作する
8民衆を家畜化して整列させる
9合意を捏造する
10民衆を孤立化させ、周辺化させる
以上である。



自分の住んでいる国で、いま起きていることで思い当たる節はないだろうか?



以下、10の原理について前掲書から主意を概説します。(前掲書からの引用です)

各原理のあとに、私見を述べます。



原理1 民主主義を減らす



アメリカの歴史を見れば一貫して衝突が続いている。

いっそうの自由と民主主義を求める下からの圧力と、特権階級の支配と統制を強めようとする上からの圧力との衝突である。



それは建国そのものにまで遡れる。



第4代大統領ジェイムズ・マディソンは、合衆国憲法の基本的枠組みをつくった人である。

彼は民主主義の信奉者であったが「合衆国の制度は富裕層の手で設計されるべきだ」と考えていた。

その理由は、富裕層こそ、一般人よりもはるかに責任感の強い人たちであり、一部地域の小さな利益だけでなく、もっと大きな公益を念頭に置いて物事を考える人たちだ、と考えていたからである。



したがって、憲法上の構造は、もっとも大きな権力を上院の手に委ねるように設計された。
(当時の上院は選挙で選ばれるものではなかった。約100年前まで上院議員は選挙ではなく立法府によって選ばれ、任期は長く、かつ富裕層から選ばれた)

上院は権力の大半を握っており、民衆からもっとも遠い存在であった。より民衆に近い存在である下院は、はるかに弱い役割しか与えられていなかった。



 ここに、「どの程度、民衆に真の民主主義を許すべきか」という大きな問題が出てくる。

この点について、憲法制定会議の議事録でのマディソンの発言は、

「社会のもっとも大きな関心事は、それはまともな社会であればなおさらだが、富裕層という少数者を大多数の民衆からいかに守るか」である。



「イギリスですべての人に自由な選挙権を与えたとしよう。そうすると貧しい民衆たちは寄り集まって組織化し、富裕層の財産を奪ってしまうだろう・・・・・中略・・・それは明らかに不正なことだ。そんなことは許すわけにはいかない。したがって憲法制度は民主主義を阻止するためにこそ設定されねばならない。しばしば言われているように、民主主義は、”多数による暴政”になるからだ。だから憲法は、豊かな少数者の財産が侵害されないよう保障するべきものなのだ」



これが、マディソンの構想する憲法制度の骨子であり、それは民主主義の危険を防ぐものとして設計された。



一応、マディソンの弁護をするならば、彼が念頭に置いていた富裕層とは、神話にあるローマの騎士のようなもので、知恵のある貴族階級、邪心のない人物であり、彼らはすべての者の福祉のために自らを捧げる存在であるという設定である。



 もう一つの民主主義像を、第3代大統領ジェファーソンが描いている。

彼は、貴族政体論と民主政体論の区別をする。



 貴族政体論者の考えとは「権力はとりわけ特別な階級、すなわち優れた特権階級に与えられるべきである。なぜなら、かれらは正しい決断をし、正しいことを為すだろうから」というものである。



 他方、民主政体論者は「権力は民衆の手に委ねられるべきだ。なぜなら、究極的には民衆こそ集団的英知の源であり、だからこそ政策の決定ができ、賢明な行動ができる。したがって、富裕層がその政策決定を好きであろうがなかろうが、それを支持すべきものとなる」というものである。



マディソンは前者であり、ジェファーソンは後者である。



この対立が一貫してアメリカの民主主義の歴史に流れている。



 民主主義国家であるならば、貧しい人々が共に力を合わせて豊かな人たちの財産を奪っていくであろう、という懸念は、古代ギリシャのアリストテレスも予見していた。



 マディソンが、この問題の解決方法を民主主義の機能を麻痺させること、即ち権力が富裕層の手に行き渡るように政治制度を組織化すること、と同時に民衆をあらゆるやり方で分断・解体させることであった。
 
 一方、アリストテレスの示した解決策は、福祉国家をつくることである。そうすれば、「不平等を減少させることができる」からである。



原理1の資料

資料1

「民主制と寡頭制を分けるもの」

アリストテレス「政治学」第3巻第8章

 民主制と寡頭制のほんとうの違いは、貧者と富者にある。支配者が少数派であろうと大多数であろうと、その権力を富に負っているところ、それが寡頭制である。貧者が支配するところが民主制である。支配者が富によって権力を維持するところでは、かれらは一般に少数者であるが、貧者が支配するところは、貧者が多数者である。なぜなら、都市国家の市民ならば、そのすべてが自由人だが、金持ちは少数者だからである。

 民主制とは、すべての自由人が権限をもつ制度のことであり、寡頭制とは金持ちが権限をもつ制度のことである。

 要するに、民主制とは、多数の自由な貧者が支配権をもつ制度のことであり、寡頭制とは、少数の富裕層・上流階級の手に権力がある制度のことである。



資料2

「民主主義の発達不全をもたらすもの」

アリストテレス「政治学」第6巻第5章

 貧困こそが、民主主義の発達不全の原因である。そういうわけで対策が講じられ、永久的な繁栄を確実なものにしようとするわけである。これは富裕層を含めて、すべての階級のためでもある。したがって適切な政策とは、収益の剰余を基金として蓄積し、この基金を補助金として貧者に分配することである。理想的な配分方法は、十分な基金が蓄えられていれば、補助金を貧者の小土地購入費に充当させることである。そういう政策ができない場合、政府は貧者に何か商売や農業を始めさせる策を講じなければならない。



資料3

演説「ここからどこへ」マーティン・ルーサー・キング・Jr 1967年4月16日

「わたしたちはここからどこへ向かうべきか」を語る前に、みなさんに申し上げたいのは、わたしたちの運動は、アメリカの社会全体の再編という問題に取り組まねばならない、ということです。

この国には4000万の貧しい人々がいます。だから、「アメリカには、なぜ4000万人もの貧しい人々がいるのか」と問わねばならない日が必ず来るでしょう。

そう問いはじめるということは、取りも直さず、経済制度について、さらに広範な富の分配について、問うことでもあります。そう問うことは、資本主義経済を問いはじめることであります。簡単に言えば、ますます社会全体について問いはじめるということです。

わたしたちは、人生という市場で打ち砕かれた貧困者を助けるよう要求されているのです。しかし、貧困を生み出すような社会構造を改革・再編する必要がある、と悟る日が必ず来ると確信しています。それはまた、さらにいくつもの新しい問いを生み出すでしょう。

だから、わが同志のみなさん、この問題を扱えば「石油を所有するのは誰か」と問うことになります。「鉄鉱石を所有するのは誰か」と問うことになります。





原理1からの主意抜粋は以上になります。ここからは、私見です。


民主主義について、チョムスキーの指摘に接するまで、わたしには、「平等に選挙権が与えられ、その結果選ばれた人々に政策の決定・運営を委ねる」程度の認識しかありませんでした。さらに、民主主義は自然に成熟していくものと楽観していました。



 民主主義が、元々大衆の意見が反映しにくいものとして設計されていたならば、「民主主義」そのものと疑ってかかる必要があります。民主主義とは何だろう?と問い掛ける必要が出てきます。

 わたしたちの国の民主主義について考える場合、その試みは古代ギリシャにまで遡る必要はなく、イギリスの議会政治、民主主義について眺めてみれば概観はつかめるはずです。



 ここで、民主主義は大衆の意見を反映させるために元来設計されたものではない、ということを、共通認識としておきたいと思います。



 民主主義を判断するものさしとして極めて大雑把ですが、福祉の充実or削減と軍事費の削減or増加についてみればよいと考えます。


 福祉が充実していくようであれば、民主主義はより民衆に沿ったものになっていると判断し、他方、福祉が削られ軍事費が増大するようであれば、より権力者の意向にそったものになっていると判断して、大勢を見誤ることはないと思われます。



 ただし、軍事費については、未だ自治権を得ていない国であれば、その自治権獲得のためにある程度の武力は必要です。これは歴史が証明するところです。武力に劣る民族が侵略され滅ぼされた例は、たくさんあります。

 ただ、世界最強の軍事力を誇る国の従属国である日本が、軍事費を増大させる必要はまったくないということです。



 第二次世界大戦の最後に、原爆開発にアメリカは成功します。ここで外交のバランスが大きく崩れます。(圧倒的な破壊力を有する国が有利になる)

原爆の破壊力に、特にソビエト連邦は警戒をします。



 原爆一発で、戦争を終わらせることが可能なわけですから、核をもたない国は、核をもつ国に対し、圧倒的に軍事力が劣るわけであり、外交上、対等ではなくなることを意味します。

 この原爆の上にあぐらをかいて、外交を仕切り直そうとしたのがアメリカであり、それに抵抗したのがソビエト連邦でしょう。


 ソビエト連邦は1917年建国、当時、まだ若い国です。

しかし、社会主義の威力を(社会主義って何?ってことになりますが、ここでは全体主義が可能な体制にしておきます)見せるために、ソビエト連邦は必死に原爆開発に取り組みます。

 そして、1949年に開発に成功。さらにアメリカに先駆けて水爆実験に成功。そして人工衛生打ち上げにも成功します。

 これをもって、当時のソ連の首脳は、外交上の劣勢をある程度跳ね返したと思っています。

 一方、アメリカは軍事偵察機U2を密かにソ連上空に飛ばし、衛生写真を撮り、ソ連の軍事基地の状況を把握。アメリカは、水爆、人工衛星に先んじられたものの、実用力実践力に関しては、アメリカの方が上をいっていることを確認しています。
 
 しかし、アメリカ軍部は、ソ連の脅威を理由に、軍事予算引き上げを議会に迫っています。

 この軍事費は、自国民を守る意味より他国への外交カードの側面が強く、国民の福祉向上にどれだけプラスになったのかは不明です。

 一方、ソ連は、見た目では軍事大国になったのですが、その後のソ連崩壊を見ればわかるように、軍事に資金を費やしたので、経済的に苦しくなりました。

 一方、日本は、軍事開発を禁止されていたため、経済的にはどんどん豊かになりました。そのため、1980年代には、アメリカから経済的敵国とみなされるようになり、1985年にアメリカと交わしたプラザ合意(日本の通貨を故意にドルに対して円高にし、輸出に歯止めをかけるもの。この措置で製品の欧米への輸出が困難になった日本企業は、海外に進出。そして日本経済の空洞化がはじまったといわれる)から、日本経済は、どうもうまくいかなくなったようです。

 アメリカの軍事力は、今も国際的に他を圧倒しています。この軍事力の維持のために、どれだけの労力、経済力が各国から削がれていることでしょう。あるいは、この軍事力の行使の度に、どれだけの市民が死傷し、大地が還元不能な汚染に悩まされることでしょう。

 この人類の福祉に貢献しない軍事に関しては、警鐘をならし続けなくてはならないと思います。

以上です。





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