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中動態の世界 國分功一郎

意志の強さってどうやったら分かるの?

目標を掲げて、毎日こつこつトレーニングができる人は意志が強い?

今日は我慢するぞ!と決めたのに、ついつい夜中にお菓子を食べてしまう人は、意志が弱いの?


目の前にマシュマロが1つある。
「10分食べずに待てたら2つあげるよ」
そう言われて、待てた子どもは意志が強い。

そう言っていいのだろうか。

食べてしまった子どもは、自分の意思で食べたから、もらえないのは仕方ない。


本当にそうなの?


自分の意思で、
マシュマロを食べる
衝動買いをする
勉強せずにサボって外で遊ぶ

だから、そのツケは自分で払わないと。

うーん、そうかもしれない。


自分の意思で決めたことには
自分で責任を取らないといけない。


そこに意志があったなら、
もれなく責任もセットでついてくる。

当たり前。当たり前か?


あの子がマシュマロを我慢できたのは、
お腹が満たされていたからかもしれない。

あの子が勉強せずに遊んでいたのは、
家にいたら両親の喧嘩に巻き込まれるからかもしれない。


そこに食べたいという意志があるから、マシュマロを食べた。

のではなく、

マシュマロを食べたところを見た僕らが、この子には食べたいという強い意志があった。

と後から判定しているだけかもしれない。


なんでそんなことをするのかって?

國分功一郎に言わせれば、
僕らの言葉は、能動(意志がある)か受動(意志がない)のどちらかに強制的に振り分けられているからだ。詳しくは「中動態の世界」より。

ざっくり要約すると、僕らの言葉は、もうすでに個人に責任を持たせるようにできている。責任を持たせる仕組みが「意思」だ。

さっきのマシュマロの話で、責任を持たせるために意思がどのように「後付け」されるのか見てみよう。

マシュマロを子どもの目の前に1つ置く。
ずるい大人はこう言う。
「私が帰ってくるまで食べないで待てたら、後で2つあげる。もし食べたくなったら食べてもいいけど、2つ目はもらえないよ」

その後、食べなかった子には2つ。
食べてしまった子は、もうマシュマロはもらえない。

ある子は強い意思を持って我慢したので、その結果2つもらえる。

あるいは、

別の子は自分の意思で1つ食べることを選んだので、その結果1つだけしか食べられない。

強い意思を持って我慢したのか、
食べたい意思が勝って食べてしまったのか、
僕らはその二項対立にすぐハマってしまう。

どちらにせよ、その結果の責任をその子に押し付ける思考回路だ。

「マシュマロを食べた」という出来事の説明に、その子の意思を入れ込むことで、見事その結果をその子に押し付けることができた。


当たり前のことで、何が面白いのか分からないって?

ここで大切なのは、
「意思(意図)」という言葉を使わないと
その結果(責任)を個人に負わせることはできないということ。

責任を誰が負うかという問題を解決するために、「後から」意思が召喚される。


ある子は言うかもしれない。
「無意識に手が伸びて食べちゃった」

これを説明できる言葉が
中動態の世界にはある。

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