中機嫌でいこう。
「自分の機嫌は自分でとる」っていうの賛成ですハイ。大人のたしなみですよね。とりあえずすぐに思いつく恐ろしい例は、妊娠出産後の第一級の非常事態中にもかかわらずかまってほしい(と一括りにしちゃうわねーごめんねー)パートナーからとがめられた系の恨みは一生ものだよなーって骨身にしみてぶるぶる震えております。これからの方はぜひ心の片隅に。
それでは、どうやって自分の機嫌をとったらよいのか(方法論)。これに関しては個人的に苦労してきた軌跡があるので書いてみますね。
エビデンスなどはまだ無い話なのですが(社会学的に説明が便利なざっくり分類とでも思っていただければ)、世の中には過敏な人(Highly Sensitive Person)がだいたい2割いて、そうでない通常の感受性の人が8割いるという説があります(HSPで検索☆)。世の中の設備はだいたい多数派である通常の感受性の人に向けて作られています。しかし過敏な人にとってはその環境が理由もなくつらい場合があります。対象が一見「普通の」ことなので、不快な原因を特定して意識することが難しくなります。そして無意識にストレスをためがちなのです。原因は、単純な感覚刺激レベルのこともあるし、もっと複雑な社会的場面などの場合もあり、いろいろです。(HSPの流れで説明しましたが、発達障害における感覚過敏などの症状がよく取り上げられているのを見ても同じ方向性だと思います。)
たぶん私にはHSP的な部分がある、そして家族もみんなそれぞれ傾向を持っている。それに気づいたのは育児を始めてからのことです。他人の感情を長時間ありありと観察し続けたことなんてなかったし、それ以前に自分の感情すらもきちんとわかっていなかったことに気づきました(遅い)。
小学校高学年の頃から、人混みを歩くとひどい頭痛がしたり、苦手な場面に出かけたくないと思うと本当に動けないくらい調子が悪くなったり、でもまぁ身体が弱いんだな、くらいにしか思っていませんでした。親も無理させるタイプではなかったので大変助かりましたが。
中学生になると、お約束のお年頃が到来しまして、ホルモンバランスに振り回されっぱなしの感情の上がり下がりがつらくて。周期はだいたいあるんですけれど、パターンがランダム。人前では弱みを見せたくない完璧主義者(痛っ)だったので、ストレスの限界を越えると布団に入って泣いてました。泣いている理由は自分でもわからないまま。まぁこんなレベルの感情消化をずっとやってたらいつか破綻するわけですよね。外面的にはいい感じに維持できちゃってたので、かなり大人になってから見直しを余儀なくされました。なんでそこまでやせ我慢したかなーもっと早く気づけーという案件(苦笑)
感情コントロールの再構築。まず、苦手なことは苦手だと認めてもいい。身近な人には繰り返し伝えて理解して(もしくは知って)もらう。あまり近くない人にはわかりやすい感じにアレンジして伝えるけどあまり期待しない、いろいろ面倒だとネタにしちゃう。そうやって、苦手なことは避けてもいい。工夫してできるのならそれでもいい。けど、ムリはしない。努力するのも自分にとってそれが必要であるかどうかによる。大筋ではこんな感じ。上機嫌を目指さない代わりに不機嫌にもならない。基本淡々と、中機嫌がよいかと。
世の中に合わせられないのは、ある種(ってどんな種だろうか)の人から見たらわがままに見えるのかもしれない。それはそれでかまわない。一方で、合わせないからこそできる世の中の仕事はできる範囲でやらせてもらう。例えば私は、グループのまとめ役をやったりするのは(他人に期待しないし気も遣わないのでw)苦にならないので、育児サークルやらPTAやらママたちをまとめつつ関係各方面と条件交渉するお仕事をやってきました。その中で地域社会の仕組みとか多様性とか援助されるべきことがらを課題としてしっかり拾ってきましたよ。どこにいても適性というものがあるのかもしれません。物事を切り取る反射角度的な。でもさ、切り口がみんな均一だったら逆に集団全体のバランスは悪いよねって思う。
育児をしていてよく思うことは、つらい時に布団の中で泣いてだましだまし過ごし続けるようなことがなければいいな、ということです。まぁたまにはいいです。けれど、自分の気持ちを確かめたり認めたりする訓練はしておいたほうがいい。ほんの少しずつでも。そんな時に寄り添ったり北極星とは言わずともせめて反面教師?にでもなれればと。
ぜひとも自分の機嫌をとれる大人になってほしいし、そのための練習にはとことんつきあっていきたいなと、中学生の私が切望しているのです。中身は永遠の中二なんでw
最近では、楽しいことや愉快なことを見つけて、若干上機嫌な感じを作ることもできるようになってきました。これはごく最近の話ですよ。せっかくなら楽しい方がいいじゃない、ってわかりやすい快楽主義者が入ってきたようです。経年劣化といいますか、感覚や情報も少しやわらかい感じで入ってくるようになって(フックがないからすぐに忘れます)、単純に楽になってきたことが大きいかも。お年頃もそろそろ終焉だしまことに因果な生き物である。それも楽しいけどね。
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