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寿ぐ老いと日常をアメイジングすること

世田谷区のごきげんの文化施設世田谷生活工房✖️東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)共催で「老人性アメイジング!」というプログラムが、2024年2月18日(日)東京大学駒場キャンパス21 KOMCEE West B1F レクチャーホールで行われました。

参加した感動というのか、知った大切なこと(部分)を忘れないうちに書いておきます。


老人性アメイジング!寿ぐ老い

今回の参加動機はなんといっても福岡の宅老所「よりあい」をされている #村瀬孝生 さんのお話が直接聞ける!というのが目当てでございました。さらに、#伊藤亜紗 先生となればこれはゴールドカードじゃございませんか。

村瀬孝生さんとの出会い

私が村瀬さんを知ったのはこの動画。この村瀬さんのお話に老いを生きる力強い希望を感じことがきっかけです。

個人的な問いとしては「ケアの現場」は必ずしも対称にはならず、非対称が起こる。これどうすればいいの?という問いなのです。

例えば赤ちゃんや子供のお世話だと、お世話している方も子供から元気をもらえる!という(いつでもではないと思いますが)そういう話はよく聞きます。ここでは子供のお世話をするということにたいして比較的ポジティブなイメージがいだけます。

一方で、老人のお世話となると、お世話をする方も(いやされるほうもそうなんだろうが)我慢するストレスがたまるというようにあまりポジティヴなイメージがもてないのです。(私自身少しだけグループホームのお仕事をしたことがあります)これを自分は「ケアの非対称性」と勝手に呼んでいます。介護という環境や関係や必要があって存在しているものの、、やりがいやがんばりはあっても、楽しさや喜びが少ないように感じていたし、これじゃ希望が感じられないと思っていました。

そんな中、村瀬さんのこんな言葉にはっとしました

介護されたいと思う人はいないし、介護したいと思っている人もいない

この出発点になぜか希望を感じたものです。

村瀬さんの介護の日常の小噺

村瀬さんが運営されている福岡にある宅老所「よりあい」でおこる日常の風景を小噺として話してくださいました。

この小噺、、何気ない日常といえばそうなんです。たぶん私たちの日常にもあるであるその風景が、村瀬さんが語ると誰もがききたくなる「小噺」になる。それに驚く、驚く。なんでこんな眼差しで日常を語ることができるんだろう?!と。

日常をアメイジングにする眼差しはどこからくるのか

この問いは、最初に一緒に話したYukiさんとの会話から出てきました。午後の部でその解を見つけました

1. 宅老所「よりあい」には、計画やマニュアルがない
村瀬さんの小噺に登場する方と村瀬さんの間に十分な余裕があるのです。通常、施設ですと予定が分単位で決まっていて時間通りに進行させないと業務が終わらない!のです。ところが、村瀬さんの話を聞いていると「じっとまつ」みたいな箇所がたくさん出てきて、なんでこんなに余白がもてるんだろう?と思ったら、そういうものがないそうです。
「予定を立てると、それに人を従わせようとする」から立てないのだそうです。それぞれのスタッフにどこで何をするのか裁量権をもってもらってやるのだそうです。

2 場と関係に委ねる
小噺にでてくるよりあいでのコミュニケーションは、コントロールしようとしないで徹底的に委ねる!というところに特徴があります。そんな、たよりなさげなよくわからない老人の言動に振り回されていいの?そんなんで回るの?!というツッコミをしたくなりそうですが、ここでちゃんと委ねてみるということが行われています。
もちろん、それで困るし戸惑う、でも、そういう態度を相手に見せるということもまた大切だそうです。こっちも本気だよ、、と伝える(ごまかしたり、騙そうとしてないよと)。
このことを、年寄りからパンツをぬがすつもりが、こっちが(思いがけず)脱がされることになるというふうにおっしゃっていました。

 3 申し送りで困ったこと苦しかったこともみんなの中で率直に話す・聞く
日々、施設の中では思い通りにならないこと、ハプニングが続出しています。日々、起きることにはほんとうに困る、、万策尽きたと思う、、でも、なんとか着地する。その時はほんとうにへろへろだけど、よりあいでは朝の申し送りの時にそれをみんなに話す、また話せるように促すのだそうです。

腹が立ったとか、困ったとか、そういう感情的なところを出してもらって共有する。人はおおむね公の場でこういう感情を出すことには慣れてないし、規制をかけようとするのが常です。

湧き上がってくる感情を言いやすいように促す、それをスタッフのみんなの中に出すことでその感情が場面が相対化されて、着地する。それが村瀬さんの語られる小噺となって昇華する。

当事者たちはそれぞれ真剣に葛藤している。それを第三者に伝えてみる、一歩離れた眼差しに、思いがけな驚きがあるんですね。

私のアメイジング

これ、こないだ自分が書いた家族の中で何十年にもわたって展開されてきた地獄絵図がまさにそうなんですよ。w

この地獄を思い出して人に話すようになったら、、、意外な顛末が訪れるわけでまさにアメイジング! 自分中でつながったー!と気持ちになりました。

今、ちょうどザ・メンタルモデルの講座を受けているんですが、その中でも由佐さんが「家族の中はまさにコメディ」とおっしゃっていたのですが、図らずも、この村瀬さんの小噺も「コメディだ」と話されていました。

コメディというと、笑い話?!のように聞こえてしまいがちですが、嘲笑するとかそういう関わりではなく、人生の「おかしみ」が味わえるそんなコメディです。

自分の恐れやおかしみを慈しむ

ここ最近痛感しているのは、自分は自分の感情のことはないことにして、社会に適合するフリだけしてきていたということです。でも今は、なにかを怖がったり痛がったりする自分をいつくしむ、この眼差しが外の世界と安心して繋がっていく道筋になるんだろうなと思いつつ、日々を観察しています。

ケアの非対称性という問いに返ってみれば、対称性はまず自分の感情を慈しみ味わい、他者と分かち合えればいけるんじゃないか?!という希望になりました。

そんなこんなで、めちゃくちゃ人生の宝になる感動の時間でした。すてきな時間を企画くださった世田谷工房さんとUTCPの方々と、一緒に参加して時間と空間を分かち合ってくださった方々に心から御礼を申し上げます。

終わって東大駒場駅のホームで 会場で偶然再開したゆうこさんと、はじめましての林さんと

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