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我慢のヒト

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私の母は我慢の人。我慢。我慢。また我慢。我慢の人生だ。 彼女は幼い頃から家族の世話に追われていた。 友達と遊ぶこともなく。何もしない母や姉に対して不満を抱くことも無く働き続けた。…
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【随筆】我慢の女 最終章

十二年。あっという間だった。この間、顔が見たいと思ったことが無かったわけではい。会いたくて。寂しくて。心配で。心配で。このまま二度と会うことが出来なくなるかもしれない、そう思うだけで胸が張り裂けそうなほどに苦しくもあった。だがどうしても許すことが出来なかった。意地っ張りだと言われればそれまでだ。強情だと言われてもその通りだとしか言えない。四十を越えた今となっては、何にそんなに腹を立てていたのかも忘れてしまった。潮時。私がこうして悩み、泥水をすすり、泥の中を這いずり回りながらも

【随筆】我慢の女 第三章

何度学校からの呼び出しがあっただろう。 何度警察署へ迎えに行っただろう。 家にいる時に電話が鳴ると、動悸がするようになった。そんな時の予感は当たるもので、警察や学校の担任の先生から長男が起こした悪事が伝えられる。私は受話器を持ちながらとにかく頭を下げる。 「申し訳ございません」「ご迷惑をおかけしました」 相変わらず家には帰って来ないのだけれど、こうして長男が元気であることを知る。でも、ちょっとだけ疲れてきたかな。 次男も「兄貴と同じ学校に行く」と言って、長男が通う高校を受験を

【随筆】我慢の女 第二章

高速道路を降り、しばらく走ると段々と建物と建物の間が広くなってくる。 目的地に到着するとそこは一面田んぼと畑。川沿いに伸びる、駅の無い細長い町であった。 夫の実家があるからここには何度も来ている。長閑で良いところだなとも思っていた。まさか住むことになるとは思っていなかったから。 町営住宅。間取りは一階に六畳一間と板の間の台所。二階に六畳間、四畳半一間の3K。昭和47年建築。あの時で築20年か。古くもない気はするけど、見た目はそれよりずっと古く感じた。 廊下や階段の軋み、壁の

【随筆】我慢の女 第一章

「おどっつぁんも俺も姉ちゃんも忙しいんだがら、おめぇが全部やんだがんない!」 当時の福島では女でも自らを「俺」と呼んだ。 私の母が福島弁でそんなことを捲し立てる。 小学校へ上がって間もなくの話だ。 当時の私はそれが当然のことなのだと思っていたし、親に言われたのだから従うのも当然なのだと疑いもせずにそう思っていた。 家族4人分の食事を三食作り、家中の掃除をし、夜には薪を焚いて風呂を沸かす。 当然なのだ。これは私がやらなければならないことなのだ。 家の敷地にあるアパートも我が家