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自分の紹介をします。

自己紹介です。

もうすぐ30、童顔です。

生まれは福島、育ちも福島。ちょっとだけ北海道です。
幼き頃はボールを追いかけ、山を走ってきました。
福祉大学を出て就職を機に上京し、今年で7年目になります。
育って来た環境のためか歩く速さとトークのスピード感は
都会の人になりきれずに今に至ります。

お仕事は映像をつくること、主にディレクターやエディターをしています。

映像制作会社にて1年目からTV番組、配信番組、CM、WEB映像、VP、
YouTube、イベント、舞台などメディアの枠を越えまくって現場を経験してきています。これまでアシスタントも含めて6年間で100ほどの案件に携わってきました。

「人に寄り添える力と向き合える心」を持って「人や地域・社会に貢献する映像を作ること」を心得として映像の制作に向き合っています。

2020/04〜フリーランスとして活動中です。

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と、ここまでがいつもする自己紹介なのですが、せっかくなのでどうでもいいことも込みでもうちょっと紹介してみます。

かおとか雰囲気とか

初対面のちびっこ・おじいさんおばあさんにも警戒されないくらいの童顔、乗りたい電車の行き先や道迷った時に聞きやすい系の雰囲気、なにかスポーツやってます?って言われる感じの短めの髪、髪色はちょいちょい遊びたい派です。服装はガーリーな格好は得意ではなくて、カジュアルで中間な感じで清潔感を基本にしています。肩からカバンのひもが落ちる系の小柄感、長年のPC作業が祟っての猫背、コンタクトが苦手なので基本的に裸眼でややぼやけて見えてる、仕事とかちゃんと見たいものがあるときは8つくらいある眼鏡の中からその時の気分に合うものをかけます。高校生の時にピアスを開けてから、金属アレルギーだってことを知ったのであんまりアクセサリーはつけてません。ピアスの穴もふさがりました。困り顔っぽいんですけど、考えごとをする時に眉間にシワをよせてしまうだけなのであまり気にしないでください。

性格

自分でいうのもアレですが…「思ってたより、やさしいんだね。」って言われることが多いです。初対面の人やあまり関わりのない人からは「なんか人に興味なさそうよね」ってドライな印象も持たれることもしばしば。印象の3倍くらいは人に興味・関心があります。

社会人なって、超温厚だった性格がちょっと喜怒哀楽のコントラスト強めに変わってきたなと最近は感じています。ずっと業界にいてせっかち+理屈っぽくなってしまっているところもあります。でも、もともと筋が通ってないことが好きじゃないっていうベースもある。

記憶力があんまりよくないようで、忘れっぽいから普段からメモをたくさんとります。思い出話は向いてない。目の前のことに集中してしまうと人の話は聞かないし、ご飯や寝る時間さえ忘れるので、痩せたり風邪をひきます。

あとは、直球どストレートで思いを話してぶつけることがうまくできなくて、あれこれ考えながら話すのでゆっくりめのトークテンポです。沈黙があっても一生懸命考えているので、少し時間をください。

素直に思いを伝えることは絶賛練習中。

お酒は好きで飲めますが、強くはないので飲みすぎると自分じゃない誰かが出てきてしまい、極稀に恐怖を覚えることがあります。

学生時代に学んできたこと

映像のお仕事をしていますが、学生時代には映像のことはまったくで、大学では福祉のことをずっと学んできました。前に、卒業生インタビューを受けて、学生時代に学んできたことや思いを恥ずかしながら記事にしてもらったのでリンクを貼っておきます。もしよかったら読んでください。

要は、福祉を学んだことってちっとも無駄じゃなかったよっていう話です。

学校と映像のお仕事を始めたきっかけ

卒業前に学校の先生たちにもなんで?って散々言われたし、初めましての方にもどうして映像の業界に?と聞かれることが多いのでここで説明しておきます。

せっかくだから(一度しかない人生だし)小さい時に憧れた職業についてみました。と言ってみたーい、が発端です。笑

さかのぼると小さい時の夢は、「自衛隊になる」でした。父が陸上自衛隊だったということもあって、学区内には自衛隊の駐屯地があって迷彩服や戦車などが身近にあるところで育ってきました。現にわたしの小・中学校の同級生は自衛隊です。なんとなく大人になったら自分も自衛隊になるなのかなーとか思ってましたが、高校生になって選択肢が広がり、これから次第で何にでもなれる状態に混乱してしまって、むしろ自分が何になりたいのかわからずソフトボールに夢中になって過ごしてしまいました。で進路をどうするかって時期になり、面談で担任の先生に将来どうしたらいいのかわからないと持ちかけた時に言われたのが

「どんな職業じゃなくて、どんな大人になりたいですか?」

いや、これも答えに迷いました。どんな大人…どんなってなに?みたいな

「自分のためには生きれる気がしないので、人のため、世の中のためになる大人になりたいなとはおもいます。」

予想外の質問に対し反射的に出た答えだったので、当時の自分の本心だったかはまったくの不明です。その言葉きっかけで福祉大学に進学し情報×福祉を学びました。でも、介護とかではなくてプログラミングとかハードウェアとかソフトウェア〜とかを福祉的に活用するには。みたいな学問です。おかげで、そっち方面の資格も持ち合わせています。

でも、学べば学ぶほどやっぱり仕事にするには違うなって違和感があって、また進路に悩まされる時期を迎えてしまうのです(笑)

その頃、夢中になってやっていたのが趣味の映像制作でサークルの卒業する先輩にプレゼントするための思い出ビデオとか、友達とCMのパロディ動画をつくって遊んだりとか、当時付き合っていた人の誕生日を祝うサプライズムービーとか色々作っていて、今見返しても恥ずかしいくらいの超低クオリティの作品だけど、どれも超ワクワクして撮影して、温かい思いがあって大きな愛があって、笑って涙して心揺さぶられた作品でした。

ぼんやりですが、自分の作るもので、なにかを感じてくれたり、それが人の役に立つことならばやりがいのあることだなーって思うようになりました。

就職活動中、自己分析をしていて自衛隊以外になりたい夢が自分にはもうひとつあったことを思い出しました。

AD(アシスタントディレクター)です。

幼い頃テレビで「AD選手権」なるものを見たんです。過酷なテレビ業界の現場の中でどこのADがより過酷かみたいなものを競うやつ(笑)テレビ局の廊下で倒れこんだまま眠るAD〇〇さん、第3位みたいなのです。見る人にはどう映るかなんて全くわからないものだなと我ながら思うのですが、、、

「一生懸命、働くって格好いいな。椅子3つ並べて寝るのいいな。」

そこに憧れてADになりたいと思った時期が確かにありました。笑

憧れの職業につくというミッションをクリアするにはこれしかない。映像もとっても好きだ。ということで、就職活動を始めたら

こんなトチ狂った志望理由が刺さったのか無事に映像業界に足を踏み入れることができたわけです。

入社1日目に夢が叶った瞬間でした🎉


最後に

長々と書いてしまいましたが、映像に携わって7年目になります。夢を叶えたその就職先で6年間濃すぎる修行をし、フリーランスとなりました。

どんなことをしているかは、また次回以降でお話できたらと思います。

最後まで読んでくださる方がいるかわかりませんが、少し掘り下げて自分の紹介をしてみました。

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