ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(2)

(↓ はじめから読む)

それゆえ、ユダヤ教の律法もまた、ユダヤ教によって作られたかもしれないという可能性を独断的に拒否するわけにはいかない。

そして、この提案を非常に慎重に考察すべき切迫した理由がある。

ここで私の個人的な経験を述べるのも場違いなことではないだろう。

研究をし始めたころ、私はサウルとダビデ、アハブとエリヤの物語に惹かれ、預言者アモス、イザヤの言葉に強くとらえられていたので、旧約聖書の預言書と歴史的な書〔ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記〕をよく読んでいた。

うまい助けがあったおかげで、私はそうした物語をかなりよく理解できていたと思っていたが、同時に、自分は聖書の土台ではなく、屋根から読み始めているのではないかという意識にも悩まされていた。

聖書全体の基礎であり、前提であると教えこまれていた「律法」のことはあまり知らなかったからである。

そして、ついに私は勇気を出して、出エジプト記、レビ記、民数記を読むことにし、これらの書について、クノブル Knoble による註解書も読んだ。

私はそこに歴史書と預言書を照らした光を見出そうとしたが、それは虚しいことだった。

それとは逆に、歴史書と預言書から得た喜びは、律法によって台無しになってしまった。

律法は何かを私の近くにもたらすことはなく、音を立てる幽霊のように、窮屈そうに割り込んでくるのだが、目には見えず、本当に全く何の効果ももたらさなかった。

歴史書との接点があるはずのところでさえ、相違が感じられ、律法が優位にあることについて、偏見なしの決定を下すことはできないと思った。

その相違はまったく異なる二つの世界に分けるものなのではないかと、私はかすかに考えるようになり始めていた。

しかし、そのようなはっきりとした考えに到達するには程遠い状態のまま、私は深い混乱を感じるばかりであった。

その混乱はエヴァルトEwaldの『イスラエル史』第二巻での説明によってさらにひどくなった。

1867年の夏、ゲッティンゲンを訪れる機会があり、リッチュルRitschlを通して、カール・ハインリヒ・グラフKarl Heinrich Grafが「律法」を「預言者」よりも後代に位置づけていることを私は知った。

そして、その仮説についてグラフが示した根拠をほとんど知ることのないまま、私はそれを受け入れようとしていた。

私はすでに、トーラーなしでヘブライ人の古代誌を理解する可能性を認めていたのである。

*****

通常グラフに関連づけられるこの仮説は、実際には彼によるものではなく、その師であるエドゥアルト・ロイスEduard Reussによるものである。

さらに厳密に言えば、レオポルト・ゲオルゲLeopold Georgeとヴィルヘルム・ファトケWilhelm Vatkeがそれに先行する。

彼らはロイスとは別に、また、互いも別々に、その仮説を文章として書いていた。

さらに言えば、この三人はともに、この分野における歴史批判の画期的な先駆者であるマルティン・レブレヒト・デ・ヴェッテMartin Lebrecht de Wetteの下で学んでいた。

注1 ロイスの仮説は1879年に印刷されたが、その考えそのものは1833年には発表していた(言及されている学者の書誌情報は割愛)。

ロイスは確固とした立場に到達することはなかったが、考えられているイスラエル史の出発点と実際の歴史がどんなに離れたものであるのかを最初に感知し、指摘したのは彼であった。

荒れ野において、聖なる中心と統一的な組織をともなった基礎を広く設定した宗教共同体は、イスラエルが自分たちの土地に定住し、本来の意味において国となるや、何の痕跡も残さずに消えてしまった。

士師時代は混乱した混沌を示しており、その混乱から外的な環境の圧力の下、秩序と一貫性が徐々に整えられていく。

しかし、それはまったく完全に自然な形で進み、かつて存在した〔はずの〕聖なる統一的な組織のほんの微かな名残もないままにされている。

ヘブライ人の古代誌は、聖職者が管理する集団hierocracyへの傾向をまったく示していないのだ。

権力を振るうのは一族や部族の長だけで、のちに王がそれを担い、宗教上の礼拝にも力を及ぼし、祭司を任命し、罷免した。

祭司がもっていた影響力は道徳に関することだけで、神の律法は祭司たちの地位を保証する文書ではなく、単に他の者たちのための指示を祭司たちに語らせるものであった。

預言者たちの言葉のように、「律法」も神の権威を備えたものだが、政治的な拘束力をもつものではなく、自発的に受け入れられた場合にのみ、効力を発揮するものであった。

そして、王たちの時代からもたらされた文献がそうであるように、2、3の律法への明白な比喩を集めるのがせいぜいのことであることに困惑させるかもしれないが、ホメロスがギリシャ人に示した比喩を比較材料として考えれば、それが何かを証明すると考えられることはない。

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この驚きは、捕囚後のユダヤ教において、その時まで隠されていたものでしかなかったはずのモーセ主義〔モーセの宗教〕が突然、あちこちに卓越したものとして現れたということで完全なものとなる。

…………(この段落から、次回に続く)
https://note.com/pscript/n/n909f70160a11

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