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初めての妊娠から流産宣告までの1ヶ月


妊婦だったのは、たった2ヶ月間だった。

35年間、色んな経験を重ねてきた中で自分自身これほど行動変容した事は無いと思う。

そんな貴重な妊婦体験を忘れたくないので、妊婦健診の記録とあわせてノートにした。

妊娠が分かってから、流産宣告まで約1ヶ月。
流産宣告から、自然排出まで約1ヶ月。

このノートは、流産がわかるまでの前半1ヶ月の体験を記録している。

後半の自然排出、水子供養などの体験記録はこちら

妊娠発覚(5w:2022/1/11)


生理が10日ほど遅れ、もしや…と試した妊娠検査薬はくっきりと陽性を示した。35歳、初めての妊娠。

発覚した時は、嬉しいとか以前に「これから色々どうしよう」みたいな感じが素直な感情だった。

とはいえ妊娠を自覚すると一気に母親スイッチが入るもので、自らの生活習慣は一変した。

前日までガバガバ飲んでいた大好きなお酒とコーヒーを断ち、ダイエットのため控えていた炭水化物もしっかり摂取。毎朝の葉酸サプリ。緩めの下着、腹巻き。

子ども中心に一変するであろうライフスタイルに心躍らせ、一方、ずっと自分勝手に生きてきた私は、先々やっていけるのか少し不安にもなった。幸せな悩みだ。

最後の生理日から5wと予想、心拍がとれるであろう1週間後に初診を予約した。6wまでに2キロ太った。

妊婦健診:初診(6w:2022/1/17)

胎嚢(10.1㎜)のみ確認、心拍はきこえず。

先生「大きさ的にはまだ5w位です。…少し卵巣が腫れていますが、おそらく妊婦によるものでしょう。2週間後、またきてください。」

初診6wの超音波写真
妊婦健診は保険外、母子手帳を貰える段階まで補助はない


妊娠している事は確からしい。

…が、それ以上でも以下でもない。

まだ6wの段階で気にしても仕方ないと分かっていても、胎児の行方について気になる。一方で「私は大丈夫だろう」と楽観する思考が脳内をぐるぐるしていた。

8wまでの2週間、ひどいつわりは殆どなかったがとにかく疲れやすく、いつも眠たくて朝起きるのが辛かった。当然仕事の集中力も落ち、いつもの3倍くらい時間がかかってしまう感じがした。

妊婦健診2回目(8w:2022/2/1)

前回より大きくなった胎嚢25㎜の中に、リング上のもの(後に卵黄嚢と知る)を確認。

先生はうーんと言いながら、私に突っ込んだ超音波の角度を何度も変え慎重にみてくれるものの、やはり心拍はマイナス。

先生「心拍が聞こえるかどうかは大事なポイント。もし次も確認できないなら流産ということになります。1週間後にまた来てください」

前回より大きく、はっきり胎嚢の様子が見えた…が
診察が長かったのでもっと高くなるかと思った


ここから一気に検索魔になった。同じ様な状況に置かれた方々の体験談やQ &Aを読み漁った。その結果分かったことは、8wで心拍がとれない場合、大体80%位は流産しているということ。

現実を知り、もし上手くいけばラッキー!位に思う様にした。

この頃からダルさや眠気が抜け気分も妙にスッキリしていた。出張もこなし、上司に現状を報告した。このタイミングで話したのは、流産するにしろ出産するにしろ、いずれにしても休みとったりと仕事を調整する必要があると思ったから。それなら今思えば仕事が辛かった初期段階で話しておけば良かった。

妊婦健診3回目(9w:2022/2/8 )→稽留流産宣告

先生「どんなにズレていたとしても8wは超えているのに、心拍がとれない。赤ちゃんも小さ過ぎる。稽留流産で間違いないでしょう。」

私「はい、わかりました。」

先生「遠くない未来に出てくると思います。出てきたものは、病院に持ってきてください。」

私「仕事しているのでいつ出てくるか分からないのは…(手術の選択肢はない?)」

先生「病院の方針で自然排出をすすめています。持ってくるのはあなたのため。もしそれまでにひどい出血などしたらすぐに連絡してください」

覚悟していたので涙こそ出なかったが、冷静でいることに精一杯だったと思う。

検索魔のおかげで、摘出手術と自然排出についても調べていた。在宅ワーク中心の私は自然排出が良いだろうとは思っていたので、それ以上質問もしなかった。

胎嚢は大きくなっている様に見えたが、今回は写真を貰えずサイズは分からなかった。

稽留流産の診断以降は一部保険適用


1ヶ月妊婦を経験してわかったこと


私たち夫婦は子どもや家族計画についてあまり語り合ったりはしない。

子どもは授かれたら嬉しい、位のスタンス。今もそれは変わらない。妊娠に一喜一憂する生活は、私たちには多分上手くできないからだ。

…とはいうものの、女の私にはリミットがあることも歳を重ねるにつれて実感していた。だからこそ(自然な流れで)妊娠できないならもう仕方ない、愛猫もいるし今も十分幸せだし、と私も腹を括っていた。

しかし運良く妊婦になってみわかったのは、身体はずっとこれを待ち望んでいたのかも、ということ。

今の社会を生き抜く中、子どもを持たない選択も大いに賛成、という価値観は身体にとってはそうでも無かったのかなということである。

考えてみれば、このためにこの身体は20年以上も毎月血を流し続けているんだし、これからもおそらく限界までそのような活動を続ける。ちょっと申し訳ない。

私たちのフワフワしている精子と卵子。
「いい加減にしろ!!」と、身体が半ばやけになって特攻隊のように着床させ、散っていったのかもしれない。


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