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稽留流産→自然排出、水子供養

このノートは流産宣告から自然排出までの約3週間と、実際に行った水子供養についての体験記録です。

鼓動が止まった胎嚢はカラダにとって異物とみなされ、剥がれ落ち、排出に至る。

少し前まで栄養から何から全部この胎嚢のため吸い取っていたのに、カラダって本当に不思議なものである。

妊娠発覚から流産宣告までの妊婦体験はこちら

自然排出に至るまでの経緯

自然排出までの経緯


9w
:稽留流産宣告(2/8
つわりもなく体調の変化は特に無かった。

1週間後(2/15
うっすらと茶オリ。よく見ないと分からないほどの薄い色のついたおりもの。

2週間後(2/21
はっきりとした茶オリがではじめる。まだおりもの用シートで事足りる量ではあるが、念の為ふつうの日用のナプキンを使用。

2/22に病院に健診へ。胎嚢のカタチはまだ崩れていなかった。
先生にいつ頃排出しそうか聞いてみたが、それは神のみぞ知ることだと前置きの上、あと2週間以内には出るでしょうと言われた。

18日後(2/26 
茶オリに鮮血が混じりはじめる。前兆だと察知。

19日後(2/27
朝から出血量が一気に増加。準備していた夜用特大ナプキンを装着。

昼ごろから断続的に下腹部の痛みを感じだす。立ってられない位しんどい。
鎮痛剤(ロキソニン)を飲むが全然効かない。耐えきれず夕方まで3時間ほど寝こみ、一旦痛みはひく。

夕食後また痛み出す。痛みはあるが、出血量は夜用特大ナプキンを2時間おきに替えれば充分なくらいだった。

念の為準備していたショーツ型の最強オムツナプキンを装着して就寝。

…昼間寝たから寝れない、お腹痛いし。
深夜12時に痛みが増し、深夜3時頃にやっと眠りについた。

20日後(2/28)自然排出本番

【本番】自然排出は小さなお産だった

痛みでほとんど眠れないまま、7時半起床。
トイレに直行してみると、最強オムツナプキンはもうたぷたぷになっていた。(なお、5個あったショーツ型のナプキンはこの1日で全て使い切った。)

断続的に下腹部が痛む。体内の異物を排出しようと、子宮が収縮を繰り返すせいだ。

私はこの日、仕事を休まなかった。
在宅でなければ確実に休んでいたが、例え下半身は血だらけで垂れ流し状態でも、zoom位はなんとかできてしまうのだ。朝9時から2時間程のオンラインミーティングを終え、くたくたになって次の打ち合わせまで寝込んだ。

経験ないものの、陣痛とはこんな感じなんだろうと思わずにはいられなかった。

痛みの度合いに波がある。

酷いときには、お腹を抱えて一人うめいてしまう程だった。その度に子宮から血がドバドバとあふれてくる。小さなお産と呼ばれる所以を身をもって知った。

16時からzoomミーティングが2本。
痛みが酷くなる度にビデオオフにして退席し、トイレに駆け込み、大量の血と赤黒い塊を排出し続けた。いつまで続くんだろう…頭がクラクラした。

17時頃、痛みはピークに達する。
ここぞとばかりに踏ん張ってみた。冷や汗かきながら、カラダに残された全ての力を振り絞った。
まだ出るはずではなかったらしいう◯ちも何もかも無理矢理、便器にだした。

その直後、ついに"ドュルン"!

キタ〜!!明らかにその大きさを感じた。


が、確証はない。便器を覗き込み、用意していた割り箸で赤黒い塊を持ち上げた。

床に血が滴り落ちる。
まるで真っ黒な明太子みたい。サイズも7,8センチくらい。

これだと思った。潰さないようジップロックにつめ、解放感に満ち満ちた表情でzoomをビデオオンにした。排出した後は痛みはひいた。

会議後、病院へ電話。
診察時間は終わっていたので、特に今問題なければ明日来てくださいとのこと。

夜、夫に排出した胎嚢をひと目見せようと試みたが、無理だと目をそらされた。
私だって無理と思う反面、共有できるものでもないかと思い、あきらめジップロックを二重にして冷蔵庫に保管した。

自然排出の翌日は病院へ

胎嚢らしき排出物を持って朝一に病院へ。

見知った顔の先生に「でました!すごく痛かったです!!」と鼻息荒く報告。

私の通う産婦人科の先生はいつだって顔色を変えない。健診を重ねる度に感心していたので、自然と私もそれに合わせてきた。流産宣告の時だって。

しかし、この日初めて私は感情的に会話をした。

理解者を求めていたのかもしれない。
やはり先生はいつも通り顔色一つ変わらなかったが。それで良かった。

診察では「(残留物)ちょっと残ってるね」と膣からその組織をかき出し、消毒するという処置をした。ちょっと痛かった。

続いて超音波で子宮内を確認すると、綺麗に出ているとの事。
ただし残留物が映らない場合もあるらしく1週間分の子宮収縮剤を処方される。

持参した排出物は提携している検査機関に送り、2週間ほどで結果が出るとの事。2週間後に予約し病院を後にした。

流産宣告以降は保険適用に

病理検査の結果

流産からおよそ2週間後、結果を受け取りに病院へ。

「病理検査で問題は無かったので言い方はあれだけど、普通の流産ですね。」

病理検査の結果


次の生理まで

排出後の3日間それなりの出血が続いた。生理2〜3日目くらいの量。以降は徐々に出血は少なくなっていき、2週間後にはおりものシートで対応できるようになった。

そして自然排出からおよそ1か月ほど経った4月1日、生理が再開した。これで身体は元通り。

ちなみにこの妊娠で4キロ太ったが、排出後いまだ全く戻っていない。純粋に太っただけだった…。

水子供養は義父の菩提寺で

水子供養について、正解はないようだ。

特に私のような初期流産のような場合、この世に何も残すものもカタチもない段階での別れである。記憶に留めておくだけでも充分なのかもしれない。

色々と検討した結果、義父のお墓があるお寺に水子供養をお願いした。小さな卒塔婆の様なものを用意していだだき、お葬式のようにお経を読み、お焼香をあげた。

小さな卒塔婆は義父のお墓に置くこともできたが、親族に知らせたくなかったので寺内の専用部屋に置いて供養してもらった。

水子供養が終わったあと、正直者の夫は「よく分からないけど何も実感もない。これはやり過ぎ(おおごとにしすぎ)だと思う」と言っていた。

夫自身は赤ちゃんの姿カタチ、身体への影響など、何の実感もないまま今回のことに至っているから、そう感じるのも当然かもしれない。

一方、私は一瞬でもお腹に宿ってくれた我が子に最大限何かできることをしてあげたかった。産んであげられなかったせめてもの償いをしたい気持ちもあったと思う。

妊娠出産は母親にしかできない。水子供養も、そういうものなのかもしれない。

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