四手井剛正『戦争史概論』 緒言
緒 言
戦争の絶滅、永久の平和は世界人類が等しく仰望する美しい理想である。しかしながら歴史が物語る過去の事実には、有史以来いまだ真の平和はない。世界の歴史は戦争に次ぐ戦争であり、その間にある一見平和に見える時代においてすら列国の抗争は依然として休止することなく、その実情はむしろ次におこる戦争の準備とみるのが至当であると思われ、そのようにしてまた戦争は世界深化の動力であり、根幹である実作用を呈している。近代に至って、戦争の発生がますます減少している印象を与えるけれども、これは戦争が国家総力戦に進化し、かつ世界の情勢がその一局部で起こる戦争もややもすれば世界戦争に進展する傾向を示しているがために、列国が開戦の決心を慎重になっている結果にすぎない。
現実の世界において、全生物は不断に成長し、人類社会には理想と欲望があい錯綜し、清濁善悪が並んで存在する。このため生存競争はあらゆる生物の間においても、人類社会においても、更にまた国家の間においても、四六時中停止することなく、優勝劣敗は世界を支配する厳然たる大原則であり、いずれの民族も、いずれの国家も、究極においては各々その理想するところをもって全世界を支配するに至らなければ止まることはない。いたずらに理想に憧憬し、戦争回避に汲々とするのみで平和の世界をもたらすことはできない。近世にいたってしばしば世界平和を実現しようとする企てが見えるが、あるいは武力のみを制限もしくは撤廃しようとし、あるいはまた人類社会の実情に即しない架空的道義論を唱えて、しかもその心底には現状維持によって自己の優位を将来に保証しようとする欲望を潜ませるなどいずれも戦争の根本的原因に触れたものはない。
真の世界平和は、全世界が一つの理想によって統一されるに至って初めて実現するものであり、優秀な民族もしくは国家の世界支配によるか、あるいは各民族各国家の理想が融合帰一するに至った結果として生ずるのかは予断することは難しいけれども、そのいずれの場合においても、長年にわたる各民族各国家の不断かつ真摯な抗争が、優勝劣敗切磋琢磨の作用呈する究極において実現するものであって、早急に口筆をもって世界平和の大業を成就することはできない。各国家がその理想とするところを内に完成し、外に宣布し、これをもって世界を支配し、人類の幸福を永遠に確立するという信念と熱情をもって不断の努力を傾注することこそ、世界平和を将来に実現する道であり、各国家の崇高な責務である。このような努力はかならず高遠な理想をもって行い、断じて利欲を挟んではならない。またこの努力の前には破邪顕正の義戦を回避してはならない。国家はみだりに他国の非道な厭迫侵害を排除して自国の存立を確保するだけでなく、更に進んで他国の非望を制し、自国の理想を伸張させるため、武備を収め、必要に臨んでこれを活用することに躊躇してはならない。
有史以来五千年、エジプト、アッシリア、ペルシャ、アレキサンダー大王帝国はあいついで世界制覇の本舞台にあがり、ローマに至っていわゆる世界帝国を現出するに至ったが永続しなかった。中世以降、おおむねイギリスを中心とする列強の抗争、一張一弛して現代におよび、今や大英帝国と誇った栄華もまた凋落しようとし、この間いまだ世界制覇の曙光すら認めることはできない。その納得できる理由は、核民族各国家に真に人類の幸福をもたらす大理想を抱くものがおらず、いずれも自己の民族または国家の利益と欲望を満たすことに汲々とする域を出ないためである。
人類の幸福を永遠に固めるべき世界平和の大業は、八紘一宇の大理想によって建国し、万邦無比の国体と光輝ある歴史とを有する我が国にして初めてこれを関せすることができ、であるからこそこのために我が国はまず建国の理想を実行できる内容と実力を完成することが必要である。孫子曰く、『百戦百勝は善の善にあらざるものなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』と。まことに至言である。軍隊はみだりに動かすべきではない。しかし破邪顕正の義戦はこれを必要とする場合その断行を躊躇してはならない。しかし必ず勝利を獲得する必要があることは言うまでもない。われらは戦争を研究するにあたっては、一度戦うならばなんとしても勝利するという意気と覚悟とをもって行うことが必要である。つまり戦争の学術的討究をもって満足してはならない。戦争において勝利を獲得することのできる精神の修養と統帥能力の訓練とをあわせて行うことが必要である。
勝利とは何か。敵を我が意志に屈服させることである。つまり形ではなく意志すなわち精神にある。この大原則は、現在及び将来にわたって不変である。しかし敵を我が意志に屈服させるためにとるべき手段は、人類一般の文化の進歩発達と歩調をそろえて進化しつつ現代に至っているため、将来更に進化を継続することは当然のことである。そのため一般文化の進歩の跡を研究して戦争が発達する状態を推断することが出来るとともに、戦争深化の大勢を知るときには、人類文化の発達の方向を判定するための有力な根拠を得ることが出来る。
戦争に関しては、種々研究及び問題があるといえど、これから述べるところはその重点を戦争指導に置き、かつ武力行使を中心とし、あわせてこれと政治との調和を概説しようとする。しかし最近戦争という用語を種々広義に使用する傾向があるけれども、本稿において戦争は、国家の抗争に武力行使を伴うものを指すものとする。
戦争を研究するにあたっては、原始的戦争より現代の戦争にいたるまで、その進化と発達の状況を観察することを最良とするも、本稿は現代における戦争に影響の深い近代国家の発達以降の主要な戦争、すなわちフリードリヒ大王戦史に筆を起こし、つづいてナポレオン一世及びヴィルヘルム一世の戦史を大観し、そののちに第一次欧州大戦における重要問題を討究して、これをもって戦争の発達の状況を概観し、更に我が国が行った戦争の中で日露戦争を中心としてその特質を研究し、これによって今まさに進行中の東西の戦争を観察する基礎知識を求めることにしよう。
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