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【本】四手井剛正講述『戦争史概観』

四手井剛正講述『戦争史概観』の紹介です。

1 本書について

四手井剛正講述『戦争史概観』(1943)岩波書店

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四手井剛正:

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京都府山科出身
京都一中
大阪陸軍地方幼年学校
中央幼年学校
1915.5 陸軍士官学校(27期)を卒業
1915.12 陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第23連隊付
1922.11 陸軍大学校(34期)を優等で卒業
陸軍騎兵学校教官
ドイツ駐在
陸大教官兼参謀本部員、、このころ『戦争史概観』を著述か
1935.8 侍従武官
1939.3 騎兵第23連隊長
1940.3 陸大教官
陸大研究部主事
1940.8 陸軍少将
陸大幹事として太平洋戦争を迎える。
1942.12 第1方面軍参謀長
1943 『戦争史概観』出版
1943.10 陸軍中将
1944.10 第94師団長、マレー半島に赴任
1945.5 緬甸方面軍参謀長
1945.7 関東軍総参謀副長
1945.8.18 台北の松山飛行場において飛行機事故により殉職

2 要旨

 本書は、元々陸軍大学校学生に対して戦争に関する概念を与え、戦争指導上の主要な着眼を理解させることを目的としていた。しかし、戦争中という状況下において有識者の軍事関係の知識を普及することが喫緊であるにも関わらず、そのような資料が微々たるものであったため速やかに普及すべしという先輩や同僚の声があり、とりあえず印刷したとしている。
 第一章ではフリードリッヒ大王の戦史を挙げ、大王が七年戦争で勝利を収めたのは不動の責任感と不屈の意志ゆえとし、それを涵養し得たのは父のスパルタ式の教育と大王が青年時代から行ってきた歴史、戦史及び哲学の研鑽のたまものであるとする。また、当時は消耗戦争の時代であったにもかかわらず会戦の価値を認識してたことを評価し、将帥であるとともに優れた学者であったする。
 第二章ではナポレオン戦史を挙げ、その活躍の原動力は殲滅戦略の活用にあるとする。ナポレオンには天才のひらめきがあったが、かれが欧州で雄飛できたのは天才的独創にあるのではなく、先人の跡を究め、戦史を研究し、現実を正視した理詰めの結論からでたものであった。ナポレオンが最終的に没落したのは、皇帝になって健康状態が悪化し、軍隊が大きくなる中で、彼の下に軍司令官となるべき将器がなく、自ら戦争を指導し、軍隊を指揮せざるを得なかったからとする。そして、フリードリッヒ大王にも劣らないナポレオンが没落した理由として、時代の進展により、一人の独裁では一国を統率できなくなり、戦争指導のための単一の国家最高組織が必要になったことを挙げている。
 第三章のウィルヘルム一世の戦史においては、ビスマルク、ローン、モルトケを擁する政治および軍事の最高組織、その組織下での政治と軍事の協力、モルトケにより計画指導された近代化の色彩の強い戦略統帥を特色としている。特に、モルトケについて、その戦略はナポレオンの殲滅戦略を近代化させた点、独断を奨励するも戦略的配置を適切にして戦略が戦術によって破壊されないようにした点を評価している。また、普仏戦争において、敵野戦軍を撃破しても降伏せず、要塞の攻略と不正規軍の抵抗を受けたことから近代的民族国家を敵とする場合は、状況により民心を屈服させるための作戦が必要でありとしている。
 第四章では第一次世界大戦時のドイツを挙げる。戦争準備においては、シュリーフェンの作戦計画を一方的な机上の空論であると批判し、また国家における実質的な中心を欠き、ビスマルク、ローン、モルトケのような協力が行われなかったとしている。また、ルーデンドルフに対しても軍人としては一流だが大将帥としての素質は持っておらず、総力戦を指導する器にはなかったと評価している。
 第五章は日露戦争について挙げる。、特に問題点としては、要塞攻撃に関する研究及び準備が不十分だったこと、桂首相が統帥事項に関与したことにより政戦両略が混交することが少なかったこと、総司令部の会戦指揮が不十分であったこと等を指摘している。
 第六章は総合的な観察として、これまでの戦史を振り返り、将来戦の様相及びその中での着眼を述べている。

3 目次

緒言
第一章 フリードリヒ大王
 第一節 古代より近世初期に至る時代の戦争
 第二節 フリードリヒ大王
 第三節 第一、第ニシュレジェン戦争
 第四節 七年戦争
 第五節 観察
第二章 ナポレオン一世戦史
 第一節 仏国大革命とナポレオン
 第二節 将帥ボナパルト時代
  (一) 一七九六年イタリア戦争
  (ニ) 一八〇〇年イタリア戦争
 第三節 皇帝ナポレオン一世の盛時
  (一) 一八〇五年戦争
  (ニ) 一八〇六、七年戦争
 第四節 ナポレオンの没落期
  (一) スペイン征討
  (ニ) 一八〇九年戦争
  (三) 一八一二年戦争露国遠征
  (四) 一八一三年戦争
  (五) ワーテルローの会戦
 第五節 観察
第三章 ウィルヘルム一世戦史
 第一節 ウィルヘルム一世とビスマルク、ローン、モルトケ
 第二節 普墺戦争
  (一) 開戦に至る状況
  (ニ) モルトケの作戦計画
  (三) 情勢に応ずる作戦計画の修正及作戦経過
  (四) 講和
 第三節 普仏戦争
  (一) ビスマルクとナポレオン三世の外交戦
  (ニ) モルトケの作戦計画
  (三) 集中及メッツに至る作戦
  (四) セダンの包囲
  (五) パリ攻城及講和
 第四節 普仏戦争後におけるビスマルクとモルトケ
 第五節 観察
第四章 ドイツを中心とする第一次欧州大戦史
 第一節 前言
 第二節 皇帝ウィルヘルム二世
 第三節 シュリーフェンとその計画
 第四節 ベートマン・ホルウェヒとモルトケ及戦争準備
 第五節 大戦勃発の動機と開戦の名目
 第六節 マルヌ会戦
 第七節 参謀総長ファルケンハイン
 第八節 一九一四年秋より同年末に至る間のドイツ軍作戦方針に関する論議
 第九節 一九一五年におけるドイツ・オーストリア軍戦争指導の重点
 第十節 ドイツ軍のヴェルダン攻撃
 第十一節 イギリスにおける戦時内閣の成立
 第十二節 無制限潜水艦戦
 第十三節 大本営に入れるルーデンドルフ
 第十四節 フランス軍統帥の危機
 第十五節 ドイツの屈服
 第十六節 観察
 第十七節 ヴェルサイユ条約と戦後の欧州
第五章 日露戦争を中心とする本邦戦史
 第一節 前言
 第ニ節 明治初期における我が国防施設の変遷状況
 第三節 日清戦争の開戦に至る事情
 第四節 日清戦争の講和と三国干渉
 第五節 日露戦争前における我が国の戦争準備
 第六節 対ロ開戦
 第七節 開戦後の陸軍作戦に関する問題の若干
 第八節 講和招致の画策
第六章 総括的観察
 一 総力戦と武力
 ニ 今後における戦争の形態と戦争指導
 三 戦争指導機関
 四 戦争準備
 五 開戦
 六 敵戦力の撃滅
 七 開戦後における統帥と政略運用との協調及び終戦
 八 統帥


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