5 『孫子』における戦争の遂行ー戦術次元

1 はじめに

『孫子』における戦術次元について考察する。

2 カオスとしての戦場の様相

 孫子は彼我が相乱れて戦い運や偶然に左右されるカオスな存在として捉えた。

21 紛々紜々として闘い乱れて、見出すべからず。渾々沌々として形円くして、敗るべからず。

3 「地形」の重視ー徹底的な戦場分析

 戦闘においても必勝の態勢を構築するため、孫子は地形を徹底的に分析し活用しようとする。

39 孫子曰わく、
 凡そ軍を処き敵を相ること。
 山を絶つには谷に依り、生を視て高きに処り、隆き戦いては登ること無かれ。此れ山に処るの軍なり。
 水を絶てば必らず水に遠ざかり、客 水を絶ちて来たらば、これを水の内に迎うる勿く、半ば済らしめてこれを撃つは利なり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うること勿かれ。生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ、此れ水上に処るの軍なり。
 斥沢を絶つには、惟だ亟かに去って留まること無かれ。若し軍を斥沢の中に交うれば、必らず水草に依りて衆樹を背にせよ。此れ斥沢に処るの軍なり。
 平陸には易に処りて而して高きを右背にし、死を前にして生を後にせよ。此れ平陸に処るの軍なり。
 凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。
40 凡そ軍は高きを好みて下きを悪み、陽を貴びて陰を賎しむ。生を養いて実に処り、軍に百疾なきは、是れを必勝と謂う。丘陵堤防(堤はこざとへん)には必らず其の陽に処りて而してこれを右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。
41 上に雨ふりて水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。
42 凡そ地に絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙あらば、必らず亟かにこれを去りて、近づくこと勿かれ。吾れはこれに遠ざかり、敵にはこれに近づかしめよ。吾れはこれを迎え、敵にはこれに背せしめよ。
43 軍の傍に険阻・こう[水黄]井・葭葦・山林・えい[艸+翳]薈ある者は、必らず謹んでこれを覆索せよ、此れ伏姦の処る所なり。
47 孫子曰わく、
 地形には、通ずる者あり、挂ぐる者あり、支るる者あり、隘き者あり、険なる者あり、遠き者あり。
 我れ以て往くべく疲れ以て来たるべきは曰ち通ずるなり。通ずる形には、先ず高陽に居り、糧道を利して以て戦えば、則ち利あり。
 以て往くべきも以て返り難きは曰ち挂ぐるなり。挂ぐる形には、敵に備え無ければ出でてこれに勝ち、敵若し備え有れば出でて勝たず、以て返り難くして不利なり。
 我れ出でて不利、彼れも出でて不利なるは、曰ち支るるなり。支るる形には、敵 我れを利すと雖も、我れ出ずること無かれ。引きてこれを去り、敵をして半ば出でしめてこれを撃つは利なり。
 隘き形には、我れ先ずこれに居れば、必らずこれを盈たして以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居り、盈つれば而ち従うこと勿かれ、盈たざれば而ちこれに従え。
 険なる形には、我れ先ずこれに居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。若し敵先ずこれに居れば、引きてこれを去りて従うこと勿かれ。
 遠き形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦えば而ち不利なり。
 凡そこの六者は地の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。
52 孫子曰わく、
 兵を用うるには、散地あり、軽地あり、争地あり、交地あり、衢地あり、重地あり、ひ[土己]地あり、囲地あり、死地あり。
 諸侯自ら其の地に戦う者を、散地と為す。
 人の地に入りて深からざる者を、軽地と為す。
 我れ得たるも亦た利、彼得るも亦た利なる者を、争地と為す。
 我れ以て往くべく、彼れ以て来たるべき者を、交地と為す。
 諸侯の地四属し、先ず至って天下の衆を得る者を、衢地と為す。
 人の地に入ること深く、城邑に背くこと多き者を、重地と為す。
 山林・険阻・沮沢、凡そ行き難きの道なる者を、[土己]地と為す。
 由りて入る所のもの隘く、従って帰る所のもの迂にして、彼れ寡にして以て吾の衆を撃つべき者を、囲地と為す。
 疾戦すれば則ち存し、疾戦せざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。
 是の故に、散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、[土己]地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。

4 戦場における敵情分析

 地形だけでなく、戦場における敵の状態においても慎重な分析を求める。

44 敵近くして静かなる者は其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は利するなり。衆樹の動く者は来たるなり。衆草の障多き者は疑なり。鳥の起つ者は伏なり。獣の駭く者は覆なり。塵高くして鋭き者は車の来たるなり。卑くして広き者は徒の来たるなり。散じて条達する者は樵採なり。少なくして往来する者は軍を営むなり。
 辞の卑くして備えを益す者は進むなり。辞の強くして進駆する者は退くなり。約なくして和を請う者は謀なり。軽車の先ず出でて其の側に居る者は陳するなり。奔走して兵を陳ぬる者は期するなり。半進半退する者は誘うなり。
45 杖きて立つ者は飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり。利を見て進まざる者は労るるなり。鳥の集まる者は虚しきなり。夜呼ぶ者は恐るるなり。軍の擾るる者は将の重からざるなり。旌旗の動く者は乱るるなり。吏の怒る者は倦みたるなり。馬に粟して肉食し、軍に懸ふ[卸-卩+瓦]なくして其の舎に返らざる者は窮寇なり。諄々翕々として徐に人と言る者は衆を失うなり。数賞する者は窘しむなり。数罰する者は困るるなり。先きに暴にして後に其の衆を畏るる者は不精の至りなり。来たりて委謝する者は休息を欲するなり。兵怒りて相い迎え、久しくして合わず、又た解き去らざるは、必らず謹しみてこれを察せよ。

5 敵の弱点を叩く、作る

 敵情を知り、強点と弱点を把握したら孫子は徹底的に敵の弱点を叩くことを求めた。また、弱点が見られない場合は変化があるまで待つか弱点を作り出すべきとした。

 凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。終わりて復た始まるは、四時是れこれなり。死して更生ずるは日月これなり。
 声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴くべからず。
 色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからず。
 味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗[な]むべからず。
 戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず。奇正の相生ずることは、循環の端なきが如し。孰れか能くこれを窮めんや。
24 孫子曰わく、
 凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨[おもむ]く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむる者はこれを害すればなり。故に敵 佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれを饑[う]えしめ、〔〔安んずれば能くこれを動かす。〕〕
 其の必らず趨く所に出で、〔~飢えしむる者は、その必ず趨く所に出ずればなり。〕〔〔其の意[おも]わざる所に趨き、〕〕千里を行いて労れざる者は、無人の地を行けばなり。攻めて必らず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵 其の守る所を知らず。善く守る者には、敵 其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す。
25 進みて禦ぐ〔迎う〕べからざる者は、其の虚を衝けばなり。退きて追う〔止む〕べからざる者は、速かにして及ぶべからざればなり。故に我れ戦わんと欲すれば、〔〔敵 塁を高くし溝を深くすと雖も、〕〕我れと戦わざるを得ざる者は、其の必らず救う所を攻むればなり。我れ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守ると雖も、敵 我れと戦うを得ざる者は、其の之く所に乖けばなり。

54 敢えて問う、敵 衆整にして将[まさ]に来たらんとす。これを待つこと若何。
 曰わく、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速を主とす。人の及ばざるに乗じて不虞の道に由り、其の戒めざる所を攻むるなりと。

6 「主動」の重視

 戦うにあたっては常に主動的であることを重視する。

37 故に用兵の法は、其の来たらざらるを恃むこと無く、吾れの以て待つ有ることを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり。

7 「勢」の重視

また、戦闘においては兵士一人ひとりの活躍よりも、全体としての勢いによる戦況の有利化を重視する。

17 勝者の民を戦わしむるや〔〔→勝を称る者の民を戦わすや〕〕、積水を千仭の谿に決するが若き者は、形なり。
20 激水の疾くして石を漂すに至る者は、勢なり。
 鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。
 是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして其の節は短なり。勢は弩をひ[弓廣]くがごとく、節は機を発するが如し。
23 故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責めず、故に善く人を択[えら]びて勢に任ぜしむ。勢に任ずる者は、〔〔→故に善く戦う者は、これを勢に求め、人に責めずして、これが用を為す。故に善く戦う者は、人を択びて勢に与わしむること有り。勢に与わしむる者は、〕〕その人を戦わしむるや木石を転ずるがごとし。木石の性は、安ければ則ち静かに、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。

 作戦次元における無形は、戦術次元、つまり戦場においては水として表現される。

 夫れ兵の形は水に象[かたど]る。水の行は高きを避けて下[ひく]きに趨[おもむ]く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
〔故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。〕

8 指揮統制による組織化

 これらの動きを鼓や旗によって統制することによって組織的な動きを可能とする。

33 軍政に曰わく、「言うとも相い聞えず、故に鼓鐸を為[つく]る。視[しめ]すとも相い見えず、故に旌旗を為る」と。
 夫れ金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする所以なり。人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。紛々紜々、闘乱して見るべからず、渾渾沌沌、形円くてして敗るべからず。此れ衆を用うるの法なり。
 故に夜戦に火鼓多く昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。
 故に三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。
 是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて其の惰帰を撃つ。此れ気を治むる者なり。
 治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり。
 近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ力を治むる者なり。
 正々の旗を邀うること無く、堂々の陳を撃つこと勿し。此れ変を治むる者なり。

9 火攻

 戦闘の具体的方法の一つとして火攻をあげる。戦争の短期かつ有利な終結のための手段として捉えられていたのかもしれない。

67~69 孫子曰わく、
 凡そ火攻に五あり。
 一に曰わく火人、二に曰わく火積、三に曰わく火輜、四に曰わく火庫、五に曰わく火隊。
 火を行なうには必ず因あり、火をと[火票]ばすには必ず素より具[そな]う。火を発するに時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥[かわ]けるなり。日とは宿の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿の者は風の起こるの日なり。
二  凡そ火攻は、必ず五火の変に因りてこれに応ず。
 火の内に発するときは則ち早くこれに外に応ず。
 火の発して其の兵の静かなる者は、待ちて攻むること勿く、其の火力を極めて、従うべくしてこれに従い、従うべからざるして止む。
 火 外より発すべくんば、内に待つことなく、時を以てこれを発す。
 火 上風に発すれば、下風を攻むること無かれ。
 昼風は従い夜風は止む。
 凡そ軍は必らず五火の変あることを知り、数を以てこれを守る。
 故に火を以て攻を佐くる者は明なり。水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず。

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