前原透の「戦史研究の大先達」加登川幸太郎

『加登川先生を偲んで』
元幹部学校戦史教官 前原透


 本誌に多年にわたり寄稿してこられた加登川幸太郎先生が亡くなられました。平成9年2月12日のことで、やや遅ればせながら、ここに先生を追悼し、その業績とその思想の一端について回顧したいと思います。

 先生が陸上自衛隊との関わりを持つようになられたのは、昭和47年の暮れ頃だったと記憶します。CGS17期での「独ソ戦史」の教育のなかで、部外講師として先生に講話をお願いしたのが最初で、その後、自衛隊の各学校等で講話されるようになりました。

 先生は、北海道旭川の屯田兵村の御出身で、陸軍士官学校第42期、陸軍大学校卒業後、戦車学校教官、北支那方面軍参謀、陸軍省軍務局軍事課資材班・予算班長、第2方面軍(豪北)参謀、第35軍(レイテ)参謀、策38軍(仏印)参謀を経て、敗戦を上海の第13軍参謀(中佐)で迎えました。帰国後GHQの戦史課勤務、その後日本テレビの創業に参画、そこでの勤務時代は「日本の年輪・風雪二十年」といった歴史番組を自ら製作されました。昭和42年編成局長を最後にテレビ局を退職、その後は戦史の翻訳と戦史研究に専念され、西欧・ソ連戦史にも通ずる戦史研究家として出色の地位を築いておられました。

 『陸戦研究』には、昭和56年3月から「史伝」として第二次世界大戦の名将と言われた人逹、グデーリアン、マンシュタイン、ロンメル、モントゴメリー、アイゼンハワー、ジューコフ、ワシレフスキー、など有名将軍達34将軍の「その指揮統御と戦略戦術」を叙述され、引き続き「大戦とソヴィエトの元帥たち」と項を新たにして人物史を通じてソ独戦争の全容を描くシリーズヘと発展し、平成9年1月号まで継続されました。その寄稿は14年に及んだところで、後者の部分を陸戦学会で「史伝ーソ連軍の建設と独ソ戦」(平成7 年)との単行本となりました。この間、数度幹部学校等から感謝状を贈られています。

 先生は、大東亜戦争関係の著述・論説には慎重な態度をとっておられました。昭和陸軍の将帥の統帥ぶりに大きな不満を抱いておられたように見え、一連の著述のあと、先生の歴史研究、史観には、戦中の陸軍省での戦力造成の仕事の体験と、戦後多年にわたる外国戦史の翻訳と執筆を通じ、一つの見識と意地が生まれ、特に昭和陸軍の参謀本部の作戦指導、統帥、そこでの作戦屋閥というべき人達の仕事ぶりに厳しい批判的見解を展開されるようになりました。そのごく一部をあげると、

☆ 私は古いことだけで、現在の防衛政策、現代への提言などはやらない。旧軍の残党にはやる資格はないのだ。
☆ 今次大戦は、類例のない餓死の戦争だった。「陛下の赤子」数十万を餓死させたものだ。飯も食えない戦場で決戦を求めるような作戦、太平洋戦場の島々のあちこちに陸軍の兵隊をばらまくような作戦指導を何故したのか。
☆ 昭和天皇の「独白録」はショックであった。敵を知らず、我をも知らなかった「統帥部」。陸軍を嘆き、自分たちの悪口は自分達で公表すべきだ。
等です。

 昭和52年から『偕行』の編集に積極的に関わるようになられました。日本陸軍軍事史の面での諸々の座談会の企画、司会、例えば、「在外武官座談会」「各兵科学校物語」「教育総監部物語」「将軍は語る] (昭和54~)などのシリーズ、さらに「偕行史談会」(平成4年~)を発足させ、実行されました。

 先生は、防衛研究所の平成5年度からの研究会で「日本陸軍の実力」のシリーズを開始され、回を重ねて第20回(平成7年12月)まで続けられました。そして、そのあと猛烈な勢いで『陸軍の反省(上・下)』(平成7 • 8年・建帛社)を書き上げられました。驚くべき作業力と驚嘆した次第です。

 先生は、その頃すでに医者から肺癌の直告を受けておられましたことを自ら口にしておられました。この『陸軍の反省』の執筆にかなりお疲れであったと思うのですが、休む暇なく、平成8年度の戦史部の研究会の新シリーズ「『陸軍の反省』外史」として、昨平成8年5月から月1回のペースで、「陸軍の派閥・朋党の群像」「軍閥動乱史」「昭和風雲録」「ニ・ニ六」「陸軍省軍務局」など、大正・昭和の陸軍の将軍群像につき講義されることになりました。松下芳男、高宮多平、伊藤正徳、田中降吉、高橋正衛、田崎未松氏の論説を継ぎ併せてのお話で、自らオリジナルなものではないと断っておられましたが、かえって先生の歴史間が浮き彫りになっていると興味深く聞かせて戴いておりました。

 私も昨年春脳梗塞にやられました際、御懇篤な激励の手紙を頂戴致しました。そのなかで先生は病気と闘う姿勢、死生観を述べておられます。

「・・・・そこで問題は、この病気と闘う姿勢の問題です。私見ですが、私は御承知のレイテ戦で戦傷以来、人間は病や傷で死ぬのではない。『寿命』で死ぬのだという『信仰』をこの五十年来持ってきました。天命があって死ぬのです。天命は抗すべくもありません。だが、天命に反して寿命を縮めることもいけません。従って病には抗すぺく、戦うべきものです。病は『気』からと申します。『気』で負けてはなりません。貴君の場合、初動が軽症であったことで『天命未だ我に在り』と確信すぺきです。人問一生の『正念場』は、死生の問題に直面した時に在ると私は覚悟しています。そうした確信の上に、気をしっかりと持って、妻子、友人らの期待と願いを土台として、リハビリなり、健康法なり、治療なりに専念されることを願います。・・」

 今日、戦史研究の大先達を失い、御教示にかかわらず、深い空白の淵に立たされている思いです。

 このたび、先生を追悼する機会を戴き、いささか先生との御交誼のあとを回顧し、その御業績の一端を書き連ね、かつ、先生の懇切な教えの一部を招介し、先生を偲ぶよすがと致したいと思い、あえて禿筆を願みることなく、御縁の繋がる御叱正を期待し、ここに御披露申し上げる次第です。
                         (平成9年5月11日)

[加登川先生の主要著書]
『帝国陸軍機甲部隊』『三八式歩兵銃』『戦車』『中国と日本陸軍』『第二次世界大戦通史』『増補改定帝国陸軍機甲部隊』『名将児玉源太郎」『児玉源太郎にみる大胆な人の使い方・仕え方』『ドイッ装甲師団・続ドイツ装甲師団』『史伝ーソ連軍の建設と独ソ戦』『日本陸軍の実力』『陸軍の反省(上下)』
[加登川先生の主要翻訳書]
「サンケイ大戦ブックス」中『零戦』『B29』『沖縄』「ドイツ機甲師団』『スターリングラード』『ロンメル戦車軍団』『クルスク大戦東戦』『モスクワ攻防戦』『ペルリンの戦い』『無敵!T34戦車』、R・マドックス『第一次米ソ戦争、ケネス・マクセイ『グデーリアン』、「ワシレフスキー回想録(上下)』、ジョン・キーガン| 『ドイツ機甲軍団J、F・ルーゲ「ノルマンディのロンメル』、J.ピカルキヴィッツ「クルスク大戦車戦』

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