6 『孫子』における軍隊の在り方

1 はじめに

 『孫子』において軍隊はどのように捉えられ、どうあるべきと考えられたのかについて考察する。

2 軍隊は簡単に崩壊する

48 故に、兵には、走る者あり、弛む者あり、陥る者あり、崩るる者あり、乱るる者あり、北ぐる者あり。凡そ此の六者は天の災に非ず、将の過ちなり。
 夫れ勢い均しきとき、一を以て十を撃つは曰ち走るなり。
 卒の強くして吏の弱気は曰ち弛むなり。
 吏の強くして卒の弱きは曰ち陥るなり。
 大吏怒りて服せず、敵に遭えばうら[對心]みて自ら戦い、将は其の能知らざるは、曰ち崩るるなり。
 将の弱くして敵ならず、教道も明らかならずして、吏卒は常なく兵を陳ぬること縦横なるは、曰ち乱るるなり。
 将 敵を料ること能わず、小を以て衆に合い、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒なきは、曰ち北ぐるなり。
 凡そこの六者は敗の道なり。将の至任にして察せざるべからざるなり。

3 兵士に状況を伝えてはならない

57  将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、これをして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、人をして識ること無からしむ。其の居を易え其の途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。帥いてこれと期すれば高きに登りて其の梯を去るが如く、深く諸侯の地に入りて其の機を発すれば群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知る莫し。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、此れ将軍の事なり。九地の変、屈伸の利、人情の利は、察せざるべからざるなり。
59  是の故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。此の三者、一を知らざれば、覇王の兵には非ざるなり。夫れ覇王の兵、大国を伐つときは則ち其の衆 聚まることを得ず、威 敵に加わるときは則ち其の交 合することを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わず、己れの私を信べて、威は敵に加わる。故に其の城は抜くべく、其の国は堕るべし。無法の賞を施し、無政の令を懸くれば、三軍の衆を犯うること一人を使うが若し。これを犯うるに事を以てして、告ぐるに言を以てすること勿かれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。

4 兵士が戦わざるを得ない状況を作り出す

兵士を逃げることのできない死地に赴かせることで初めて戦うことに専念させる状況を作り出す。それを「率然」と表現する。

55 凡そ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠むれば三軍も食に足る。謹め養いて労すること勿く、気を併わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測るべからざるを為し、これを往く所なきに投ずれば、死すとも且た北げず。士人力を尽す、勝焉んぞ得ざらんや。兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に其の兵、修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之く所なし。吾が士に余財なきも貨を悪むには非ざるなり。余命なきも寿を悪むには非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕、襟を霑し、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば、諸・かい[歳リ]の勇なり。
58 凡そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。
  国を去り境を越えて師ある者は絶地なり。四達する者は衢地なり。入ること深き者は重地なり。入ること浅き者は軽地なり。背は固にして前は隘なる者は囲地なり。往く所なき者は死地なり。
 是の故に散地には吾れ将に其の志を一にせんとす。軽地には吾れ将にこれをして属かしめんとす。争地には吾れ将に其の後を趨[うなが]さんとす。交地には吾れ将に其の守りを謹しまんとす。衢地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。重地には吾れ将に其の食を継がんとす。[土己]地には吾れ将に其の塗を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕を塞がんとす。死地には吾れ将にこれに示すに活きざるを以てせんとす。
 故に兵の情は、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。
56  故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。
 敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。
 曰わく可なり。夫れ呉人と越人との相い悪むや、其の舟を同じくして済りて風に遭うに当たりては、其の相い救うや左右の手の如し。是の故に馬を方ぎて輪を埋むるとも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉えて一の若くにするは政の道なり。剛柔皆な得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者、手を攜うるが若くにして一なるは、人をして已むを得ざらしむるなり。

5 将と兵卒の関係

 一方で、将兵の信頼関係の醸成なくして規律や法令は守られず、必勝の軍隊はない。

46 兵は多きを益ありとするに非ざるなり。惟だ武進することなく、力を併わせて敵を料[はか]らば、以て人を取るに足らんのみ。夫れ惟だ慮[おもんぱか]り無くして敵を易[あなど]る者は、必らず人に擒にせらる。卒未だ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒已[すで]に親附せるに而も罰行なわれざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれを合するに文を以てし、これを斉[ととの]うるに武を以てする、是れを必取と謂う。令 素[もと]より行なわれて、以て其の民を教うれば則ち民服す。令 素より行なわれずして、以て其の民を教うれば則ち民服せず。令の素より信なる者は衆と相い得るなり。

 兵士とそれを用いる将軍との間に情愛があることで初めてともに進んで死地に赴くことができることを忘れてはならない。

50 卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴むくべし。卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。


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