日記20231026 戦略的休暇



 今日は研究室に行かないことにした。サボりではない。戦略的休暇と呼んでほしい。なぜなら、明日から忙しくなるからだ。しかも、集中力を使う用事ばかり。明日は大学で旋盤加工を行う。明後日は高速教習。明々後日は最後の実技教習が2コマ連続で入っている。それなら今日はゆっくりしよう。もしくは好きな事をやろう。そう思っていた。概ねできたはずだ。だけど、あまり休めなかった気もする。

 父上がインフルに罹ったので、家には父が居る。父が居ないならベースとか弾きたかったけど、なんとなく弾く気になれない。結局、午前中は部屋の掃除をして、午後はガッツリ外出した。経路はこうだ。

  1. 渋谷の電気屋に行って、モバイルバッテリーと手持ち扇風機をリサイクルに出してきた。モバイルバッテリーの回収は無料だったが、扇風機は220円取られた。

  2. 渋谷のドンキに行って、下着を買った。ドンキに売っているテロテロのボクサーパンツが好きだ。ちょっと高いやつもたまに買ってる。

  3. 渋谷のダイソーに行って、ちょっとした小物をいくつか買った。追加で衝動買いしそうになったけど、前々から買おうと思ってた靴下の収納ケースだけで済んだ。追加220円。どうせいつか買うことになるもの。

  4. 最寄駅から少し離れたところのカラオケに行ってきた。ギターを少し練習してから、普通に歌ってきた。ギタースタンドを忘れたことに気付いて焦り散らかしたけど、ソファとクッションを使って、どうにかネックに負担を掛けないように置いた。

  5. マツキヨに寄ってマスクを買った。

  6. 帰宅

 おわかりいただけただろうか。これらの移動は全て、ギターを背負った状態で行われていた。重かった。


カラオケにて

ギター

 私はギターを2本持っている。持ち運びに便利なすごく小さいエレアコを買ったのに、衝動に負けて普通のエレキギターも買ってしまったからだ。後者を手放そうか、それともまだ持っていようか永遠に悩み続けている。家では音を気にして後者のエレキを全力で弾けないので、折角なら全力で弾いてみようと思って、カラオケに持って行った。ヘッドホンアンプと普通の小型スピーカーを3.5 mmケーブルで繋げば、簡易的にデカい音が出せる。いつもエレアコでやっているこの方法で、今回もやってみた。といってもエレキの奏法に興味はなく、クリーントーンの中音域の太さが気に入っているギターなので、U-Fletを見ながら弾き語りみたいに練習してきた。

 ちなみに肝心の歌の方は、最初はあまりうまく出なかった。前よりも高音域が詰まって出ない。どうしてだろうと思っていたら、ある可能性に思い当たった。ここ一週間くらい、歯ぎしりが特に酷かったのだ。顎や首回りの筋肉がガチガチになっている可能性がある。Youtubeで動画を見ながらストレッチやマッサージみたいな何かをやってからもう一度挑んだら、明らかに改善した。やはりそれが原因だったんだ。


 筋肉の凝りとはまた別件で、地声で出る音域が少し広がった気がする。正確には地声というより、自分が地声だと思い込んでるミックスボイスなのかもしれないけど。(ミックスボイスという概念が何なのかは自分もよく分かっていないが、ボイトレの先生が言うには「この音域は地声に頼ってたら出るはずが無いから、君も多少のミックスボイス要素を使って出しているんだよ」とのこと。) それは練習の成果だと信じたい。


ギターを抱えて街を歩くということ

 

 これまで、普通のサイズのギターを抱えて電車に乗ったことがなかった。普通のサイズのベースを持って電車に乗ったことはあったので、それと何が違うんだ?と言われたらうまく答えられないけれど。電車に乗るけどギターも弾きたいときは、さっき言った小さい方のエレアコを持って行っていた。ちなみにこれ↓の色違い。

 それに対して、今回連れて歩いたエレキギターはそれなり大きい。多分、私が持っているベースよりも重い。
 しかも、そのギターを持ち歩くことは想定していなかったため、買った時のペラペラのソフトケースしか持っていない。クッションのついたギグバッグなんて買ってない。それが余計に「慎重に持ち歩かなきゃ」という不安を煽るのに、私が住んでいる街も、渋谷も、それを結ぶ某路線も、えげつなく混んでいた。ハッキリ言って、どちらも大して民度の高い街ではない。渋谷はお察しだが、私の最寄駅も、一見キラキラした街ではあるけれど、その代わりに傍若無人なマダムが多い。

 普通のサイズのギターを背負って電車で移動している中で、自分の中に「俺はギターを持ってるんだからもっと気を遣ってくれよ」という理不尽な我儘さが無尽蔵に湧いてくることに驚いた。例の小さいギターを持って電車に乗った時や、普通(やや細め)のベースを持って電車に乗った時も、それを全く感じていなかったわけではないんだけど。

 この感情を敢えて言語化してみると、うまく表せないが、だいたい下↓のようになる。

  • 私はこんなにも大きくて重いものを持っているんだから、疲れるし移動が大変なんだ。もっと気を遣われるべきだ。

  • これはどう見ても楽器だって見ればわかるだろう?楽器は高いし大事なものだろう?お前らも気を遣ってくれ。弁償なんてさせたくないんだから。

 こうやって言葉にすればするほど、我儘で理不尽な感情だと分かる。これをそのまま他者に向けなくてよかった。幸いなのは、私がたいしてギターを弾けないので、「俺はお前らと違って弾けるんだぜ」みたいな慢心は一切無かったということだ。

 例の小さなエレアコを持って電車に乗る時は、「まあこれがギターだなんて思わないよな……」みたいな感情が常にあって、他人様に事情を汲み取って貰いたいという感情が湧きづらい。そもそもコンパクトで軽いので、重くてつらいということもあまりないし、他人にぶつけるリスクも低い。だから前述した感情はあまり湧かないんだろうなと思う。
 じゃあ、ベースのときはどうして?これが本当に分からない。ベースの方が長いのに。私のベースはIbanezの比較的薄くて細いモデルで、軽くて取り回しが効く半面、ああいう電車みたいな環境では折れそうで怖かった記憶がある。なのにどうして、今日の感情の方が強いんだろう。
 強いて言うなら、ベースを持って電車に乗った日の目的地が御茶ノ水で、楽器を持っていても目立たない街での行動だったことと、その日のその時間帯は電車がそこまで混んでいなかった、もしくは傍若無人マダムよりもサラリーマンが多い時間帯だったことが挙げられる。

 ギターを背負って電車に乗ることで、自分の精神の嫌な一面と向き合わなければいけなくなるとは思わなかった。なんだか疲れるな。こんな思いをしてまで普通サイズのギターを持ち運ぶ必要はあるのかな。俺は音楽をやっていないのに。小さいギターを持っているならそれを持ち出せばいいのに。

 次の4月には就職するため引っ越すことになっている。新居にギターを何本も持っていけない。もう小さいギターとベースだけ残して、今日のギターは手放してしまおうか。それなりな値段で買ってくれるはず。そう思い続けているのに、いざ触ると「この音が好きで買ったんだよな……」と考え直してしまう。木の塊に絆され続けている。

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