S氏の恋愛と結婚と女性についての考察(パート1)

S氏とは去年知り合った。
知り合ったと言ってもSNSでやり取りをする仲で直接お会いしたことはない。

穏やかで女性的な文学と言葉を愛する親しみやすい素敵な男性という事は判明している。
強烈なシンパシーを個人的に感じる優男である。


そんな落ち着いた紳士である彼のある投稿が周囲を震撼させた。

タイトルは

「恋愛と結婚と女性」

その内容は学生時代に遡った彼の内面で繰り広げられる欲望と理想との戦いであり、自らの在り方に葛藤しながらも真摯に己へ立ち向かうことを諦めなかった男の壮大な叙事詩である。


話は青年時代、恋愛や結婚といった女性との関係性に憧れる自己への否定から始まる。
S氏は現代の資本主義社会における経済システムに疑問を抱いており、自分には恋愛や結婚をするための経済力も容姿の魅力も、性格も、社会性もこの社会で生きていく能力すら足りないと自ら告白する。

ここで2つの道をS氏は示す。

(恋愛の為に)
社会性を身に付け社会に取り込まれるか?
それとも完全に異性を拒絶しその欲求を断つか?

ここで言っておきたいのだが、S氏は女性への興味を否定せず、好意を寄せる女性が現れる度に自分なりの努力を欠かさなかった。
社会に順応し、恋愛を勝ち取ろうとした。
しかし社会は彼に対してあまりにも厳しかった。
社会は壁であり、苦しみの元凶だった。
やりたくないこと、ただの愛想笑いや金のためにする興味の無い仕事、女性に好かれるためにやるべきことが、できなかった。
それほど彼には辛く耐え難かった。
自死を想起させるほどに。

その半ば脅迫的であり強迫的なサイクルは好きな異性が現れる度に彼を踊らせ続けた。社会に拒絶され、異性に見放される毎に異性の魅力を否定しようとしたができなかった。自分が社会から認められる為に恋愛しているのか、恋愛をする為だけに社会から認められようとしているのかさえ曖昧だった。

所で、彼は女性に対してこういった視点を持っていた。

女性はお金が好きである。
ディズニーランドが好きである。
そして朝から晩までつつがなくバリバリ働き続ける、こざっぱりとした身なりの男が大好きだ。

そして女性はこういった男性が嫌いだとも。

労働に務めない男が嫌いだ。
金も生み出さず怠惰に生きる男が嫌いだ。
瞑想し、自身の生活を客観視せず、風呂にも入らず、食事も摂らず、排泄を我慢してまで読書と執筆に明け暮れるような、そんな男が嫌いだ、と。

だから私は女性が嫌いな男の典型なのだと。

ここで一つ私の見解を投下しよう。

彼は女性に苛まれているのでもなく、社会に拒絶されているのでもない。

S氏は彼自身に対して押し付ける自分の観念によって自らを攻撃し、自ら設定した女性と恋愛し結婚する必要があるという思い込みによって自らを苦しめ続けていたのだ。

つまり、自分自身の首を自らの手で絞めていたのだ。


続くこの一文にその観念がハッキリ見て取れる。

『女性は社会の象徴である。女性への欲求は、社会生活をまともに送らなければならない義務が伴う。しかし、私には、「社会人としての義務」を果たせるだけの能力も適性もなかった。社会性のなさを人から指摘されるたびに、自殺するほど、苦しかった。私は社会を渇望しつつ、社会を憎んでいた。』
(※S氏の恋愛と結婚と女性より抜粋)

残酷だが、社会は別にS氏に対して社会人としての義務など求めていない。与えられた人生をどう生きるかはS氏自身の手に委ねられている。

"それ”を求めているのは他でもないS氏自身である。



考察はパート2へと続く。

(※参考原文・S:恋愛と結婚と女性)
上部に原文へのURL掲載。本人許可無し🍐←おい

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