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0385 - パラレルという言葉に惹かれる

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「パラレル」という言葉が昔から好きだ。

意味としては平行、並行、並列。SF作品によく出てくるパラレルワールドというのは、直訳すれば並行世界。今いる世界と同じようで交じることのない、いわば「もう1人の自分が存在する世界」という、想像すると少し怖くてワクワクする不思議な魅力を「パラレル」という言葉から感じる。

発音してみても、最初は楽しい気持ちになる破裂音の「パ」で、以降は「ラレル」という舌足らず感あるラ行の連続。パラレル、パラレル、パラレル、、、繰り返し口にするだけで、ほのかに非日常ぽい感覚に包まれるような気がする。

この言葉を自分の中に強く印象づけたのは、藤子F不二雄先生のSF短編の1つ「パラレル同窓会」という作品。企業のトップを務め、望むものは何でも手に入れてきた主人公。その主人公のもとにある日届いた「パラレル同窓会」のお知らせ。生まれた時は同じでも、その後の選択で枝分かれしたパラレルワールドの自分たちが一堂に集まる会。お互いに折り合いが付けば、失敗した選択を取り消すこともできる。そんなお話。

初めて読んだのは小学生の時。けして派手な展開があるわけではないが妙に印象に残った。以降、日々の暮らし(大袈裟な言い方をすれば自分の人生)で何かを選んだ場合「もしこっちを選んでいたら」と、勝手にその後の流れを(どちらかというと都合良く)ついつい想像してしまうことがある。

・もしあの時、こっちの誘いを選んでいたら
・もしあの時、こっちのお店に入っていたら
・もしあの時、こっちの道を歩いていたら
・もしあの時、この電車に乗らなかったら
・もしあの時、あの買い物をしなかったら
・もしあの時、この本を手に取らなかったら
・もしあの時、あの信号が変わっていたら
・もしあの時、この言葉を口にしなかったら
・もしあの時、あのことをスルーできていたら

それで何か過去が変わるというわけでもないが(どのみち過去は変えられないので)、自分のパラレルな存在を想像して「そっちは上手くやってるかい」と脳内パラレル同窓会を開くと、自分の「これまで」をふまえて「これから」について考えられる。

意外と有意義で、ちょっと楽しかったりする。

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