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0019 - 鈴木さんと呼ばれない地域性

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僕の苗字は『鈴木』だが、地元(静岡県西部)と東京を比べて大きく異なることの1つに『名前の呼ばれかた』がある。東京では普通に『鈴木君』『鈴木さん』と呼ばれるが、地元にいる時は苗字で呼ばれることがほとんど無い。理由はハッキリしている。なぜなら日本トップクラスの『鈴木さん密集地域』だから。

小学校から高校まで、同じクラスに『鈴木』は4〜5人いて当たり前。冗談ではなく、卒業アルバムではクラス写真の一列が鈴木で埋まるレベル。ちなみに『スズキ自動車』の本社があるのは同じく静岡県西部の浜松市にある。

その昔、所さんのテレビ番組(番組名失念)の実験で、浜松駅前でスタッフが大声で「鈴木さ〜ん!」と叫んだら、かなりの人数が振り返ったくらい、アッチにもソッチにも鈴木さん。静岡県内のローカル番組『ピエール瀧のしょんないTV』でも、浜松市篠原町は3人に1人が鈴木さんということで、こんなテーマの回が放送されたこともある。

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このような特徴を持つ地域なので、地元では鈴木姓の人は基本的に下の名前で呼ばれる。もし苗字で呼んでも『どの鈴木さん?』となってしまうわけで、僕自身、高校を卒業して上京するまで『鈴木さん(鈴木君)』で呼ばれた記憶が全く無い。大袈裟ではなく、本当に無い。

そんな『下の名前で呼ばれる温室』で育ったため、上京して周りから『鈴木君』と呼ばれても、あまりの違和感に「苗字で呼ぶと他の人と区別がつかなくて紛らわしいからヤメてよー」と本気で思っていた。東京では地元ほど鈴木さんが密集していないとはいえ、日本トップクラスな在り来たり姓という意識も強く、これまで『個人』として扱われていたのが『その他大勢の1人』になってしまったような寂しさを覚えたことをハッキリと覚えている。

それでも人間は良くも悪くも環境に適応していくもので、数ヶ月ほど経過した頃には『鈴木さん(鈴木君)』で呼ばれてもスンナリ反応できるようになった。そのまま東京で社会に出て著名や捺印する機会が増えたことで『鈴木慣れ』は加速。いつの頃からか、下の名前で呼ばれるほうがむしろ違和感を覚える逆転現象にまで発展。気づけば東京暮らし歴は20年を超えた。もうかれこれ人生の半分は『鈴木さんで呼ばれてます期間』だ。

2019年春、長らく暮らした東京から静岡の地元に生活の拠点を移したが、やはり地元では子供の頃と変わらず、今でも『鈴木さん』で呼ばれることはほとんど無い。お役所や病院などでは鈴木姓の人はフルネームで呼ばれることがほとんどな印象。(余談だが、飲食店で待ちリストに名前を記入する際は『鈴木』と書くと紛らわしいしフルネームでは書きたくないので、『ヒムロ』『ヒムラ』『カルロス』等々、他人と被らなそうな名前を書いている)

たまに地元でも『鈴木さん』と呼んでくれる方がいるが、その方たちに共通するのは『他県出身で就職や結婚を機に地元に来た』という点。ネイティブ地元民は、まず漏れなく『鈴木さん』とは呼ばない。ある意味そこで、地元出身者かどうかが判断できる。(これ、もしかしたら地元の鈴木さん視点あるあるかもしれない)

閑話休題。これまた面白いもので、長き東京暮らしでの逆転現象のおかげで、地元に戻りたての頃は、出会ったばかりの人が当然のように下の名前で呼んでくれると「いきなり距離感が近すぎやしないか」と、気持ちが後ずさりする感覚を覚えた。子供の頃に当たり前だった呼ばれ方が、住む地域が変わったことで当たり前ではなくなり、その当たり前でなくなった状態に慣れてしまい、逆に当たり前だった地域に戻って『ほんのりとした違和感』を覚えるという、回りくどい不思議感覚。

鈴木さんが『鈴木さん』で呼ばれない『鈴木密集地域』出身の鈴木さんのお話でした。

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