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0383 - 当たり前は変わるという話

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所変われば品変わるというか、場所が変われば「当たり前」も変わったりするもので。その地域に無いようなことをする場合には「なかなか理解してもらえない」という壁にぶち当たる。

自分がやっている「企画の仕事」という、対価をもらって提供するものが「絶対の正解が無く、目に見える成果物も無い」場合もしかり。

やっている事は把握してもらえても「この地域だと理解してもらうのは厳しいかもね」と言われることもしばしば。その言葉は嫌味でも何でもなく素直な印象(感想)だと感じられるので、ハッキリ言ってもらえるのはすごくありがたい。

で、その「この地域だと理解してもらうのは厳しいかもね」と言われて、強がりではなく、正直なところヘコむことは全く無い。むしろ「他にライバルがいない」という可能性を感じられてワクワクする。世の中には既に大きな価値として存在している仕事であり、理解さえしてもらえれば、その地域での当たり前になれるはずだと感じている。「どうすれば理解してもらえるのか」を試行錯誤するだけだ。

六甲のおいしい水のように、ペットボトルの水が出てきた時「水にお金を払うなんてバカバカしい」といった声が多かった。しかも当時はガソリンも1リットル80円代の時代。ニュースステーションにて「ガソリンが1リットル80円なのに、その半分の500mlの水が100円ですよ!」と大袈裟に比較報道していたことが今でも印象に残っている。それが今では「水にお金を払うこと」は当たり前すぎる状況になっている。

アメリカンコーヒーのように、コーヒーは薄く淹れて更に砂糖やミルクで甘くして飲むのが一般的だった中、濃いめに淹れてブラックで飲むスターバックスの登場は批判的に見られていた。今ではコーヒーをブラックで飲むのがむしろポピュラーだ。

自分の経験では、2000年代前半にインターネットが一般にも浸透したタイミングでSkypeが現れた時のことを思い出す。ネットを介して無料で通話できる仕組みに「こりゃすごい!」と感じ、当時ヨドバシカメラでヘッドセットと一緒になったインストールパックを購入し、周りの友達にも薦めたのだが「電話が無料でできるなんて、何か裏があるんじゃない?」と怪しまれてしまった。今ではLINEなど「無料通話」がむしろ当然になっている。

出てきた時の反応が「よくわからない」という「どういったものかそもそも把握してもらえない」であると浸透しないまま消えてしまう可能性があるが、把握してもらった上で「厳しいかもね」「それ大丈夫なの」と言われるものは「そのタイミングでその場所では」という枕詞が隠れていることがほとんど。便利なことや役に立つことであれば、ちょっとしたきっかけで「当たり前」がガラリと変わることはあるし、コツコツした積み重ねで気づいたら「当たり前」が変わっていたということも充分起こり得る。

ありがたいことに、動けば動くほど着実に理解してもらえているようで「仕事として相談してもらう機会」も増えている。「当たり前」となるまでには、もう少しかかりそうな気配はするものの、手応えが感じられる日々が続いていて嬉しい。「今の当たり前」は変わる。

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