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拷姦黙死録山狗 其の壱之序「赤晶髑髏」

 見世物小屋の中から、物憂げな三味線の調べに乗せて、女の唄が流れていた。
「あそこ、あの世。
ここ、この世。
どこよ、とこ世」

 その小屋の奥、表からは間仕切りされた一角で、若い女が張り扇を叩き、威勢良く声を上げた。
「皆々様が、好奇溢れる向学の方々でも。
赤晶という宝石をご存知だろうか?」

 薄暗い演台の左右から、蝋燭で照らされていたのは、黒衣に身を包んだ若い女だった。
顔を面布で隠したまま、釈台を前にして講釈していた。
客席には、十人程の物好きな男達が犇いていた。

 女は懐に手を入れると、多面体に削られた、赤晶なる物を取り出した。
指で摘んだ胡桃程の多面体を男達の前に翳し、左から右、右から左にと見せた。
「見た目は、赤い水晶。
しかし、水晶とは、名ばかり。
これは、とてもとても硬い鉱物で。
この世で、一番硬いと言われている」

 床より高い演台に据えられた釈台は、ちょうど客の目の高さにあった。
そこに赤晶を置くと、今度はチリンと音がして、女は鉄で出来た風鈴を取り出した。
それをまた、前のめりに客の前に翳して、チリンチリンと音を立てた。

 女は釈台に置いた風鈴をクルリと一回りさせ、無傷な事を見せた。
それを片手で押さえ、もう一方の手に持った赤晶で、客の側を横一線に撫でた。

 女が軽々と引いただけで、鉄の表面に傷がつき、クルクルと削りかすが巻いた。
すかさず、女は傷ついた風鈴を客に向かって放り投げた。
受け取った者や周りの客は、今、目の前でつけられた傷をまじまじと眺め驚嘆した。

「これは、前置き」
と、女は多面体は無傷だと、客達にまた翳して見せた。
客達がその多面体に注目していると、パッと握りしめ。
すぐに手を開くと、多面体は消えていた。
どよめく客達に構わず、女は講釈を続けた。


「これからご覧いただくのは…!
女百人殺しと言われ。
大川の一帯どころか、全国津々浦々に知れ渡ったお尋ね者、山狗の残した物」
タンッ!と、釈台を張り扇で叩いた。
山狗という名前に男達から、小さなどよめきが上がった。
「御存知の通り、ヤマイヌと言っても、野犬や狼の事ではない。
もとは、大黒山の天狗と言われた男。
すなわち、山の狗」
 女は、白い指を一本立てると、空中にヒラヒラと、山と狗の字を書いた。

「その山狗が愛用し、幾多の女達の血を吸った短刀が…これだ!」
釈台の上に、女はうやうやしく紫の布の平包みを乗せた。
客が注視するなかで、女は一度合唱し礼をした。
緩くとめられていた黒衣の襟が、女のたっぷりとした乳房に押し開かれ。
双丘がちらりと垣間見えた。

「女百人というが、それは所詮噂話。
その実の数は…」
女は声を潜めた。
「首を切り落としただけでも、三百余人」
女は自分の細く長い首に、張り扇を横にあて、首をかっ切る様を演じた。
また、男達がどよめいた。
「山狗と言えば、女を犯し、腹を裂き、その肉や肝を喰うという鬼の様な男。
三日に一人、女を喰ったという。
とすれば、月に十人、年に百余人。
さてさて、生涯何人の女を口にした事か」
女は「やれやれ」と首を振りながら、スルスルと包みを開いた。

 鞘に収められた短刀が、蝋燭の灯りに照らし出された。
古い血の跡とおぼしき汚れが、鞘や柄に染み込んでいた。

「この短刀が本物か?とお疑いはご最も。
御仁方は表の入り口に飾られた、赤晶の骨格でさえ、ギヤマンの細工物と高をくくっていよう」

 女はスッと布を左に引き、正面を空けた。
「では、紛い物と疑い難い物をお見せしましょう。
それこそ、山狗の頭蓋骨。
坂田の御大将が嫡男、金近が打ち首にした。
正真正銘の代物」

 女は、桐箱を釈台に乗せると、組紐を解いた。
「何故に、体と頭を別々にしてあるのか?
なにせ、相手は鬼や天狗と言われた禍々しい者。
この首を胴体に戻せば、あるいは…」
蓋に手を掛け、僅かに持ち上げると、そこで手を止めた。
「引き返すなら、今のうち。
お代もお返し致しましょう。
ただし、この先、山狗の髑髏を目にした後は。
どんな恨み怨念を被ろうとも、御勘弁」
そう言いながら、客の反応を待たずに、女は蓋をスッと引き上げた。

 またも紫の布に包まれた物が現れたが、女は勿体ぶる事もをなく、ヒラヒラと指を踊らせ、包みを開いた。

 二、三の客が、怖気付いて退こうとしたが、時は遅く。
それは蝋燭の灯りを、怪しく屈折させて、赤い光放ち輝き始めた。


 その見世物小屋が立つのは、猥雑で怪しげな界隈であった。

 大川の中流にあって、最も大きな渡しの宿場町の北に、そこはあった。
もとは、隣村との境の小川に小さな橋が架かるだけの場所であったが。
宿場町が大きくになるにつけ、賭場や女郎屋が立ち並び。
その周囲には、安酒場や見世物小屋まで並ぶようになった。

 珍奇な動物植物を見せるものから、まやかし物を並べる酔狂なものまで、玉石混淆の賑わいが人々を楽しませていた。

 その中にあって、店先に安銭だけで、赤晶の首無し骨格を見せるこの見世物小屋は、評判になっていた。

 その奥で、法外に高い金を取って見せる宝物こそ。
赤晶髑髏であった。


「そも、山狗とは、大黒山の天狗の事なり。
その男が天狗と呼ばれる所以は、その逸物の巨大さ故。
人気の無い峠道や、丑三つ時の町に現れる、この人殺しは。
男は、容赦なく殺し。
女はその一物で犯してから、肝を喰う、という。
まさに、悪鬼」

 女は張り扇をタン!と叩いた。
「かつて、大黒山に巣くった鬼は、坂田の御大将に討伐された。
角の生えた巨大な生首を山車に引いて、練り歩き凱旋したの話は。
みなさんも、今は昔と昼寝の子守唄に、爺さん婆さんに聞かせてもらった事だろえ?
が、しかし。いずこに逃げおうしていたのか?
はたまた、大黒山に残された、首無し死体が蘇ったのか?
この鬼は山狗となって、現世の市中に現れた!」

 女は、赤晶髑髏の上で、手をヒラヒラとさせながら講釈を続けた。
「だが、近年、坂田村で大騒動となった山狗討伐。
坂田の御大将が嫡男、金近が見事に征伐したのは、みなさんもご存知の通り。
その首を打ち取るや。
山狗の血と肉は、たちまちに、どす黒い煙となって霧散したという!」
女は胸元が大きく肌蹴るのも気にせず、両手をバッと開いた。

「後に残った骨こそが、此処にある赤晶の髑髏と骸骨」

 強気の客は釈台に近づいて、まじまじと髑髏を眺めた。
 確かにそれは、表に飾られた骸骨とは違っていた。
首の無い骨格は、ギヤマンの細工物だと疑える代物だったが。
 この赤晶髑髏は、まるで気迫が違った。

 客達はしばらく呆然と骸骨を眺め、その輝きに驚愕していた。

 しかし、そんな心持ちは本人達だけで。
側からすれば、包みが開かれ、髑髏が輝いてすぐに、客達は恐れ戦き、逃げ腰になっていた。
赤晶髑髏なる物がお披露目されてのは、瞬く間の事であった。

 女は講釈を終えると、二つの品物を、手早く片付けた。
そして、張り扇を手にして大きく振りかぶった。
 皆が息を飲み、静まりかえった見世物小屋の中に、ピシャリという音が響いた。
その音に正気づいた客達は、我先にと見世物小屋から、悲鳴をあげて飛び出していった。


「痛ぇな!なにすんだよ!」
小屋裏の楽屋で、犬吉は、小突かれた頭に手をやった。
細面で背の高い犬吉は、若くしてこの見世物小屋の主人であった。

 傍に立つ大柄の男が、もう一発叩いってやろうか?と、大きな掌を犬吉の目の前に見せた。

「ひとの事を好き勝手に言いやがって!」
男は犬吉の襟を掴むと詰め寄った。
「山狗って人殺しは、男は容赦なく殺すそうだな。
ん?
おまえ、男だよな?ん?」
「へっ!山狗は、とっくに征伐されちまったのさ。
もう、いないんだよ。
つまり、あんたは山狗じゃねぇんだ」

犬吉はヘラヘラとした持ち前の笑い顔で男を見て、続けた。
「俺に感謝しなよ」

フン!と男は鼻を鳴らして、手を離した。
「この先、おまえを見かけたら、酒と飯は全部おまえの奢りだからな」
そう言い残すと、
男は、薄暗い楽屋をノシノシと出ていった。


 まだ眩しい昼下がりの陽の光に、男の目が眩んだ。
「戌!どこだ?」

 その声に応えて、男の大きな背中に、何処からか飛びつく者がいた。
 切りっぱなしの髪に、野良着。
男にしては華奢だが、女にしては逞しい体つきをしていた。

 男は子供を負ぶさるように、戌を背負うと歩きだした。

「なんか、旨いもの喰いに行こうぜ」
二人の言葉は同時だった。
二人はそれを笑いながら、街道への小道を歩いていった。

其の壱之序「赤晶髑髏」ー終ー

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