村田-ゴロフキン戦を観戦して考えたこと
村田-ゴロフキンを経て村田諒太について考えたことをつらつらと書きました。
現地観戦しましたが、技術的には素人なので試合内容には殆ど触れません。
この試合が終わってから一週間ほど、仕事が手につきませんでした。試合後当日はamazonで見返せるなんて素晴らしいなあという考えもありましたが、SSAからの帰りの電車で揺られる中でいろいろと考えていく内に、見返そうという気が全く無くなってしまっていました。何故だか今も上腕二頭筋に力が入りません。ただ見ていただけの私がここまで余韻に浸り、虚脱感さえ抱えてしまうのですから、村田本人は勿論のこと、村田陣営はこの試合に至るまでどれだけ心血を注ぎ、どれ程の思いを胸に当日を迎え、今もどのような心境なのか、想像を絶します。
2週間以上が経ち、ようやく試合を見返そうかなという心にもなりましたが、先んじてnoteに投稿します。技術的な話なら、youtubeでボクサーのチャンネルを見ればいいだけの話なので、見返してから書いても蛇足になるかなと思いました。ブログもnoteもやったことがないのでこれが初投稿です。
私はにわかボクシングファンです。日本人の世界戦と、ここ10年ほどはWOWOWのエキサイトマッチを度々見る(見逃すこともままある)のがメインでボクシングも未経験、スポーツならまだ野球のが分かるくらいのボクシングど素人です。
村田のプロデビューの試合ではOPBF王者の柴田相手に圧巻のTKO勝ちで、中継を見ていて興奮したのを覚えています。トップアマは本当に強いとは聞いていましたが、アマボクは五輪でちょっと見たことあるだけの私には衝撃でした。よく考えれば、世界にはプロ数戦で世界にいく元トップアマが幾人もいるので、ボクシングファンにとっては当たり前だったのでしょうけど。
ぶっちゃけそれ以降の2戦目~ブラント1までの村田はつまらないボクシングでした。カチカチのガードで愚直に前に出ながら単発のワンツーを繰り出す、フィジカルでゴリ押して相手を削って削って勝つ、勝負に辛いスタイル。アマ時代は五輪の試合しか知りませんが、華麗なコンビネーションもない、ただそれだけの不器用なボクサーという印象でした。
正直日本人でなかったら、エキサイトマッチで放映していても、村田の試合を積極的に見ることはなかったでしょう。勿論、ミドル級で日本人がフィジカルのゴリ押しで世界王者になるのは有り得ないことなのは承知しています。オリンピアンとは、ゴールドメダリストとは斯くあるものかと言う凄みを抱き続けていました。
そんな村田もブラント2からバトラーと、今までにないコンビネーションと手数を出すようになり、30を超え世界王者になってからファイトスタイルを変える、大変な苦労があったでしょうが、ようやく胸を張って世界で戦えるレベルになったと思いました。今までそれで勝てていたのだから、なかなかスタイルチェンジまでいかなかったといった所でしょうか。
ゴロフキンとの試合が決まったときは、本当に信じられませんでした。私のようなにわかファンからしても、レジェンド中のレジェンドです。日々チケット抽選はいつかと待ち望んでいました。
開催延期を経てC席(33,000円)に当選しましたが、そのあとからしばらくの間、微妙に後悔もありました。弊社のブラック安給料から33kを払って負けるのを見に行くのかと。GGGがピークアウトしているとは言え、村田が勝つのは10回に1回、いや、贔屓目にみても20回やって1回あるだろうかと。
しかし試合が近づくにつれて、ブラント2以降の村田があのまま成長すればあるいは、という思いも湧いてきました。少しずつネットにゴロフキンの記事が増えてきて、1週間前から当日にかけて、仕事中もずっとソワソワしていました。
試合当日は上尾のスパ銭で体を清め、SSAに向かいました。上尾の花咲の湯の温泉、サウナはとても素晴らしかったです。
さいたま新都心駅につき、いよいよこの時が来たと胸が昂ぶりました。
C席でも思っていた以上にリングが良く見えました。第一戦目から見ていましたが、あの吉野-伊藤という好カード(にわかなので吉野は評判だけですが。)でさえ、観客は観戦防止対策に則って、歓声も殆どないままに進行していきました。中谷-山内戦では少し歓声があがった所もありましたが、終始静かなまま進行していきました。
中谷が存分に技術を見せつけ、山内に圧勝しました。中谷の試合前にリングサイドのロマゴンの紹介があり、ロマゴンがちょっとお辞儀していたのが面白かったです。
その後時間調整のための4回戦の試合が挟まれましたが、いったい選手たちはどのような思いだったのでしょうか…。観客の多くはトイレ休憩やらでざわざわとしていましたが、心臓バクバクだったでしょう。
調整試合を経て、会場にいる井上と上田のコメントも挟みながら、ゴロフキンと村田のSSAの通路の会場入りの映像が流れます。それだけで、セミファイナルよりも会場はざわざわしていたように思います。
(それぞれの順番はちょっと違うかもしれません。)
村田とゴロフキンの煽りPVも流れ、カザフスタンの方と思われる応援団は立ち上がって歓声を上げ、いよいよ会場の観客も高ぶっていきます。
テレビで見たことがある本場のリングアナが登場し、いよいよ村田の入場。
He's a pirateが流れ始め、観客も溢れる思いがこらえきれず、歓声が飛び交います。中谷戦でさえ皆我慢していましたが、こうなるのも道理だなあと思いました。
あの村田が入場するシーンは、これから先He's a pairateが流れる度に全員が村田の入場シーンを思い出すでしょうし、私も一生忘れることはないでしょう。
ゴロフキンの入場も同様でした。Seven Nation Armyが流れ、カザフスタンの方々のみならず、会場全体が興奮していました。あのGGGがここにきている。この曲は大学生のときに死ぬほど聴いていたこともあり、めちゃくちゃに興奮しました。今となってはロマチェンコとゴロフキンの為にある曲だなとさえ思います。
入場からリングイン、国歌斉唱、村田には悪いですが、ゴロフキンの入場曲がかかってからは、ゴロフキンに釘付けでした。村田もやってくれるかもしれない、しかし、あのGGGがここにいる…。
第1ラウンドはほぼ互角?だったように見えました。第2、第3ラウンドは村田がとったでしょう。
試合前、前に進むしかない(しか出来ない)村田が後退させられるようなら終わり、あのGGG相手に、自分のストロングポイントを発揮出来なければ勝てるわけがない。しかしあのGGG相手にフィジカルで押せるのか?GGGに圧力をかけられるのか…?誰もがそう思っていたでしょう。
GGGの手数が少ない、手が出せないのか?対して村田は戦前のコメントの通り、判定勝ちなんて考えていないであろうハイペースで試合を進めていきます。GGGに勝つことはないだろうと思っていたであろう会場の人達も、自分たちはにわかに信じられないものを見ている、行けるんじゃないか??そんなことを感じていたのだろうと思います。
前半のあのざわざわとした会場の空気感は忘れられません。「村田行けえ!!!」「ボディ嫌がってるぞ!」「下に散らして上から叩け!」中谷戦まで静かにしていた前のおっさんが声を張り上げています。
片や、離れた席のおっさんが「そうだ!下に散らして上から叩け!」なぜかリングを見ながら互いに見知らぬ間柄であろうおっさんたちを初めとして、会場全体に奇妙な一体感がありました。
ラウンドが進むにつれ会場全体が、もう駄目だ、ゴロフキンの勝ちだろうと思っていたでしょう。その中で、村田は最後の最後まで、スタンディングのTKOには絶対にならない、最後まで前に出るんだと、ふらふらになりながらもパンチを繰り出していました。ダウンすると同時にタオルが投げ込まれました。
中継はアマプラですから、試合終了後のゴロフキンのコメント、村田のコメント、井上と上田のコメントまで、全て中継はされていたでしょう。
しかし、あの会場の緊張感、空気感はもう二度と味わうことは出来ないのではないだろうかと思います。勿論日本人のほとんどは村田の応援をしていて、村田に勝ってほしい、けれども、ゴロフキンに対してもほぼ全員が、ゴロフキンが勝っても仕方がない、という思いがあったと思います。選手に対するリスペクトという点では、井上-ドネアでも近い物があるとは思いますが、やはりゴロフキンというレジェンドが日本に来ての試合は特別なものがあると思います(ドネアがレジェンドではないというわけではありませんが、なんと表現すればいいか分からず、すみません)。本当にこの試合を現地で見ることが出来て良かった、これに尽きます。
私にとって今までの一番思い入れのあるイベントは、高校をサボってテレビで観戦していた2009年WS NYY-PHIでのNYYのWS優勝、松井秀喜の打席でのMVPコールでしたが、それ以上のビッグイベントとなりました。もうおじさんになる私がこれ以上に思いを入れ込むイベントは今後あるでしょうか。
試合後から、村田は現役を続けるべきだ、はたまたこれ以上のビッグマッチは望めない、世界戦のチャンスも巡ってこないだろうから引き際とした方がいいという様々な意見を見ました。ただ見ていただけの私がこれだけの虚脱感を感じているのです。村田にもっと大きな思いを託していた人たちはたくさんいるでしょうし、ひいては関係者はそれどころではないでしょう。五輪を取ってから息をつく間もなかったでしょう。どのような決断でも尊重されるべきと思います。
村田は我々日本人に夢を見せてくれました。ミドル級で日本人が、あのフィジカルでゴリゴリに押すスタイルで世界を獲り、あのゴロフキンとWBAとIBFの統一戦をする。当時のファイティング原田御大も、このような期待を背負ってあのジョフレと戦ったのでしょうか、そんなことを考えました。
村田は勿論のこと、彼の目標であり続けて40歳に至るまでミドル級のトップ戦線に居続けるゴロフキン共々、感謝の念に堪えません。ありがとうございました。