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昨年起業した4designs株式会社の有山です。2020年3月31日に2つめの法人となる「一般社団法人プロティアン・キャリア協会」を設立し代表理事となりました。プロティアン・キャリアの考え方は、協会のリリースに書かれた通りですが、「なぜ、いまこのタイミングで協会を立ち上げるのか」を2回に渡って書かせて頂きたいと思います。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000056057.html

まず、今回は私の過去のキャリアを踏まえて「日本人の現状のキャリアに関する課題認識」について書かせて頂き、次回は課題を解決するために「なぜ協会を立ち上げたのか」なぜコロナ問題で世界中が大変な状況のなか「なぜいま立ち上げるのか」についてnoteにまとめておきます。長文となりますが、お付き合いください。

■簡単な自己紹介

私は、1977年生まれ東京都出身です。今年43歳になります。中田英寿さんや安室奈美恵さんと同年代。身長187センチあり体格ががっちりしているので必ず人に会うと「何か運動されていましたか?バスケとかですか??」などと聞かれます。野球を小さいころから大学までやっていました。高校時代は甲子園も目指す強豪校で頭丸めて毎日練習練習。甲子園には惜しくもいけませんでしたが、気合と根性を植え付けられた良い思い出です。いまは結婚して家族と犬一匹、東京で暮らしています。

■最悪の社会人スタート

大学は2000年に早稲田大学を卒業しました。生活に密着した衣食住関連のメーカーをで働きたいと考え、そのなかでも、ビール好きという安易な発想で飲料会社を第1志望としました。超氷河期と言われ、結果として大卒内定率が戦後最低の2000年でした。具体的には、不動産・食品関連の大手中心に就職活動を行い、不動産関連3社、食品1社から内定をもらいました。内定頂いた食品メーカーに入社を決めることにした。
いま振り返ると自己理解ができておらず、やりたいことはよくわからない。なんとなく疑問に思いながらも世間や周りの価値観や期待に応えるために、とりあえず大手企業を選択しました。社会から認められたいという承認欲求からの活動と選択でした。

結果からお伝えすると、新卒で入社した会社は数か月で退職することとなりました。(ご迷惑をおかけした人事の方には本当に申し訳なく思っています)

「石の上にも3年。辛抱しろよ」、「就職氷河期でせっかく入社したのに」等々好き放題言われました。ただ、当時の私は、「安定したいから働くんだっけ?」「働く目的って?」「どう生きていきたいんだっけ?」と自問するとその答えが、当時勤務していた会社にはないと判断するに至ったのです。会社の環境、上司、同僚との空間に違和感を感じていたのもあります。
「実際に働き出してみると、自分がどう生きたいかとのGAPが大きすぎて、耐え切れなかった」のです。

■人生(キャリア)という一大事業の経営者は誰か?

自分の意思ではなく、「みんながそうだったから」という理由でとりあえず安定した大企業に入社。そしたらそこには自分の求めている世界はなかった。

自分の意思で決めなかったことを後悔しました。
自分の人生なのに、なぜ、自分の意思で活動をしなかったのか。なぜ、自分の人生の主導権を世間体や同調圧力に渡していたのか。

退職にあたり、周りから言われた「ではこれからどうしていくの?」という質問には当然1つの答えはもっていました。

2度と今回の失敗を繰り返さないようにしよう。その時そう決めました。
だから、「会社や組織にキャリアを預けるのではなく、自分自身のキャリアのオーナーシップは自分で持つ、そのために早く会社に必要とされるスキルを身につけ、価値を提供できる人材になる。」という目標を23歳の時に決めました。

自分の人生を組織/他人に委ねない。自分のための人生を歩む、そのために覚悟を持って努力すること。言い方を変えると、周りの価値観、同調圧力に振り回されずに社会的な承認欲求を否定し、自分の価値基準で他者に貢献することを考えてキャリアを築くこと。
「他人からどう見られるか」ではなく「私は周りの人に何が与えられるか」を考えて実践していくことでした。

学校や習い事の選択、誰と付き合うのか、結婚するのか、どの会社で働くのか、全て自分が決めていまの自分がいる。

生きているひとはみんな「自分の人生という一大事業の意思決定権をもっている経営者」である。そんな当たり前のことにもこの時に気づきました。

だから、入社した会社を退職した私は、自分の人生の経営者として、「まずは経営の勉強をして経営に近いところでキャリアを積む」そう決めていました。

退職後、大手R社の求人広告の飛び込み営業をして営業の一挙手一投足を会得しました。その後、経営の勉強をすべく中小企業診断士(国家資格)を24歳の時に取得し、経営コンサルティングの会社に転職しました。

その後、転職により事業会社4社での経営企画部門でのマネジメントを経験しました。経営戦略策定、中期経営計画/予算策定、業績管理、取締役会や経営会議等の会議体運営/設計、新規事業開発(0→1、戦略的アライアンス)、IR/広報といった経営企画業務を経験しました。さらに、大手外資PEファンドへのMBO、その後経営改革により直接1部上場したIPO案件、グループ30社のファイナンス基盤をつくるERPプロジェクト、数多くのM&Aなど多くのプロジェクトの推進責任者を経験、複数の経営者の近くで幅広く経営視点での仕事に従事させて頂いてきました。

■企業では当たり前、でも個人では当たり前にやらいないこと?

複数の経営者の近くで経営企画をやっていて気付いたことは、「戦略を立てることの重要性」です。

戦略とは、目標に向けてシンプルに何に注力するかを決めること。裏返すと何をやらないかを決めること。戦略の優劣が企業の競争力を大きく左右します。それゆえ、企業は日々戦略に頭を悩ませています。

企業は当たり前にやっている戦略策定。でも、なぜか自分の人生の経営者である個人は人生(キャリア)の戦略を体系的に考えることがない。

私は、自分のキャリアを主体的に開発することを決めて、会社と同じように人生理念(どういきたいか)、5年後の人生目標(5年後どうあっていたいか)、外部環境と自身のスキルを踏まえた戦略(そのために何に注力するか)を考え、紙に落として計画しスキルアップし、キャリア開発してきました。スキルアップでは、社会人大学院(MBA)を卒業、自己啓発塾、各種セミナー/本など目標達成に必要な学びに対して自己投資してきました。

結果として過去6回転職しましたが、いずれの転職でも企業の売上にあたる年収UPと自己成長を実現することもできました。年収が成功基準の全てではないですが、労働市場での価値を高めることができたということは確実に言えるかと思っています。

そして2019年に自分が市場でどの程度通用するのかの試金石としてフリーランスになり、手ごたえを感じたため、2019年7月に起業という選択肢を選びました。

■日本人のキャリアに対する課題認識

長い文章となりましたが、ここまでが私の簡単なキャリアのストーリーであり、そのキャリアの中で「日本人がキャリアを主体的、戦略的に考えることが少ないことへの課題認識」をもつことになった経緯となります。

次回は、課題認識を解決すべく一般社団法人プロティアン・キャリア協会を立ち上げることになった背景、経緯について書かせて頂きます。宜しければお読み頂けると嬉しいです。

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