見出し画像

昔取った杵柄って言ってみたかったんだ

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

子どもが「練習したい」と言っていた“大縄飛び”をやるために、片方を固定して、片方を自分で回して子どもが飛ぶための縄を回しました。

人が小気味よくぴょんぴょんと縄を飛んでる姿を見ていると、「とても楽しそうだな」と思えてきて、自分もちょっと縄跳びやってみようかな、なんて思ってしまいました。

とは言え、子どもに大縄を回して貰うわけにはいかないので、仕方なく(というか、無理の無い範囲で)似たような事をどうやって体験してみようかと考えてみたところ、一人縄跳びになりました。

久々に、自分が飛ぶために縄跳びを手にしました。

その昔、しばらくの間ボクシングジムに通っていた事があるんですが、その期間は本当にたくさん縄跳びを飛びました。フットワーク向上のための縄跳びだったので、様々な飛び方を練習していた記憶があるんですが、それらを思い出しながらやろうとしたら、全く飛べなくて本当に驚きました。

「あの頃は、ごく自然に、縄跳びを跳べばロープスキッピングが出来ていたのに・・・」なんて昔の自分とのギャップに驚きながら、悲しくなりながら、「まあ、そうだよなぁ」と納得するしかありませんでした。

そうして、普通の縄跳びに挑戦してみました。

そもそも、ただ飛ぶだけは出来るのか?

やってみたら、出来ました。

じゃあ、二重跳びは?

ずっと連続して飛び続けることはできませんでしたが、二回くらいは出来ました。

じゃあ、交差跳びは?

これは、なかなか難しかったです。

やりながら、全然出来ない自分を認識しながら、「この飛び方、小学生の頃は難なくできたのになぁ」なんて思って悲しく感じていましたが、よくよく考えると、小学生の頃は出来ていたんだからそれはそれでよしとしておくとして、今のこの年齢で40年近く前に出来ていた事が出来なくて悲しい気持ちになる事にはなかなか無理があるだろうと、自分で納得できました。

あの頃から一体何キロ体重が増えているのか。それを考えるだけで、出来なくても仕方無いだろうと思えるわけですが、失敗しながら何度も何度も飛んでいると、連続は出来なくても段々と昔出来ていた感覚が甦ってきて、とりあえず一回は飛べたというのは、基本的に“衰え”に悲しさを覚えつつ、嬉しさも感じる事ができました。

そんな、久々の縄跳び体験で、「ずっとやってなかった事は、幾ら以前にできていたんだとしても、出来るわけはありません」ということがあらためてよくわかりました。

だけど、

「以前に出来た事は、そのイメージを自分の体が覚えているので、しばらく同じ動作をしていれば、当時と全く同じにというわけにはいかないけど、1回くらいはできるもんだ」ということもよくわかりました。

たかだか縄跳び程度のことでも、「イメージできる事はマネージできる」という事がよくわかる良い体験が出来たなと思った日曜日の昼間でした。

だけど、やりすぎてしまって(とは言っても、時間にして5分くらいだけど)すっかり体が疲労してしまってずっと眠気が漂っていたので、21時にはちゃんと布団に入ろうと思います。おやすみなさい。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?