コミュニケーションとパラレル・ワールド

 おなじみ今日の白饅頭日誌である。

 「合わない人」とのつきあい、コミュニケーションを考えさせる記事である。

 アイツが嫌い、アイツとかかわりたくない、アイツがいなくなってほしい――という生理的嫌悪感や認知がまずあって、それを正当化するために「差別主義者」「悪人」「ミソジニスト」「歴史修正主義者」「冷笑主義者」「時代遅れ」「アップデートができていない」などといった任意のラベルを選んで、自分の得も言われぬ拒否感を(それを抱くのがもっともであると周囲にアピールできるような形で)正当化してしまうのだ。
(中略)
 一般人はともかく、異質なものと対峙しそれを言葉にしていくことを生業にしていたはずの者たち(インテリや言論人)でさえ、SNS時代の「コスパのよいコミュニケーション」に取り込まれていった。かれらは本来ならば、異質な者や相容れない者と出会ったときに、テンプレート的な認知的処理パターンを持ち出してサクッと拒絶する「思考停止」的なやり方を批判する立場の人びとだったはずなのだが。

マガジン限定記事「点になったり、うろこを出したり」|https://note.com/terrakei07/n/nf963e1692ecc

 正直なところ、私はコミュニケーションが大の苦手である。初めての環境、初めて会う人、そういった「初めて」ではパフォーマンスが落ちる。ハローワークで職探しをしていたとき、適職検査をしたいと申し出たところ、精神障害者である私は障害者用の適職検査を受けることを勧められた。障害者職業センターというところから心理士がやってきて、特別な(普通の検査を受けていないからどの辺が特別なのかはわからなかったが)検査を受けさせてくれたのである。
 その結果はどうでもいいとして、最後に「ナビゲーションブック」というものの書き方を指導された。ナビゲーションブックとは要するに取扱説明書であり、自分の苦手な部分を書き出し、どうすれば対処可能か、そのために事業主に何を配慮してほしいかということを表にするのであるが、それを見た心理士の第一声は「あなた、発達障害と言われたことはない?」であった。苦手なことが多すぎたのである。

 そういう意味では、白饅頭日誌の引用箇所は、「なるほどなあ」と頷いた反面、私にとっては「おちいりやすい点」を指摘されているようでもあった。
 まさしく「合う人」とはごく普通に、あるいはそれ以上に親しく、楽しく過ごすこともできるが、そこまでの関係性ができていない人とは、どう接していいかわからず、間が持たなくなり、挙動不審になってしまう。できればその場から逃げ出したくなる。

 それでもまあ、今の職場で何とかかんとかやって来られたのは、周囲の人間関係に恵まれたから、であろう。

 さて、今回長文の感想を書こうと思ったのは、たまたま「SNS時代の『コスパのよいコミュニケーション』」を目にしたからだ。

 SNS時代のコミュニケーションとは、「合いそうな人」とだけつながり(そのつながりは双方向のものもあれば一方的なものもあるのだが)、「合わない人」はブロック・ミュートしてしまい、自分好みのタイムラインを作れてしまう、という点に非常に大きな特徴がある。

 しかしながら、しばしば、そのタイムラインがこの世界の縮図であると勘違いしてしまう人が出てくる。そう思ってしまう人は、はっきり言うがSNSの利用には向いていない。

 ある女優のツイッター公式アカウントからツイート時の通知をもらう設定にしようとログインしたとき、あるハッシュタグが目に止まった。6万件余りのツイートがされているそうである。

 「#参院選でねじれさせよう」

 参院選とは、いま選挙戦真っ最中の、あの参院選、すなわち参議院議員通常選挙であろう。ねじれ、とはすなわち、ねじれ国会のことを指すのであろう。
 衆議院は自民党公明党の連立政権が多数を握っている。ねじれ、というからには、自民党公明党を参議院において少数与党にということなのであろう。

 大丈夫か。

 いま、各種の世論調査では、自民党も公明党も堅調な選挙戦を展開しており、ひとまず自民党公明党が過半数を取れないというような状況にはない。立憲民主党は全国の1人区で苦戦が報じられており、共産党も現有議席を確保できるかという状態である。
 日本維新の会は大阪以外でも議席を伸ばす勢いだそうだが、これは改憲勢力だ。国民民主党は苦戦を強いられているようだがこれも是々非々でやっている党である。そうするとねじれ国会に一役買いそうなのはれいわ新選組くらいのものだ。社民党などはもはや勢力として数えられるような勢力は持っていないだろう。
 参議院は半数改選なので、自民公明両党が過半数を割るためには改選議席数が現有勢力をよほど大きく割り込まなければ過半数割れはありえない。

 どうやら、ねじれ国会になるほどに、野党が優勢に選挙戦を進めている世界線がどこか(たぶん、ツイッターの中)にあるようなのである。ツイッターアカウントは持っているがタイムラインを追っていない私が住んでいる世界とは、全く異なる展開をしている世界があって、ツイッターの中で相互に干渉しあっているようなのである。ツイッターに深入りすると、パラレル・ワールドに飛んでしまうものらしい……。

 私たちは現実と戦うべきではないのか。ツイッターの中にある理想郷は、この世界にはない。ツイッターの中で優位な選挙戦を展開したところで、理想の明日はやってこない。
 あなたがたはツイッターこそが現実であり真実であると思っているかもしれないが、それは違う。あなたの目の前だけに広がっている仮想現実である。
 戻って来られなくなる前に、現実を直視すべきだ。あなたがたが、本当の現実と、あなたがたが真実であると信じたい現実との間のギャップに苦しみ、現実から逃れようとしたり、信じたくない現実を力で変更したりしようとする前に、こちらの世界に戻るべきだ。
 こちらの世界はあなたがたにとって、ツイッターの中よりも生きづらい世界だろう。しかし、ツイッターの中だけで理想郷を作り上げたとしても、その中で実体を持った人間が生きていくことはできない。実体はこの世界に置くよりほかないのである。

 本当に世界を変えたいのなら、まずこの世界に身を置こう。まずこの世界を見よう。

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