見出し画像

なんらかの国のアリス

夢の中の僕は一刻も早く眠りに就きたかった。そこが夢の中と判明している今ならば、これがどんなに欲深い倒錯であるかは理解できる。でも、そのときは文字どおり夢中だったのだから許してほしい。

深夜、疲れ切って部屋へ帰る。電気はついておらず真っ暗である(当たり前だ)。夢なので部屋の間取りは現実のものよりも広く、どちらかといえば実家のそれに近い。壁伝いを手探りでスイッチのあるところまでたどり着き、電気をつけると暗転が明けるように光が取り戻された。と同時に、リビングの床で寝転がっている人影が見えた。3人いる。うち1人は明かりがつくと同時に立ち上がり、暗転明けが台詞のきっかけででもあったかのごとく明確に一呼吸ぶんの間をおいて叫んだ。

「やばい、寝過ごした!」

その一言で僕は、ここが自宅ではなく工場労働のために用意された仮設の休憩室であること、自分が眠りに戻ったのではなく今から働きに来たこと、寝転がっている3人は自分より前の時間のシフトに入っていて仮眠をとってから終電までに帰るつもりでいたこと、などの設定を芋づる式に「思い出した」。

それでもここは自分の部屋であり、僕はやはり疲れて眠るために帰ってきたのだろう。なぜなら、そこの扉の奥が寝室であることを僕は最初から「知っていた」から。夢の中で二つの事実は衝突しないまま両立する。

「お疲れさまでした。ここで泊まっていったらどうですか? 僕はもう寝ます」

一緒に夜ふかしをしていた友人に告げるようにそう言うと、扉を開けて寝室を目指そうとした。

「寝れないと思うよ」ら抜き言葉でその人は言った。
「えっ?」
「今さ、団体客が花火やってるから」

団体客。その言葉で「自宅兼休憩室」だった空間は「旅館」か何かに再び変貌を遂げる。いや、変貌というか、追記だった。ここは自宅であり、工場の休憩室であり、旅館でもあった。

夢の中では毎分毎秒、複数ある設定のなかから最適なものが暗黙のうちに選び取られる。ここは旅館で団体客がいる。しかし扉の向こうは僕の寝室。相容れないはずの設定を抱えたまま扉をおもむろに開け放つと、そこにはやはり相容れない光景が相容れないまま広がっていた。

部屋の広さは20畳程度。その片隅、扉から最も遠い対角線の先にベッドが置いてあり、当然それは僕のベッドだ。手前側には平台2段ぶんくらいの段差があり、古民家の縁側のようになっている。縁側には浴衣姿の男女が合計7人くらい座って花火を楽しんでおり、段差のすぐ前には川が流れていた。そのほかの床はリノリウム敷きだが全面的に濡れており(川があるせいだ)、団体客とは別に小柄な老人が一人、せわしなく走り回り床をモップ掛けしていた。

水深約5〜6ミリ程度の濡れた床を、ぺちゃぺちゃと音をさせてベッドのあるところまで向かう。とにかく今は横になりたい。しかしその願いは、まだ当分のあいだ叶いそうもなかった。

たどり着いたベッドの上に、真鍮色した巨大ロボットが寝かされていたからだ。

ロボットといっても自分の意志で動いたりするタイプではなく、なんらかの機械仕掛けで動作するようなものでもない。行ったことないけど「ブリキのおもちゃ博物館」なんかへ行けば陳列されていそうな、顔も身体も直方体の、最初期型のロボット。そいつが僕のベッドに寝ている。寝ているというか、そいつが自力で動かない以上はこう書くしかない「横倒しに置かれている」。

「それね、誰かが忘れていったんよ」モップ掛けをしていた老人が言う。迷惑な話だ、本当に。ともかく眠るためにはこいつをベッドからどかす必要がある。でもどうやって? 真鍮色したロボットは真鍮色しているだけのことはあって本当に真鍮製らしく、とんでもなく重かった。僕ひとりの力では少しも動かせない。

分解するしかない、と思った。最初期型のロボットは最初期型のロボットらしく身体の各構成部品にはっきりとした継ぎ目があり、それぞれが巨大なボルトナットで接続されていた。時間はかかるが、これを一つずつ除去していくしかない。
まず最初に手の部分から取りかかることにした。最初期型のくせして各指には関節が2つずつ備わっており、動かす方法がもしあれば精密な動きも可能そうだった。ニシザワガクエン、を思い出させるフォルムをしている。

親指と掌を固定しているナットを緩めていく。部品が大きいためかネジは工具を使わず素手でも難なく緩んでいくが、部品をひとつ取り外すたびに大量の鉄粉が舞うのと、シュバッ ギゥン ピシュキュイン というスチームパンク的な効果音がどこからともなく鳴り響き、その音が鳴り止むまではなぜかビジー状態のパソコンのように作業を先へ進めることができないのだった。

すべての部品を分解し終えてロボットをベッドの上から追い出し、満ち足りた眠りを手に入れるまでに、僕はあといくつの行程を、どれだけの時間をかけなくてはならないのか。こんなことをしているうちに朝が来てしまう、何か効率のいい方法を考えよう、こうして横になっていたって何も解決しないんだ、横になっていたって…横になって、い、る?

自分がベッドの上で眠る方法を、ずっと布団の中で考えていたことに気付いたのは朝7時過ぎだった。このままでは仕事始めなのに遅刻してしまう。ぐっすりとした眠りから覚め、眠ることを諦めて僕は起き上がり靴を履いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?