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ソーシャル八景亡者戯

ほらみろ。とか、絶対言いたくないんだけどな。
なんですか、マスクの着用が必須じゃなくなったかと思えば今度はイーロンの実装がどうのこうのって話ですか。

やあやあ皆様お元気ですか。僕がTwitterを辞めてから約1年半強が経過しましたが、いかがお過ごしでしょうか。あのときは単純に精神の衛生を守ることだけが目的の逃避だったし、それ以外になんの理由もなく荷物をまとめてあの場を立ち去ったにすぎないんですけど、最近どうやら僕は結果的に「先見の明があった」みたいな評価をされているらしい。おかしなことですよ。出過ぎた杭ですよ。雉も鳴かずば歌が上手いですよ。何を言っているんだお前は本当にお前は。本当にお前は「何を言っているんだお前は」っていうセルフツッコミを濫用しがちだな。「お前は」というのは「僕は」という意味であり、決して液晶の前でこれを読んでいるあなたに向けた二人称ではありません。あと、もしかしたら僕のことを演劇のスタッフとしてしか知らない方はこの文体に戸惑っておられるかもしれませんが、僕は元来こういうカオティックなキャラクターを内面に11人(龍を除く干支すべてに対応)住まわせており、その全員がほぼ同時に脳内でわめき散らすのでどの声もはっきり聴き取ることができず、考えていることの2割も他人にうまく伝えることができない……というタイプの人見知りです。それは人見知りというのだろうか。違うのかもしれない。違うのかもしれないってことに最近ようやく勘づきはじめた。

これは詩です。そういうことにしときましょう。それがこの先あなたの混乱を最小限にとどめる最善の方法です。(論理的という意味の)まともな文章に対峙するつもりで読み進めたらきっと背中に擦り傷を負います。風呂場で蛇口でガリっとやるやつ。あれ痛いよね。泣きそうになる。ねえこの話無限に脱線できちゃうからそろそろ続けていいですか? 続けます。

まあともかくTwitterを引き払って以来、全然みんなの近況を知ることができなくなり、ということはつまりみんなも全然僕の近況を知ることができなくなっていたわけで、実際「辻本さんのいないタイムラインは物寂しい静けさがあります」みたいな、ドラえもんの最終回かおまえは、みたいなことも言われたりした。そのうえ僕は、驚くなかれ、今年に入ってから小道具の仕事を一切していない。だからあまり「演劇の人」としても認識されない感じになっていて(そんなことないですよって言ってくれる人、ありがとう、あとでなんかお菓子買ってくね)Twitterにもいないとなれば、そろそろ死亡説くらい流れていたって不思議じゃないよなと覚悟するには充分な半年間だったし、いっそ死体のふりをして暮らすことを考えないわけでもなかった。

ただ、どっこい生きてた。

その結果、まだ僕のことを覚えていてくれる人たちの話題にのぼったり、公演の誘いや遊びの誘いを直接(リプライじゃなくて直接!)もらえたりする日々は続いているし、以前よりも腹を割って話せる人が増えた気もする。余談だけど10年以上前、ある現場で仲良くなった役者さんから公演のお知らせが毎回「便箋」で郵送されてきてたの、結局ぜんぜん見に行けなかったけど今でも大事に取ってあるからな。

検索すれば何でも見つけられる時代は、裏を返せば検索に引っかからないものは存在しないのと同じ時代でもある、ということ。で? だから何? 存在しないものに価値はないとでも? そんな話、俺(存在しないものについて堂々と語る方法の求道者)の前で二度とすんなよ?

どうにかこうにかやってます、の生存報告にさえ1500字も費やしてしまう僕が140字の世界で10年以上生きていたなんてお笑い草だね。お笑い草などという草はないらしい。雑草という草や、完璧な絶望が存在しないように。ねえこの話無限に脱線できちゃうからそろそろ終わっていいですか? 以上。解散!

僕は毎日、遅効性の幸福を少しずつ飲んでいて、いつかそれが致死量に届いたとき、やっと心の底から笑える気がするんだ。

(存在しない小説の存在しない一節より抜粋)


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