タワーディフェンスの起源
畳に穴があいている。爪の先ほど、いやそれよりも小さな穴だ。畳にボールペンを突き刺して抉り抜いたような穴。
私はそれをじっと見ている。感情の動きはない。是も、非もない、ただの事実として。やがて穴の底から一匹のダンゴムシが這い出てくる。
やけに大きいな、というのが第一印象だった。もちろん一般的なダンゴムシに比べて大きいだけで、特段ニュースになるほど巨大な個体ではない。それにダンゴムシはこの場に一匹しかおらず、比較対象となる「一般的なダンゴムシの大きさ」さえも私の脳内に生成された想像の産物でしかない。だから特別大きいダンゴムシというわけでもないのかもしれない。いきなり現れたことへの驚きで大きく見えた、ただそれだけの錯覚である可能性も十分にあった。
問題はダンゴムシの大きさよりも、部屋の畳の下にダンゴムシの侵入経路が存在することのほうに重点を置かれるべきだろう。どうやって這入ってきた? などと考えている間に後続する二匹目の頭部が見えはじめた。
この穴をまずは塞がなくてはならぬ。咄嗟に室内を見回し、使えそうなものを探す。うがい薬の希釈用に買い置きしてあった紙コップが目に留まった。90cc。おそらく市販されている紙コップの中で最小のものだが、サイズが小さいぶん個数が多いので重宝していたのだった。こいつを被せれば外へは出られなくなるだろう。紙コップをひとつ取り出し、穴の上へと逆さに伏せて即席の結界を築いた。
なぜ畳に穴があいたのか。それも考えねばならないことだったが、原因がわからない以上、心配事はもうひとつある。他にも同様の穴が、この6畳間のいずこかに刳り貫かれているやもしれないのだ。
ほぼ万年床と化した布団をめくると、その下には染みができていた。ちょうど私が眠るさいに胸部を載せているあたり、そこの一帯だけ畳の色が治りかけの打撲傷みたいな青紫色に変色している。おそるおそる指で触れると、畳はさしたる抵抗もなく、傷んだ茄子のようにぐにゃりと凹み、
ピピッという短い電子音が聞こえ、エアコンの電源がついた。
一体どのような仕組みになっているのかはわからない。わからないが、ともかく畳の染みを押すとエアコンが作動する。もう一度押すと停止する。数回試してみて偶然ではないことがわかると俄に不安が込み上げてきた。もしかして私がこの真上で眠りこけている間にも、私の呼吸にともない上下する胸や腹の動きによってスイッチが幾度となく押され、エアコンの電源が意味もなく点いたり消えたりを繰り返していたのではないか? だから電気代がやけに高かったのではないか?
暗澹たる気分で振り返ると、さきほどの穴からゴキブリが(正確には、ゴキブリというよりセミの抜け殻に似た形状と色の昆虫が)這い出てくるのとまともに目が合った。伏せておいたはずの紙コップはゴキブリにとって軽すぎたのか、簡単に持ち上げられ横倒しにされていた。
もっと大きくて重いもので蓋をしなければ。逡巡の末、ほとんど使い切った綿棒のケースを卓上から奪うように取り上げ、残っていた数本の綿棒を捨てて穴の上に円筒を被せた。さっきよりは重量があるはずだし、透明なプラスチック製のケースなので内部の様子もわかる。当分はこれで凌げるだろう、その間に染みの原因を……と思ったのも束の間、
穴からは新たにザリガニが(正確には、アシダカグモにザリガニの鋏がついたような八本足の虫が)飛び出し、続けてムカデ風の生き物も先を争って這い出そうとしている。プラスチックのバリケードが破られるのは時間の問題だろう。私は意を決してキッチンへと奔り、そして陶器の丼鉢を抱えて戻った。当初の紙コップよりは数段グレードアップした結界を手に、私は、相変わらず穴の底からぞろぞろと無限に湧き出す虫たちを見ながら、これとよく似たゲームを何かのアプリの広告で見た気がするぞと考えていた。
目が覚めて最初にしたことは、布団を持ち上げて畳の無事を確認することだった……いや、嘘はやめておこう。目が覚めて最初にしたことは、この夢の断片を忘れないうちにメモに書き留めることだった。
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