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さよならソーシャルモンスター

そこは昔、「誰も聞いていなくても私の話をしていい場所」だった。

やがて人々が集まると、そこは「私の話を誰かが聞いてくれる場所」になり、「私を知ってもらえる場所」になっていく。便宜的に私と呼んでいるが、私とは必ずしも私のことではない。あなたのことだ。

「私の話をしていい場所」は、「私が声を上げられる場所」でもあり、「おかしいと思ったことを、おかしいと言っていい場所」でもあった。言えるだけではなく実効力もあった。力のある人、パイプを持つ人、供給を持て余している人などに届き、変えていけるかもしれない、というそれは希望でしかなかった。最初のうちは。

そこに集うのは善人ばかりではない。善悪という言葉で縛るのが差し障るなら「味方ばかりではない」と言い換える。「味方のふりをした敵」だけだったらまだ話はわかりやすくて、そこには「味方なのに敵」という人もいる。私が発した「**が実は少し苦手で…」という小さな好き嫌いの表明が、**の存在を頭から否定したい人の耳にまで届き、そこにあった感情は高濃度の意識によって追放されてしまう。「少し苦手」だと口にするだけで全面戦争の真ん中へ連れて行かれるかもしれない恐ろしさに身を竦める反面、持ちきれないほどの拡声器を手渡され、発言しなければそこにいる価値がないように扱われる、かのように錯覚してしまうことが度々ある。言うも地獄、言わぬも地獄。

でも「私も何か意見を言わなければならない場所」や「おかしいと思いながらも黙っていることが罪悪とみなされる場所」になってしまうのは、それは違うと思う。私が私の考えを黙っていても許してほしいし、それは「だからあなたも黙るべきだ」という意味では決してない。

もともと0と1しかない空間だけど、0.8とか0.337の話もしたいんだ。よくばりだからね。

よくばりな私たちをよろしくね。

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