「衣人館/食物園」を終えて

たいっっへんでした。
なんて言うのは簡単だけど、僕よりも俳優のほうがずっとたいっっっっっっっへんだったことは想像に難くないので(なにしろ同じビル内の2会場で2作品を5日間で各10ステージずつ、片方が終わる頃にはもう片方が開場時間を迎えるタイトなスケジュールに加え、看板俳優は両方の作品に準主役クラスの重要人物として出演する)「っ」の数を3つ以上にするなど畏れ多くてとてもできない。無事に終演した今でさえ半分くらいは夢だったんじゃないかと思っている。

牡丹茶房のこれまでの作品は上演時間が2時間を超えるものがほとんどだった。そのなかで、今回が第四弾となるギャラリー公演はどれも短い(それでも70分はあるけれど)。長けりゃいいってもんじゃないのと同様に短けりゃいいというものでもなくて、ミルフィーユのごとく何層にも絶望を折り重ねてゆく牡丹茶房の作風は、短くまとめれば味気ないファストフード化してしまう危険といつも隣合わせにあった。ギャラリー公演をするたびに、烏丸さんは烏丸さんなりの方法でこのジレンマとずっと戦ってきたのだと思う。結果、上質な真綿で緩やかに首を絞めるような長編に比べて、最少手数で事態を「詰み」へと持っていく凄腕棋士のような容赦のない手さばきが短編では炸裂することになる。

世の中がこういうふうになって以降、スタッフが稽古場に行ける回数は激減している。もちろん打ち合わせ等の必要に応じては行くのだけど、それ以外の「ただ稽古を見る」だけのために行くということができなくなった。ずっと自分のことを足で稼ぐタイプだと思ってやってきただけに、この変化は思いのほか大きなダメージとなって表れた。

僕は演劇にかかわる人間の中では下から数えたほうが早いくらい「台本が読めない」自覚がある。もちろん文字情報として読解することはできるし、そこに書かれた小道具をピックアップすることもできる。でも、台本に明示されている場面の裏で何が起こっていて、どんな感情や思惑が渦巻いているのかを読み取ることがとても難しく、その行間を俳優の演技やしぐさや表情で補完しなければいけない。だから特に用事がない時でも稽古を見て、世界観のピントを合わせることが必要不可欠だったのだけど、その機会が減ったことで作るべき小道具のイメージが固まるのにずいぶん時間がかかってしまった。この点は深く反省しているし、今後もしばらく同じような時世が続くなら早いとこ解決しておかねばならない最重要課題だと思っている。

「衣人館」の繭

今回のメインディッシュにして「オファーされた理由」そのものみたいな小道具。これは小道具じゃないのではとか、カテゴリーとしては衣装なんじゃないのかとか、そんなことを考える時期は僕の場合、もはや10年くらい前に通り過ぎてしまった。採寸の必要がないんだから衣装じゃないのだ、きっと。これまでの、現実にあり得るボタンの掛け違えが連鎖することで破滅へと突っ込んでゆく牡丹茶房の作風からするとやや大きな跳躍をともなう姿であるだけに、出オチ的な「おもしろさ」を誘うのだけは回避しなければと思っていた。

東京には"たんぽぽハウス"という名の、中古の衣類を1着105円~で売る夢のような店舗が存在する(プライベートでも時々お世話になっている)。主人公が「かわいい」と認識するであろう柄の衣服を片っ端から買い漁り、それらを合計約30着くらい文字通り縦横無尽に縫い合わせた。中に人が入って移動するので最低限の視界を確保しつつ、観客の側からは決して「中身」が見えてはならないという制約のもとであの繭は形作られている。単体では愛らしい模様のものが、組み合わさることでグロテスクになるような布の配置を考えるのは難しく、かつ楽しかった。衣服だけで賄いきれない異様さは端切れのレースやワッペンテープ、リボンなどで補った。たんぽぽハウスと日暮里トマトがなかったら材料費は20倍くらいに跳ね上がっていたと思う。

「衣人館」の皮

誰もが必ず目にしたことはあるが、それ単独の状態を見た経験のある人はほとんどいない。そんな謎かけのような品物がこの「人肌の鞣し皮」である。質感は柔らかいのか硬いのか、表面に血の跡は残るのか、そもそも我々が見ている「肌色」はその下に流れる血液の影響をどこまで受けた色なのか、といった細かいイメージを演出と擦り合わせながら、それを実現するのに最も適した素材を絞り込んでいく。あまりにも答えに到達できず、途中、本気で一度引退を考えるくらい苦しんだ小道具ではあるのだけど、前述の衣服を烏丸さんと探しに行く道すがら、上野アメ横の立ち飲み屋台で売られていた豚足の焼き目を指差しながら「これ!この色合い!」と天啓を得たように叫んだ面白さが忘れられなくて、どうにか諦めず完成に至れた。

「食物園」のカラスの羽

烏丸脚本に烏が登場するのは意外にもこれが初めてかもしれない。そんなことはどうでもよくて、ラストシーンに一瞬登場し軽く言及されるだけのアレ。本物です。煮沸消毒済です。余談だけど煮沸消毒の過程で水中から取り出したとき、あまりの美しさに「これが本物の"烏の濡羽色"か…」と見蕩れてしまったりもした。

といっても稽古期間中にカラスを捕まえて毟り取ったわけでは勿論なく(辻本ならやりかねない、と思われていたなら本望ですが)20代前半のころ中野にあったバイト先まで歩いて向かう途中、よく道端に落ちていたカラスの羽を若気の至りで拾い集めていたのが、それを特に大事に飾るわけでもなく、かといって捨てるでもなく今まで自宅にとっておいたのが十数年の歳月を経て役に立ったという話。分類上は多分、いい話。「でも20代ってカラスの羽とか集めがちな年頃じゃないですかあ」と座組に問いかけて一つの同意も得られなかったけども。

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