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ノスタルジック減価償却

君のアパートは今はもうない
だけど僕は夢から覚めちゃいない

スピッツ『アパート』

2019年以来、実に4年ぶりの帰省、4年ぶりの奈良にいる。

4年もあれば色々変わる。小学2年生が卒業する。わかりにくいな。大学生がストレートに入学して卒業するまでの期間だ。こっちのほうがいいな。どうして最初に小学生の話なんか持ち出したんだろう。

まあでも、ひさしぶりに40分近くかけてバスで帰宅したからかもしれない。

小学生の頃はバスで通学していた。自宅から学校まで片道約15分。うちは最も山奥に位置する始発駅(バス停)で、朝は途中から友達がどんどん乗ってくる。帰り道はその逆で、うちが終点になり、話し足りないまま友達がどんどん途中で降りてゆく。すごいな、30年も前のことなのに結構な解像度で今も思い出せる。

中学受験で少し離れたところへ通学することになってからは、地元の中学と変わらない始業時刻に対して通学時間がより長くなり、相対的に起床と出発の時刻が同級生に比べて早く繰り上げられた。バスで通うには本数が少なすぎる田舎だったので、いつからか母が自家用車で駅までの送り迎えを毎日してくれていた。やがてこの地域は全体として車への依存度を高め、いまでは18時台に終バスが出てしまうようになった。一部では廃線の噂もあるらしい。

車窓を流れる景色もかなり様変わりした。それは新幹線で京都駅に着いてから奈良市内まで向かう電車の時点で感じていた。たとえば宇治の六地蔵。かつて(デビューして間もない頃の)くるりが歌った景色は今はもうない。

錆びた線路際
涙枯れた六地蔵
何にも無い広い野原
戻ることも嘆くこともない

くるり『虹』

ふとこの曲を思い出して郷愁に駆られ途中下車した六地蔵駅前は、線路際に錆こそあれ駅舎はバリアフリー化し複線化し、何にも無いどころかマンションが建ちショッピングモールがあり、うん、そうね、ある意味で涙は枯れた。

他にもいろいろ変わってしまった。
間違いなくここにあった(ここにしかなかった)はずの僕の青春の証拠品たちは、次々と姿を消してゆく。

あのころ追い出されるまで立ち読みしていた書店も今では100円ショップになったという。

あのころ地元で唯一無二の存在だったコンビニも今ではありふれている(しかもその店舗はもうない)。

あのころ待合室で読める少年ジャンプのバックナンバーだけが痛みを相殺するよすがであった歯医者も今は院長の脳卒中を機に廃業したという。

すべては移ろい変わりゆく。
それが悪いことではないけれど、良いことだとも断言できずにいる。

あのころ毎日のように買い食いしていた駄菓子屋はタコ焼き屋に変わり、しかもタコを焼くことさえやめてしまった。

それが悪いこととは限らないけれど。

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